笑顔を創りたいWebディレクターの日常

某事業会社勤務のWebディレクター。つまり「なかのひと」やってます。Web業界からひょんなことで専門学校の先生に。そしてまたWeb現場に戻ったWebディレクターのブログ。

成長意欲のない若手、じゃないでしょーよ。

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こんばんちは、スーパー太っちょWebディレクターです。
スーパーは太っちょにかかります。

僕はWebディレクターでありチームのマネージャーなのでありますけどもね。そこかしこで聞きますね。

  • 最近の若手は向上心がない
  • 意識がとても低い
  • 若手に限らず、成長意欲がない奴が多い

とか。

まあ、わかるんですけどね。

僕だって思う時はあるので。

 

「いやぁ、それ、やる気があったらもうやってるよねぇ」

 

っていう。
渡した本を読んでない、とかね。

だが、そういう人をどうにかするというのが、マネジメントだろ?っていう、

そう言うことが言いたいんじゃないんだわ

そうだけど、それ以前の話。

 

 

 

そんなわけで、うぇぶぎょうかいのむめいでぃれくたーのお時間です。

 

■目次

 

 




 

成長意欲とか向上心って必要なんすか?

必要だろって言うんですけどね。

おっさんおばさんや暑苦しい社畜な人は。

 

えっ、

なんで?

成長意欲っておいしいの?

無いとどうなるの?

給料上がらず儲からない?

儲からないと何が問題なの?

えっ、

儲かる必要があるかどうかって誰が決めるの?

仕事だから、成長意欲を持って当たり前?

えっ、

なんで?

えっ、

仕事だから?

えっ、

人の話、聞いてますか?

 

いやぁ、なんで必要なんでしょうね。成長意欲。

いや、まあ、わかりますよ。

成長しないと、自分は歳を食うし、若い人は入ってくるし、若い人が同じことできるようになっちゃうと、自分と同じ給料になって、そのうち自分が会社から「いらないね」ってポイされちゃうかもしれないしね。

 

えっと、それの何が問題なんですっけ・・・?

 

 

仕事なんて人生の一部でしかない

だから、仕事に人生を賭けるなんてバカバカしい。

と、思ってるわけじゃない。

いやそんなものは、仕事に人生を賭けたい人は賭ければいい。自分の人生なんだから好きにしたら良いわけで。

それすら、その人の自由だ、ということが言いたいのであります。

要するに、幸せなんてのは人それぞれであって、どれだけ仕事に時間を使うかも人それぞれ。1日3時間しか働かなくても生きていけるならそれでいいし、それで本人が幸せならそれでいい。1日3時間しか働かないとまともに食っていくのはキビシイと思うけど、それでもいいならそれがすべてで、誰かが文句を言うことではないはずで。

僕とて働かなくて良いのなら一切働かないのであるが(ブログは書いてるかもw)、生きていく、人生をエンジョイするにはそれなりにお金が必要なので働いているに過ぎないわけでして。

僕はまあ、そうはいっても嫁も子供もいない独身貴族というやつでして、言うなれば「結婚もせず家庭も持たずに仕事ばかりしている奴」と世間からは見られるわけだけど。うるせぇ勝手に僕の人生を決めるな、僕がそうしたいのだから、それでええやろがい。

 

同じこと、のはずなんですよ。

 

うるせぇ上司、若手や他人の「どんだけがんばるか」をおまえが勝手に決めるな。

 

っていうことで。

勝手に決めちゃダメでしょ、そりゃ。

 

 

成長意欲を持つ前提で話をするのが間違っている

っていうと、多くの老害さんは「そーだそーだ!人それぞれで意欲を持てない人もいるんだから、そこから話を始めるべきだ!」とか言うんだけど。

 

だから、ソウイウコトジャネーノヨ。

 

「成長意欲を持つ前提で話をするのが間違っている」

であって、

「成長意欲がある前提で話をするのが間違っている」

ではないのでありまして。

 

「〜がある前提なのは間違っている」

だと、これは「ない人もいるんだからそこをスタートラインにすべき」になる。

で、そうじゃないのですお。

「〜を持つ前提なのは間違っている」

なのです。

現時点で「ある/ない」ではなく、今だろうが未来だろうが「持つ前提」で話をするなと。

  

つまり「(成長意欲を)持たない人生だってあるでしょ」と。

 

まず、話をそこからスタートすべきなんですよ。

だって、その人の人生で、その人の自由なんだから。

成長意欲を持とうが持つまいが生きていければいいのだし、なんならそれで明日食うのに困ろうとも、それすら本人の自由で。リスクをとってそういうことをしたいなら、すればいい。

  • 仕事なんだから成長意欲があって当たり前。
  • 仕事なんだから成長意欲を持てるようにするのが当たり前。

その時点でもう、自分の価値観でしか物事を見れてないんですよ

マネジメントも後進教育も、そしてプロジェクトにおけるディレクションも「相手」がいて、その相手こそが中心なのに、自分の価値観でしか物事が見れず、それを相手に押し付けているのだから。
(同じような話で、Webディレクターが言いがちな"仕事なのにちゃんとやってくれない"がありますね。納品物のクオリティは事前に決めるべきで、ディレクターのお気持ちで勝手にきめちゃいけません)

そんな人が、まともなマネジメントもディレクションもできるわけがないですね。

価値観の押し付けからスタートしてるんだから。

 

 

その人をどうするか、でしかないはずで。

基本的にこれしかないはずなんですよね。

他に考えることは一切ない、と言ってもいいぐらい。

いま、目の前にいるその人が、成長意欲がないとして。

そんなものに良いも悪いもない。

「その人は、そうなんだね」というだけの話で、もともと本人の自由なんだから。

 

たとえばその人に成長意欲を持ってもらわないと困るとして。

であるならば、「いったい何をしたら、彼は意欲を持ってトライできるのか」を考えるだけの話でしょう・・・?

なおいえば「いったい彼は、なぜ仕事に意欲を持つことができないのだろう?」とその人を観察することからはじめるべきで。

 

そのためにも「成長意欲はあって当たり前」「持たせて当たり前」なんてのは明らかに間違ったスタートラインですやね。

その人が何に興味を持って、どうしたいのか、仕事が人生のすべてではないわけで。ならば、その人は、どうしたら(意欲の部分での)仕事の割合を増やしたいと思うのか。

そして、どうしてもその人が仕事の割合を増やせないなら、それはそれ、であって。じゃあ相応の仕事を渡したり、べつの"仕事がんばりたい人"にもっとまわしたりすればいい。

 

最初から自分の価値観に凝り固まって相手を見ている時点でもう失敗してる話だし、どこまでいこうがなんだろうが「この人がどういう人で、じゃあどうしましょうか」でしかないと思うんですよね。

 

自分の価値観なんかどうでもよくて。

何が当たり前かも、どうでもよくて。

その人に対して、どうするか、それだけだと思います。