※タイトルを自分がしっくりきておらず、変更しました。
こんばんちは、スーパー太っちょWebディレクターです。
スーパーは太っちょにかかります。
さて、今日もまた、先日書いたこの記事↓に対してご質問をいただいたので、そちらへの回答エントリです。(の、2記事め)
※この元記事を読まなくてもわかるよう、本記事は独立したものとして書いてあります
いただいたご質問はこちら↓
おなまえ(匿名OK): k
ご質問内容:
「マネジメントでやったことリスト」の根本にある思考に至った経緯を知りたいです。特に、メンバーの失敗許容・想定や自分の時間はメンバーのためにあるというスタンスについて。最初に管理職となった頃からそうだったのか、経験などで変わっていったのか。
またまたご質問ありがとうございます!(うれしいです〜)
これ実はよく聞かれるんですよね(笑)
そんなわけで、うぇぶぎょうかいのむめいでぃれくたーのお時間です。
■目次
管理職になった頃からか、経験を経てから・・・?
サクッとご質問に答えてしまおうと思いますが、管理職になったその頃からですね。
っていうのは嘘です。
管理職になる前からそうでした。
いや、もちろん「メンバーの失敗を想定し許容する」ということ自体は、そりゃ「メンバー」と入ってるのだから管理職になってからですね。だけど、これ自体は僕自身にもそもそも思っていたことなのですね。
つまり、「適切に失敗体験をしないと成長しない」というのを自分自身にも思っていた、ということです。そうすれば、必然的に対象がメンバーにも波及するのは自然なことですね。
そのへんの教育の話はこの記事(というかスライド)を読んでもらうと良いかとおもんます。
だけど、だからといって「自分に合致する方法だからメンバーにも同じようにすべき」とは一ミリも思っていないですね。なんなら、それは最も愚かな発想の一つだとすら思っています。
恫喝にせよ放任にせよ、「先輩がそうだったから」「自分もそれを受けてきたから」と、自分の後輩にも同じような教育をしようとするのは、正直なところ意味不明だとすら思っています。あなたはスーパーマリオとポケモンを同じ育て方をするんですか?という。
やっぱりこれは、どう考えてもおかしいですよね。
基本的にすべて同じことしか考えてないのです。
では、何をどう考えて「メンバーの失敗許容・想定」や「自分の時間はメンバーのためにある」というスタンスになったか、っていう話ですね。
これは、Webディレクターという職種を生業にしてきたのが大きいと思います。
なので、これはマネージャー(管理職)というよりむしろWebディレクターとしての考え方といった方が適切ですが、僕は、基本的にこれしか考えてません。
- 目的
- 課題
- 解決策
本当に、これはもうまったく本当にこれしか考えていないです(笑)
もう少し噛み砕いてみましょう。
1.目的
何を達成したいのか。何のためにやるのか。
2.課題
目的を達成するために、障害となるものは何か。
3.解決策
障害となっている課題を解決できる施策は何か。
僕は長年ブログを書いてますが、実はいろんな皮を剥ぐと全部この話をしているといってもいいぐらい、これしか考えていません(いかん、ネタバレだこれ・・・w)。
どんな解決施策(手段)も、目的に繋がらないならどれも愚策だと思ってやりたくないです。プロジェクトでもそんな話になったら施策をストップさせたりします。なぜかというと、無意味だから。無意味なことに時間も人件費も使うのはまちがいなので。
なおいえば、実は「目的」のことしか考えていません。
目的達成に向けて課題がなく、単純な動作をするだけでいいならそれで良いと思います。たとえば、「東京駅に朝9時に到着する」というのは、おそらく日本中の多くの人が可能だと思います。東京近郊なら電車に乗れば着きますね。ならば、電車に乗るだけで良いと思います。
ただ、多くの仕事やプロジェクトというのは「制約」があるので、それをふまえてやるとなると、そう簡単ではない。たとえば「東京駅に、交通費1万円以内で朝9時に到着する」とか。こうなると、東京近隣県以外からだと難しくなりそう。じゃあ、どうするか?と考える。これが「課題」になり「解決策」になりますね。
僕は1〜10まですべてこれしか考えてないです。
さらにいうと、メール一つ、チャットの文章ひとつまでこれを考えて仕事をしています。そのチャットは、その文面は、その1行は正しいのか?相手に伝わり、アクションをしてもらうために、最適なのか?と毎日考えて仕事をしてきました。
そういう意味では、たとえばメールがいい、チャットがいい、今でも電話がベストだ、とかいう議論はとてもナンセンスだと思ってます。
メールもチャットも電話も、それぞれに長所短所があるだけで、常にどれかを選択していれば良いというものではないはずで。さっさと電話してしまった方が良いのにチマチマメール文面を書いて時間を浪費したり、その逆にメールで証跡を残した方がいいしさらにそんなに急ぎでもないのに頻繁に電話するビジネスパーソンとか、アホだなぁと思っています。
その伝達チャネルは、このタイミングで、それを伝えるのに最適な手段なのか?
考えるのは、これたったひとつだと思います。そのとき、電話が最適ならそれがすべてで、「どれが現代においてすぐれた手段か」なんてのはとてつもなく無駄な議論だと思いますね。
そうだから、「メンバーの失敗許容・想定」や「自分の時間はメンバーのためにある」というスタンスは、「メンバーに高いパフォーマンスを発揮してもらう」「それができるだけ長く続くようにする」という目的を設定した時に、そのスタンスが必要だと思ったからそうしただけなんですよね。
そしてこれは、べつに管理職を経験してなくても辿り着く、と僕は思っています。
だって、「できるかできないかわからないこと」にチャレンジさせない限り人は絶対に成長しないですからね。そうしたら一定の確率で失敗が出るのは当たり前のことで。じゃあ、それを許容しないと成長しないわけで。そうしたら、そりゃ「許容する」という判断になりますよね。
同様に、「自分の時間はメンバーのためにある」というのも同じですね。
アドバイスにせよ、レビューや確認にせよ、判断にせよ、メンバー達が仕事をして高いパフォーマンスを発揮するには、上司である僕の時間を使わないと、うまく進まないわけですから。であれば、必然的にそうなりますね。
ただ、前の記事で書いた、
「僕の時間はすべて君たちのためにある。忙しいとか気にするな。使い倒せ」
これは、実はまちがった発言だと思っています。
マネージャーである僕はやっぱりいそがしくて、多方から声がかかる。また、メンバーより人件費が高いので、メンバーの1時間より僕の1時間の方が貴重です。逆にいうと僕の時間を無駄に浪費するということは、メンバーの1時間を浪費するより会社としての損害が大きいですね。
だから、本来は「僕の時間(上司の時間)を気にせず使い倒せ」というのは、字面だけ見ればまちがいだと思います。やっぱり、人件費が高い人の時間を使うのは、慎重になった方が良い。
だけど、事象として正しい発言が、常に良い結果を生むわけではなくて。
たぶん、そのまま気にさせたらメンバーたちは僕の時間を使うことを躊躇する。また、どうせ「僕の時間はすべて君たちのためにある」と言ったところで、今いるメンバー達は気にするんですよね。「いそがしいtoksatoさんを捕まえて良いだろうか・・・?」と。そうすると、「僕の時間はすべて君たちのためにある」と発するぐらいがバランスとしてちょうど良いんですよね。
これはだから、前の記事で書いた有給休暇に関する発言と、実は構造としては同じなんですよね。
ぶっちゃけて言ってしまえば有給休暇というのは労働者の権利ではあるものの、会社としては使わずに働いてもらう方が利益になるんですよね。だから、マネージャーである僕からむしろ推奨するようなことをいうのは、ある面から見るといかがなもんか、と自分で思っています。
だけど、日本人というのは有給休暇を取るのにためらう性質があり、上司にそれを打診することを「悪いこと」「迷惑をかけること」と捉えている節があるんですよねぇ。
これですね。
上司から「有給休暇とろうぜ」と頻繁に言うのは、会社の利益を考えるといかがなもんか?という発言です。だけど、そうしないとメンバーが有給休暇の取得をためらうようになり、それでストレスが溜まっていく。そうすると最終的に会社にとって損失になる。だから、「有給休暇とろうぜ」と頻繁に言うわけですよね。
だからこれも、
- 目的
- 課題
- 解決策
なんですね。
- 目的:(良い結果を出すために)メンバーが自分に相談しやすくする
- 課題:「忙しそう」「自分のために時間を使って良いのか・・・」と悩む
- 解決策:「僕の時間はすべて君たちのためにある。忙しいとか気にするな。使い倒せ」と伝える
というふうに。
だから、kさんの質問の意図はおそらく「失敗させたら大変だろうに、どうやって許容したのだろう?」とか「メンバーから相談が増えすぎて自分の時間がなくなったら困るのに・・・」というのが根底にあるのだろう、と思っています。
でも、僕はそうじゃないのですね。よくそう誤解されて「toksatoさんは部下想いで優しいねぇ」と言われたりするんですけどね(笑)
そうじゃないんです。
どこまでも「チームとして成果を出すにはどうすべきか?」という「目的」しか考えてないんですよ。その目的に向けて、必要な「解決策」だと思うからそうしてるだけで。
ドラマとバラエティ番組の違い
突然、TVの話をしますが(笑)
僕はTVが大好きで(Webの仕事してるのにw)、ドラマもバラエティもたくさん観てるんですけどね。これを観ていて最近よく思うんですよね。ああ、これ"マネジメント"っぽいなぁと。
TVドラマって、基本的に3ヶ月とか半年って期間が決まってますよね。
他方で、バラエティについては元SMAPの中居くんが言っていた話が、とても印象的で。
「バラエティは、終わらない事を目指して、進むジャンルなんじゃないかなと」
僕はこの中居くんの話を聞いてハッとしました。
ほんとだ、たしかにそうだ。
ドラマや映画はクランクアップとか、終わりが決まっている。終わりに向かって、良いものを創ろうとプロが集まってる。だけど、バラエティはそうじゃない。番組開始時点で終了日が決まっているバラエティ番組ってそうそう聞いたことがない。
僕は
- ドラマや映画:プロジェクトマネジメント
- バラエティ番組:チームマネジメント
だなぁと思っています。
TVドラマってだいたい3ヶ月ですが、それで最終回に向かってみんなががんばって、良いものをつくろうとする戦いだと思うんですよね。これって、プロジェクトだなと。
一方でバラエティ番組は終わりがない。ある程度固定したメンバー(レギュラー)でチームとして、できる限り長く続けられるようにがんばる。ここに求められるのはチームマネジメントではないかと。
とくにトークバラエティの場合は、そこに出ている人の個性やパーソナリティがとても重要で、その人の個性と違うことを話させてもうまくいかないし、そもそもたぶん話せない。その人の出自や背景、そして今持っているスキルや環境をバックボーンに、それぞれが楽しいエピソードトークをしたり、ひな壇でガヤをしたり。やっぱり、「その人の個性」を活かさないと続かないんだろうなと思うわけですよ。
ドラマや映画の場合、もしかしたらとある俳優さんにはとてもつらい現場があるかもしれないですね。インタビューでもそういう話を聞きますし。ものすごく辛い環境で演技も否定されまくり、だけど、そこを乗り越えて今の自分がある、とか。でも、これは期間限定だから続くんだと思うんですよ。そう、プロジェクト。プロジェクトは、ときにものすごくしんどいものがあっても続く。いつか終わるから。
トークバラエティってそうはいかないと思うんですよね。終わりが決まってないから。なるべく長く続くことがベストで、終わる時というのは人気がないとか、続けられなくなる理由があるときで。そういうスタイルの番組において、ドラマ(プロジェクト型)のように精神的に辛くしんどい環境があったら、絶対に続かないと思うんですよね。
だから、トークバラエティのMCは番組が上手くいき、面白くなり、さらにそれが続けられるようにひな壇メンバーのことも理解して、適切に話題をふったり、活躍できる場をあえて展開の中で作ったりしますよね。そうやってチームとして、逆に役割を固定し切らずにその場その場で、臨機応変に組み立てていくのがバラエティ番組なんだろうなぁ、と思っています。
チームマネジメントは、このトークバラエティのMCの動きなんだろうなと思っています。ドラマや映画を作るのとは違う、「配役」という決まった役割を最後までそれぞれの人に渡すのとも違う。「チーム」として「なるだけ長く、高いパフォーマンスを発揮できるようにする」という。
逆に、ドラマや映画の監督というのは、Webディレクターやプロジェクトマネージャーの役割に近いんだろうなと思っています。だから、対象がチームではなく「プロジェクト」になる。
そうしたときに、マネージャーである僕の仕事、振る舞いはメンバー達の「日常」になるんですよね。バラエティ番組と同様に、なるだけみんなが安心して、楽しく、それでいてプロフェッショナルな精神も発揮できる環境を作る必要があって。
そうなると、自然と、
「メンバーの失敗を想定し、許容する」
や
「自分の時間はメンバーのためにある」
というスタンスになると僕は思っています。そうしないと、メンバーが安心して毎日過ごせないですからね。失敗を一切許容されないとチャレンジしなくなるし、チャレンジできない職場では成長できないし。成長できないとなると、その会社にいるのが不安になるでしょうし。
だから、すべて「目的」のため、なんですよね。それしか考えてない(笑)
さてさて、まーた長くなりましたね。
ま、もはや僕のお家芸ということでw
kさん、また気軽にご質問ください!
(他の方もぜひ)
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