笑顔を創りたいWebディレクターの日常

某事業会社勤務のWebディレクター。つまり「なかのひと」やってます。Web業界からひょんなことで専門学校の先生に。そしてまたWeb現場に戻ったWebディレクターのブログ。

Webディレクター的、"強メンタル"のつくりかた。

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※この記事は現役Webディレクターが書いたもので、医師の判断が入ったものではありません。精神的に辛い状況にある方は、この記事を鵜呑みにせず、医師の判断を仰ぎましょう〜。

 

こんばんちは、スーパー太っちょWebディレクターです。
スーパーは太っちょにかかります。

 

僕はですねぇ、まあまあメンタル強い方だと思うんですよ。まあ、Webディレクターとして長年やれてる時点で、そういうやつなんでしょうけど。

ただ、じゃあ図太いかというとそうでもなく。
というのも、ユーザーに良いものを届けたいという想いがベースにある以上「他者」の「感情」に対して鈍感でいられるはずもなく。「公式サイトの力をみくびるな。」で書いた通り、たかだかファミレスのパートおばさまにすら「ん?」とか思ってしまう人なんで。神経質なところがない、とは言えないでしょう。

でも、僕は割と自分に自信があるタイプなのですよ

以前、それについて後輩くんに聞かれたことがあって。

 

後輩「toksatoさんて、自分に自信があるタイプですよね」

ワイ「そやねぇ」

 

後輩「どうやって自信をつけたり、保ったりできてるんですか?」

ワイ「生きてるのが楽しいから」

 

後輩「えっ?」

ワイ「えっ?」

 

後輩「いや、逆でしょ?」

ワイ「逆って?」

 

後輩「いや、だから、自信があるから生きてて楽しいんでしょ?」

ワイ「いや、逆よ、逆。生きてて楽しいから、自信があるの

後輩「はぁ?(こいつ何言ってんだ?)」

 

という、今日は「Webディレクターが考えるメンタルコントロール術」であります。

 

そんなわけで、うぇぶぎょうかいのむめいでぃれくたーのお時間です。

 

■目次

 



 

Webディレクターは精神を病みがち

とくに広告代理店とか制作会社側の人ですね。

クライアントと制作メンバーとの板挟みになってしまったりして。

また、成果が出なければWebディレクターのせいにされがちだし、それ以前にきちんと無事に納品できるかというプレッシャーもある。

まあそれ、そもそも抱え込みすぎなんですけどね。

Webディレクターなんてただの会社員だし、ディレクションなんてただのスキルなんですよ。優秀なWebディレクターがいればコトがうまくいきやすいのは事実だけど、ぜったいにうまくいくわけではないし、なんでも解決できる(=解決できないのはディレクターのせい)なんて思うのはどう考えてもおかしい。バカかと逆にぶっ飛ばしたくなる

まあ、そのへんはこの記事に書いたので詳しくはそちらを読んでもらうとして。

toksato.hatenablog.com

 

ただ、メンタルにおいてはそういう問題じゃねぇよなーと思うわけなんよ。

僕は基本的にはメンタルが強い方で、自信もありまする。だがそれは、「Webディレクターなんてただの会社員」と思ってるからではないし、なおいえば誰かより仕事ができるから、でもないんですよねぇ

 

たぶん、50年後も僕は幸せ

 

うわぁ

 

 

キモイw

なんかの怪しいスピリチュアルみたいw

でも、本気でそう思ってます。

そして、僕の自信の根源はこれです。

 

あの、僕はですね、50年後の自分が何してるか知らないですし、正直にいうとそんなことどうでもいいんですが、たぶん幸せだと思います

で、こういうこというと「根拠のない自信」と言われたりするんだけど、そうじゃないです。根拠もあるンゴなのです。

いや、さすがにそんな数字的な根拠があるわけではないんやけども。

ただね、ぼく、人生楽しいんですわ。

だってまず、お酒があるでしょ。
とても仲の良い友人知人と飲んでゲラゲラ笑ったり、ときには真面目な議論もしてみたりして、そういうの楽しいじゃないですか。すんげー楽しい。行く前も居酒屋でも帰りの道でも「あー楽しかったー」って思う。あれ?みんなは違うのだろうか。どうなんだろう。わからない。

あとはほら、サッカーがある。
いやー楽しい。毎週Jリーグあるし、4年に一回W杯はあるし、4年に一回オリンピックもある。さらに4年に一回、アジアカップもある。ね、こうやって聞くとサッカーファンって4年に一回の催しをお祭り的に楽しんでると思うでしょ?違うんよ。ね。我々、バカなんす。W杯には、本大会に出場するためにアジア予選があるんよ。前年に。うむ。あとね、オリンピックも予選がある。前年に。そしてアジアカップはW杯の翌年にあります。そう、サッカー馬鹿はね、ほぼ毎年お祭りだー!前夜祭だー!っつってんの。馬鹿でしょ。ああ楽しい。

それ以外に、ホルモンもあるなぁ。
ホルモンは美味いなぁ。ほんと美味い。ワイ、もう一人で行くぐらいには好き。ホルモンが好きなんだけど、ホルモンだけじゃなく、ホルモン屋さんの雰囲気も好きなんよ。あの、独特の場末感?若干の殺伐とした感じと、安さと、そしてワイガヤした感じと。一人でもウキウキしてしまう

あとはねぇ、甥っ子もかわいいんよ。
いやーかわいい。先日、いろいろちょっと教えるために甥っ子の家(=妹夫婦の家)のAmazon関連で僕のアカウントでログインしたんよ。その履歴がどうやら残っていたらしく。ある日、ん?・・・あれ?なんかAmazonプライムビデオで映画がレンタルされてる。有料で。ワイのアカウントで。ん・・・?と思って。

もしかして・・・と思って妹に聞いてみた。

ワイ「あれ?なんか、ホラー映画レンタル購入した?」


妹「いや、そんなことしてn・・・あ!ホラー?!あいつか!!!」

甥っ子3号(末っ子3歳)の仕業でした。

そのあと、妹からLINEで動画が送られてきて。

「ほら!おじちゃんにゴメンは?!」

っていう流れから

甥っ子「おじちゃんごめんなさい。ミテモイイ?」

 

観たらええよ!


100回ぐらい観たらええよ!

ええよええよそんなん。

おじさんそれなりにお金稼いでる独身おじさんなので、数百円ぐらい、あと100回ぐらいレンタルしてもええよ許す許す。

 

 

その後5分でリビングに戻ってきたそうです。(観てねぇ)

 

人生には楽しいことがたくさんある、ということが言いたいわけではなくて(いやそう思ってるけど)。

たとえば何か辛いことあったとして。たとえば、収入が激減してしまったとして。たぶん、その時の僕でも、なんかしら楽しいこと見つけてるだろうなと思うんですよ。だってそりゃ、サッカーはそう簡単に世界からなくならないだろうし、お酒もあるだろうし、TVもゲームもあるだろうし、甥っ子たちもきっとすくすく成長してくれるんだろうし(何があるかわかんないですけどね)。

いや、それらのどれがなくなったとしても、まーたぶん僕は性懲りも無く何か面白いもの見つけて、またくだらないこと見つけてゲラゲラニヤニヤしてるんですよきっと

僕の持っている自信というのは、それです。

自分のこと、信じてるんですよ。

「ああこいつ、どうせ50年後もなんかしら見つけてゲラゲラしてるんだろうな」

って。

人生どうなるかわかんないけど、どうなってもたぶん僕は幸せなんでしょう、と。

ちなみに僕の夢の一つは「鶴瓶さんみたいなジジイになること」でありまして。

そりゃダウンタウンにも千鳥にも憧れてますが、でも、自分がもしなれるとしたら、鶴瓶さんみたいな人になりたいのです。まちがいなく笑いの才能はあって、いまでも面白いのに、でも芸人に限らず若手からもイジられて愛される。そういう面白いジジイになりたいなぁと。カリスマじゃないんだけど、面白くて、そして年下からイジられまくる。

と、いう話を、むかーし付き合った彼女さんに話したら

「だいじょうぶ。心配しなくていい。あなたはその歳まで生きてたら、ぜったいにそうなってるから。私が保証する。そんなことまったく心配しなくていい。それよりあなたは、その歳まで生きられるかを心配しなさい。死んでる確率の方が高い」

って言われました。

がんばって生きようと思います。

 

人生の目的って?

結局ね、これだと思うんですよ。

僕は何も、お酒やサッカーやゲームなど、人生の小さな幸せをちゃんと感じようとかういうことを思ってるわけじゃないんですよ。いや、感じてるんだけど、スタートラインは「小さな幸せを感じよう」ではなくて。

「そもそもなんのために生きてるんだっけ?」を突き詰めて考えてるだけなんす。

僕はですね、生きることが目的ではなくて、楽しいから生きてるんですよ。なんかその、キムタクみたいに超モテるわけでもないし、年収1億円どころか一千万円もないし、そういう意味では薔薇色の人生ではないんですよ。相応に辛い経験もしてますしねぇ。

でも、そんな超絶薔薇色じゃなくても、楽しいことはいっぱいあって、死ぬよりは良いんですよ。死ぬよりはだいぶ良い。生きてて辛いことがあって、死んだ方が楽って考え方もあるかもしれないけど、それによって悲しむ人の顔を生んでしまうぐらいなら、やっぱり生きてる方が楽しい。

でね、もっと突き詰めて考えると、人の悩みもよくよく考えたら、そこまで辛いことでもないなぁと思うわけですよ。いや、辛いですけどね。

仕事で成果が出ない、失敗する、誰かに負ける、誰かより劣る。

僕にも経験があるし、辛い。

でも、はて。

いま一度、考えてみてほしいのですよ。

 

誰かに勝つために生きてるんだっけ?

 

本来ね、そうじゃなかったはずなんですよ。

友達や恋人、家族と美味しいご飯を食べて、お酒飲んで、ゲラゲラ笑って、生きるに困らない程度のお金ももらえて・・・っていうのが幸せだなぁと思ってたはずで。いや、みんながみんなそうかはわからないけど、でも多くの人はそれに楽しさを感じていたはず、と思っていて

自分の幸せってなんだっけ?って、やっぱりちゃんと考えるべきだと思うんよね。それが複数あってもいいし、コロコロ変わってもいいし、それでも。

 

Jリーグクラブは58ある

そもそも、誰かに勝ち続けないといけないとなると、1位にならないと終わらないんよね

 

僕が大好きなJリーグって、いま調べたら58クラブもあるんですって。

そのうちトップリーグであるJ1は18クラブ。

つまり、超絶すごいサッカー選手が集まってるJ1ですら18もクラブがあり、そのなかで1位になれるのはたった一つなんですよ。枠を広げて「本当に1位を争える力があるクラブ」としても、甘めに見積もっても3〜4クラブがいいところでしょう。つまり、14クラブはそもそももう、1位なんて夢みたいなもんなんですよ。

じゃあ、そういうクラブに存在価値がないか・・・っていうとそんなことないでしょう?

さらに、その1位を争う3〜4クラブだって最終的にはほぼ負けるんですよ。1クラブしか1位にになれないんだから。

もともと、僕だってWebディレクターとしてそれなりに食えているけど、べつに1位じゃない。その時点で、誰かには負けているし、同じ職場で負けることだってあるに決まってるんですよ。1位の実力がないんだから

でも、そもそもべつにWebディレクターで全国1位になろうだなんて思ってないし、なれるとも思ってないし、ならなきゃ不幸だとも思ってないし。

誰かに負けるのは、僕だってたしかに辛い。

しかし、自分の元々の幸せは1位になることじゃないし。

たとえばサッカーゲームをしていて、1位じゃないから楽しくないなんてことはないのと同じように、僕は、僕という資質、ゲームキャラクターを使って、少しでも勝ちたいだけなんですよ。結果として負けたならそれはそれ。また練習してもっと上手くなればいいし、上手くなったら楽しい。

むしろ逆に、設定画面でパラメータをぜんぶMAX99にしてサッカーゲームに勝ってもぜんぜん楽しくない。

そう考えると、負けることすら楽しいんよね。

負けるから悔しいし、うー、どうしよう、このプレイヤーキャラ(チーム?)を変えるのはできないし、そもそもめっちゃ強いチーム使って勝ってもそれは僕が上手くなったのとは違うし、よーしもっと良いサッカーするぞう?どうする?と思えるし。

 

人間の"価値"とは

だから、べつに負けたっていいんですよ。仕事ができなくたっていい。年収が低いから悪いわけじゃない。もちろんモテなくたっていい。そもそも、自分が価値ある存在である必要もない。価値ある存在である方が楽しいとは思うけど、それは、人生を楽しむために自分を価値あるモノにするのであって、価値あるモノになれたから楽しいわけじゃないはずで。

自分に価値がなくたって良いんですよ。だって、べつに何かを生み出すために生きてるんじゃないんだから。そもそも、そんな価値なんて求められても困るしねぇ

 

「自分は何者であるか」

 

という話と繋がるんですけどもね。「価値」というのはそもそも、「目的」があり「それが達成できるかどうか」なんよね。つまりそれは「機能」とほぼ同じものであり、それらは、意図を持って生み出された「物」に適用されるものなんですよ。ダイソンの掃除機は吸引力が下がっちゃいけないし(もともと低いらしいけど)、そもそも掃除ができないといけない。つまり人間に価値など存在しない

価値があるか、ないか、じゃない。もともとそんな物差しが人間に存在しない。

だって、僕がなぜ産まれたかなんて、両親が子供が欲しいと思ってセックスしたからってだけですもん。そこに意図とか目的とかあるはずもない。あるとすれば「家族として産まれてくること」ぐらいで。むしろ嫌でしょ。産まれた瞬間から「何者であるか」が決まっていて、それってつまり「こういう生き方をしてこれをしろ」と決められてるようなもんなんだから

極端に言えば、社会にとって価値ある人間になりたいならなれば良いし、ならなくてもいいならならなければ良い。全部自分で決めて良い話で、なおいえば、自分に価値があるかどうかすら、自分で決めれば良い。それは、どこの誰にとっての価値なのか、と。

 

Webディレクターとしての捉え方

話を戻すんよ。

Webディレクターはとかく病みがちで、プレッシャーとの戦いなわけですけども。

でもね、そのディレクター的発想で考えてみてほしいわけです。

 

そもそも、自分の幸せってなんだったのかと。

そもそも、それは炎上しないで終われるような案件だったのかと。

そもそも、それは自分になんとかなるような案件だったのかと。

そもそも、自分は万能だったのかと。

 

 

まあねえ、だいたい万能じゃないんですよw

そして、仮に他の誰か(たとえば先輩)には炎上が防げたとしても、それはたとえば子供でいうと「ガスの元栓を閉める」みたいな話で。

ガスの元栓なんて、誰だって閉められるんですよ。幼稚園児だってたぶんできる。

でも「外出前に火事の危険を考えてガスの元栓を閉める」は大人にしかできんのですよ。

実務でいうと、ちゃんと送信前に確認するとか。大事ですよ?確認は大事。しかし、それができるというのは、経験や知識のなせるワザなんですよ。確認自体は超簡単でも、「こういうのは、危険だから送る前に確認した方がいいな」って思えるそれはとても高度な意識なのです。

そうなるとこう考えるべきですやね

「自分にあの時、それぐらいの高い意識があったか?持てる可能性があったか?」

ま、だいたい無いですねw

無いから、起きたんだから。

だとしたらしょうがないんですよ。幼児がガスの元栓を閉める意識を持てないのと同じように、その時の自分には無理だった。とすれば、それはむしろ起きるべくして起きたことなんですよ。幼児に一人で留守を任せたらそうなるのと同じように。

そんな自分が"悪い"か?

悪く無いですよ。というより、全力でやったんならしょうがない。全力でやった自分が、その能力が足りなくて、それを"悪"としたところで、なんの解決にもならないし、そもそも「悪とはなんぞや」という話にもなる。

そしてWebディレクターには思い返してほしいのです。そもそも、自分の人生の幸せってなんだっけ?と。僕が何かをミスしたり、案件が炎上しても、ホルモンはそこにあるし、サッカーもあるし、お酒もあるし。そして何より、一緒にゲラゲラ笑ってくれる友人たちは、そこにいるんですよ

僕は、そのために生きてるんす。

だから、炎上して凹むことはあっても、凹みすぎることはないです。

だって、サッカーも友達もいるんだもん。じゃあ楽しいじゃん。炎上して失敗しても、誰かより低い能力だと思われても、きっと、友達は一緒にお酒を飲んでくれるし、甥っ子はずっとかわいいし。

え、じゃあいいじゃん

と思うわけですね。

そして僕は、50年後の自分もきっと、もしかしてサッカーがなくなっても、甥っ子が憎たらしくなってもw、まあなんか楽しいことを見つけてるだろうなと思っていて。もしかしたら今いる友人たちがいなくなってるかもしれないけど、それはとても寂しいけど、でも、そうだとしても僕はきっとまた誰かとゲラゲラ笑ってるんだろうなぁと、信じてるんです。

だから僕は、自信を持ってるんですよ。

別に誰かより優れてるとか、能力が高いとかそういうことじゃなくて。っていうかそんなに能力高くないし、誰かには確実に負けてるし、嫁も子供も恋人もいない40代のキモデブオッサンだし。

でも、自分はきっと人生を楽しんでいけると信じてるから、そうしたら自分の能力が疑われることがあっても「まあ、ええか」「またがんばりゃええわさ」と思えるので、幸せならええかと、自分を信じていられるんですねぇ。

 

だから、Webディレクターとそれ以外の職種の人には(全員やないか)、いま一度思い出してほしいんです。自分の幸せとは何か、それは本当に仕事で勝つことだったのか、モテモテになることだったのか。999人にモテたって、たった一人に選ばれなければ悲しかったりするんだし。逆に言えば、大切な友たちや恋人に選んでもらえたならば、もうその時点で幸せなんだろうし。

 

そうしたら、きっと強くなれますよ。

僕がそうだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ:幸せのダブル定額

これね、一歩間違うと幸せのハードルを下げすぎることになるのでw そこは気をつけてほしいのですね(笑)

今ある幸せを感じすぎて、もっと高次の幸せを求めなくなってしまう。

そういうとき、僕は脳内に「幸せのダブル定額」を想像します。

 

つまり

「僕はもうこの時点で幸せだから良いよね」

と思う同時に

「でも、超超ベストは、こうなりたいよね」

の2つのラインを描いて、そのラインの間を行き来するように頑張るってことです。

 

 

ま、ぼく、実はできてないんですけどねw

一人で楽しいしw

 

でも、おそらく"一般的な幸せ"はそうではないので、皆さんはそうならないように!しましょう!