笑顔を創りたいWebディレクターの日常

某事業会社勤務のWebディレクター。つまり「なかのひと」やってます。Web業界からひょんなことで専門学校の先生に。そしてまたWeb現場に戻ったWebディレクターのブログ。

Webディレクターたるもの、自分なりの成否基準を持て。(そして、仕事で潰れてしまうすべての人へ)

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こんばんちは、スーパー太っちょWebディレクターです。
スーパーは太っちょにかかります。

Webディレクターになったころ、月曜日から尻上がりにテンションが上がり金曜日にMAX。そして土日で気を緩めたらリセットされて、毎週の月曜朝が超プレッシャーだった。もう本当に辛くて、何かやらかしてないか、クライアントや上司に怒られるんじゃないか、ビクビクしてました。

悲しいもので、その生活に慣れきったワテクシですよ。

人生の大切なものを失った気がする、そんな歴17年目に入っているWebディレクターざんす。

なんつーか、もうこれだけWebディレクターなるものをやっていると、思うわけですよ。

クライアントなんてどうでもいいだろと。

 

んなわけあるかいと。

 

大事よ大事、クライアントも、上司も、プロジェクトも。

 

でもね、最終的にはね、思うわけです。

 

どうでもいいだろと(どっちなんだ)。

 

開き直りだろ?と言われたりするんだけど、そうじゃないんだ。

むしろ、突き詰めた先にこそそれがあり、なんなら僕は全Webディレクターがそこに行き着くべきだと思っている。

でも僕は別に全Webディレクターを統べる者でもないし、そして伝説へとかになる人でもないので、それが本当にそうか、そんなことは知らない(ひどい)。

 

そんなわけで、うぇぶぎょうかいのむめいでぃれくたーのお時間です。

 

■目次

 



 

「ディレクションの合格点」とは

よく聞かれるんですよ。

「WebディレクターってどこまでやったらOKなんですか」

って。

まあ、やろうと思えば際限がない。

クライアントが本来やるべき業務を肩代わりしようと思えばどこまででもできるし、物分かりの悪い担当者相手に戦うことだってたくさんある(そしてそれも際限がない)。

じゃあ、どこまでやればいいのか。

理解のないクライアントにどこまで踏ん張れば良いのか。

 

うん

 

知らんがな

 

いや、ひどい

すまん

質問されてるのに、というかそれってもう相談されているというのに、ひどい。

だけど、ある種これが答えであり、そんなもんは自分で決めたらええがな、と思うわけですよ。

こんなもんはね、自分で決めることであるし、自分ではなく会社が決めることなのですよ。矛盾するようだけど、両方とも成り立つ。そしてそれをきちんと考えられるかが、Webディレクターとしての能力の一つだとも思っている。

 

Webディレクターが持つ3つの成否基準

極端に言うと、ディレクションてのはサービス業なんですよ。

いかにクライアントに不安なく、無理なく、プロジェクトが進められるか。

いかにデザイナーやエンジニアが、ストレスなく、自らの仕事に没頭できるか。

ある種エスコート的な部分もあるし、配慮や気遣いをスキルとして売っている部分もある。そういう意味では、ホテルマンとなんら変わらない。

で、それはつまりそこに「サービスレベル」が存在するということなんよ。

だってそりゃ、同じWebサイト作るのに1000万円の会社と50万円の見積もりだす会社、そこに内包するディレクション費も違うでしょう。そうしてディレクション費が違えば、当然対応の手厚さも変わる。

つまり、実は際限はあるのです。明確に。

必ず。

これが、1つめの基準。

要するに、予算は有限であり、ほぼ人件費であるディレクション費も有限。

では、そのディレクション費のなかでどこまでやるのか。

これは、簡単ですやね。所属している会社が決めることです。

予算=受注額という上限がある以上、いくら自分ががんばればいいからってディレクション対応を受けいれ過ぎちゃイカンのですよ。そのあなたの時間は、本来は会社のものだから。そこにそれだけ人的リソースを投下して良いかは会社が決めることだし、それを無視するということは、その会社のコストに対するサービスクオリティを狂わせることになる。
別のディレクターはここまでしか対応しなかったのに、あなたが同じ金額でそれを超える対応をしてしまうと、クライアントはよりたくさんやってくれる方をスタンダード対応だと受け取る。

なので「私が頑張れば良いんだ!」とか思ってるディレクターさんは今すぐやめましょう。いろんな人を不幸にするので。もはやそれはディレクションではないし。

そして、だから「どこまでやったらいいか」なんてのはまず所属している会社に問うべきで、僕を含む他社のディレクターに聞いてもしょうがない。

 

さて、では2つめの基準。
それは「プロジェクトの成否(に対してやるべきことをやったか)」

要するに、会社が定義するサービスレベルとは関係なく、プロジェクトが成功するために必要な対応をやったか。まあ、プロジェクトの成功といってもCVRの改善とかになると運の要素も絡んでくるので、「クライアントの満足」と言い換えてもいいかもしれない。

会社がどれだけ「それは見積もりにないからやるな」といったとしても、プロジェクトが成功するために必要かどうかは全く関係がないんよ

たとえば、「おおまかな画面構成はそちら(発注側)でやってくださいね」と事前に伝えてあったとしても、結局クライアント側にその能力が無くてできないということは多々ある。その場合、プロジェクトが成功するためには受託側でワイヤーフレームをつくってあげるしかない。しかしそれは、見積もりには含まれていない

だからやるべきではないんだけど、絶対にやらないのが正解かと言うとそうでもない。

「今回は特別ですよ?」「これは見積もりには含まれてませんが、今回だけやります」といってやることもできる。

何が言いたいかというと、1つめの「会社のサービス範囲」という基準しか持ってないと、こういう判断ができない。そして、そういうディレクターが、あろうことか自社の都合ばかりクライアントに訴えて、まったく譲歩をせず、嫌われていく。そして案件も失っていく。

だからWebディレクターは、自社のサービス範囲を意識しつつも、プロジェクト成功のために必要な対応を見定めて、そのなかで必要な行動を選択していかなければならない。

 

だがまあ、こんなのはただのスキルの話なので、どうでもいい(なんだそれ)

 

大事なのは3つめ。

まずこれ。
ぜったいにこれ。
順序が逆転するが、これを持ってないディレクターはいずれうまくいかなくなる・・・とすら思っている。

 

Webディレクターたるもの、ナニモノにも左右されない自分なりの成否基準を持て。

これが3つめ。

そして、これが本来のベース。土台。

 

 

Webディレクターにおける「自分なりの成否基準」とは

要するに「自分がどこまでやるべき(だった)か」の基準を自分で持て、という話。

 

Webディレクターには大きな裁量がある。
だからこそ、その大きな裁量を扱うために、まず自分なりの基準を持つべき。

 

前述の通り、会社としてはダメだとしても、プロジェクトのためにはやらなきゃいけない、ということがあるわけですよ。  

逆に、クライアントが不満を抱え、所属する会社も「やるべし」と言っていても、できないこともあるわけですよ。

前者は「プロジェクト成功のために自身でリスクをとって判断をする」必要がある話。

後者は「プロジェクトが危険な状態にあるわけだけど、それでも無理なものは無理だ」という話。

いや、もちろんね、会社としてやっちゃダメなことはやっちゃだめなんですよ。でも、それはあくまで「基本」の話であって、たとえばその一度だけ基本"外"の対応をしたことによって、クライアントが喜んでくれて。そしてそれが次の案件獲得につながる、なんてことはたくさんある。そして、それは会社のためになるので実は会社も(結果的には)喜んでくれる。

一方で、たとえばシステム開発の知識がそれほど多くないのに、会社に期待されてシステム開発を伴うWebリニューアル案件にアサインされてしまって。自分も精一杯やったんだけど能力が足りず、クライアントが不満を抱えてしまったりして。しかし、会社としては任せた以上は「がんばれ」と言わざるを得ないし(そのまま言い続けるかは別の話だけど)、クライアントが腹を立てるのもまたしょうがない。そりゃ金払ってるのだから。

最初からできないやつに任せなければ良いんだけど、そうしていたらずっと「できる人」が育たない。だからある程度のリスクをとってチャレンジすることは大事なんだけど、同時にそれは「"できなかった"という結末になるかもしれない」という可能性を発生させることにもなる。

要するに、誰も悪くない。

いや、ビジネス上は会社が悪い。
できない人に任せてしまったのだから。
だから、会社としてはクライアントに謝罪をしないといけないし、そうなればたぶんアサインされた本人も謝罪をしないといけないでしょう。

しかし、仮に本人が謝罪をしなければならないとしても、それは「本人が悪い」とイコールではないのですよ。だって本人は「私はできないかもしれないけどがんばる」と言って引き受けているのだから。

そのときに最も大事なのは「自分としてやれることを、やりきったか」。

いくら「不得手な分野のアサインなので」と言っても、手を抜いたらダメで。そんなもんわざと失敗してるようなもんだし。不得手だけれども、これから学んでいくフェーズだけども、そのなかでちゃんと自分がやれることをやったか

自分がやれることをやりきったら、しょうがないんですよ。

だって、やりきったんだから(笑)そりゃそれ以上はないわけで。

自分がやれることをやりきってもダメだったとしたら、たぶんそれははじめから無理だったんですよ(もしくは運が悪かったか)。だったらやらなきゃよかったんだけど、では、やる前にその判断ができたかというと、できなかったから今に至るわけで。

そしてチャレンジした以上、失敗という結末もひとつケースとして織り込み済みのはずで。

じゃあしょうがないじゃん、っていうねw

クライアントには迷惑をかけているので、会社としても自分としても謝罪をすべき。

また、期待してアサインしてくれた会社にも、その期待に応えられなかったのだから謝ってもいい(謝らなくてもいい)。

でも、それは決して自分がダメ、自分が悪いということじゃない。

やれることをやりきったのだからそれはもうしょうがないことで、それも織り込み済みで勝負をしたはず。もし、自分が悪いとしたらそれは、やれることをやりきらなかったときで。

 

それは、"常に100%で挑め"ということでもなくて

「やれることをやりきれ」というと、つい全精力を持って取り組むと思い込んでしまいがちで。

だって、みんな仕事だけじゃないでしょう?

僕は独身だからまだいいけど、人によっては子供がいる人だってたくさんいるし、独身の僕だって仕事以外に大切なものなんていくらでもある。

子供が熱を出しているのにそれを放っておいてクライアントワークをすべきとは思わないし、家族との時間をそれ以上にもっと大切にしたっていい。

というか、そんなもんは好きにしたら良いって話で。

仕事をセーブするも、定時内だけでがんばるのも、残業めっちゃして仕事に没頭したって良い。

いいんですよ、そんなもんは人それぞれで。自分で好きに決めれば。

ただね、大事なのは、Webディレクターたるもの主体的にそれを選択していけっちゅう話で。

プロジェクトに対して、どこまで何をやるのか、それを主体的に判断していかなければならないわけですよ。Webディレクターっちゅうもんは。そいつが、まず自分の生き方に対してそれができてないのに、プロジェクトでそれができるはずがない

クライアントが言ったから、会社が言ったから、で判断してるやつがプロジェクトを炎上させる。ゴールに対してどうすべきなのか、本来はその判断力こそが重要なわけで。他人がどう言ったからじゃない。
それは具体的に言えば、ヒト・モノ・カネをプロジェクトに合わせて適切に調整していく必要がある、ということで。人に負荷をかけすぎてもいけないし、金の使いどころを誤ってもいけないし。

それらはすべて何を基準に判断するかというと、「ゴール(目的)」ですやね。

「プロジェクトをこういう状態(結果)に持って行きたいから、今こうすべき」

という判断が必要になるんだけど、それはそもそもプロジェクト以前の話で。

 

まず、あなたは何のためにディレクションをしてるんだっつう話でね。

 

無論、プロジェクトを成功させるためですね。

では、何のためにプロジェクトを成功させようとしているのか。

そりゃ、成功させて、クライアントに喜んでもらって、ちゃんと会社にお金を(快く)払ってもらうためですね。

となると、何のためにクライアントにお金を払ってもらうんでしょう?

自分の会社に金払ってもらわないと、倒産しちゃうからですやね。

なんで倒産したら困るんだっけ?

もちろん、自分がお給料をもらえなくなるからですよねぇ。

なんでお給料もらえなくなると困るんだっけ?

そりゃ、お金ないと生きていけなくなるからねぇ。

そう、僕らは、お金もらわないと幸せになれないから、働くんですよ。(基本的にはね)

「何のためにディレクションをしているのか」というのは、ほぼほぼ「何のために仕事をしているのか」なんですよ。

そして、幸せになるために仕事してるんですよね。

仕事のために生きてるんじゃなくて、幸せに生きるために仕事をしているんです。

だから、最も重要なのは「自分の幸せとは何なのか」なんですよ。

つまり自分の「人生という名のプロジェクト」の目的ですわい。

 

前述の文章を引用する。

仕事をセーブするも、定時内だけでがんばるのも、残業めっちゃして仕事に没頭したって良い。

 そうなんですよ

そんなもん好きにしたらいいんだけど、それはつまり自分が決めなきゃいけないことなのですよ。 

プロジェクトに対して前のめりになるのも良い。
プロジェクトに対して、見積もりの範囲をきっちり守ったって良い。

ただ、見積もりの範囲を超えてクライアントの評価を勝ち取ろうとするときに、毎回毎回会社が「超えて良いよ」って言ってくれるわけじゃないし、その会社の判断を待ってたんじゃ遅いんですよ。だって、自分がクライアントと直に対峙してるんだから。会社の判断を待つということは、その場ではクライアントにOKやYesと言えないわけで。

リスクをとって自分の判断で見積もりを超える判断をするでも良いし、自分の不得手な案件に参加するでも良い。そのとき、どうしても必要になるのが「自分はどこまでこのリスクを負いたいか」なんですよ。
そしてそれは「自分はどこまでこの仕事に懸けたいか」であり、その根源は「自分は何のために仕事をしているのか」であり、「自分の幸せとは何なのか」という自問自答なんですよ。それがないやつには、リスクを負う判断なんてできない。

そう、だからいちいち会社の判断を仰いでるようじゃまともなディレクターにはなれんのでして、その根源には「自分はなぜこのディレクションをしているのか」が必要なのです。

そしてそれがないから、会社の言うことに流され、いちいち他者の評価に一喜一憂してしまう。それこそが最も愚かなことなのに。

会社が何と言おうが、プロジェクトと関係ないメンバーが何と言おうが、自分がそれでよければそれで良いんですよ。自分が精一杯考えて判断したんだから(だから誰にも謝罪をしなくて良いということではないですよ)。

クライアントのためを思って、「いまは、採算度外視で付き合うべきだ。それが自社のためにもなる」と判断したなら、それでいいんですよ。結果として会社に怒られる結末になるかもしれないけど、自分のディレクション論としてその判断が正しいと思うなら、それで良いのです。
もちろん、会社員である以上、会社の指示には従わなければならないので、自分が悪い。でもそれは、謝れば良い。自分はそれが会社のためだと思った。でも会社がそうじゃないと訴えることは受け入れる。だから謝ると。

そしてもし、(会社が何と言おうと)本当にそのときの判断が正しいと思うなら、ディレクションに対する哲学が合わないので転職したほうが良い
もちろん、会社に言われた結果、自身の判断が誤っていたと思うならそれもまた謝れば良い。そして次は正しい判断ができるように振り返り、会社と相談すれば良い。

ただそのいずれも、「自分がリスクをとったこと自体」が悪いわけじゃないんですよ。少なくともディレクターたるもの、判断を求められる仕事であるのだから、常にリスクはつきまとうわけで、全くそれに失敗しないほうがおかしい。

リスクを取れと言ってるわけじゃない。
「そのとき、リスクを取るも取らないも、究極的にはあなたの自由だ」と言ってるだけで。

そして、その自由の中から判断することこそがディレクターの仕事なので、そのためにはまず、自分なりの成否基準=自分としての(働き方含めた)正解を持ってないと判断できるはずもない、という話でした。

 

最後に:仕事で潰れてしまうすべての人へ

これね、Webディレクターだけじゃないんよね、ほんとは。

Webディレクターという仕事が、よりその判断力を求められるというだけで、仕事をするすべての人が、主体的に、自分で判断をしていくべきだと思うわけです。

僕らは、幸せになるために仕事をしているんであって、仕事をするために生きてるわけじゃないんですよ。

でも、日本人は従順で真面目だからなのか、自ら決断するリスクを恐れるからなのか(おそらく両方とも正解だと思っている)、会社の言いなりになり、なぜか「仕事」が「幸せになること」より優先されて、潰れてしまう。

良いんですよ、失敗したって。というか多少背いたって(笑)。それで会社は怒るかもしれないけど、怒られたら謝っておけば良いし、悪いと思ったのなら他で挽回すれば良い。会社が言うことが絶対じゃないし、それで潰れたら、むしろそれの方が会社に迷惑かけるんだし。

 

そして、自分だけじゃなく他の人もそういう思考で働いているということを、ディレクターやマネージャーは絶対に忘れてはならんのですよ。

すぐね、言っちゃうから。

「仕事なんだからやって当たり前」

って。

当たり前じゃないから。

デザイナーだってエンジニアだって、クライアント担当者だって、その人の幸せのために働いてるわけで。指示されたからって、やるかどうかはその人次第で。その人が、会社から多少怒られてでもやりたくない、他にもっと大事なものがあると思ったら、やらないわけで。

仕事と幸せと、主従が逆転しないようにしましょうぜい。

仕事で潰れるなんて、そんな馬鹿馬鹿しいことないですよ。