笑顔を創りたいWebディレクターの日常

某事業会社勤務のWebディレクター。つまり「なかのひと」やってます。Web業界からひょんなことで専門学校の先生に。そしてまたWeb現場に戻ったWebディレクターのブログ。

ディレクションという名の「不幸の転売」。

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こんばんちは、スーパー太っちょWebディレクターです。
スーパーは太っちょにかかります。

「このプロジェクトのディレクターは私です」

って言いながら、上から言われたまま流すだけだったり、金出す人にいい顔するだけだったりして、是正すべきことを放置するどころかデザイナーのせいにするようなディレクター、いますねぇ。

まあ、ゴミですねぇ。

ああいう人がなぜ生まれてしまうのかというと、若かりし頃(もしくは若い現在)にきちんと教育を受けてこなかったからなんですよね。いや、教育を受けんでもわかれよとは思うけど、まあ、それは本人の能力に頼りすぎということにしておきましょう。

 

僕はもうずっと、Webディレクターとして後進の人たちに、だからこういう話をするわけなんよ。

 

「君が今やってるのは、不幸を転売して金を稼いでるわけだが、それ良いのかい?」

 

加えてこうも言いますね。

「そんなものはディレクションではない。ただただ費用を発生させるだけの邪魔者だ」

と。

 

そんなわけで、うぇぶぎょうかいのむめいでぃれくたーのお時間です。

 

■目次

 

 




 

そもそも(Web)ディレクターはなぜ存在するのか

 

まあ、そりゃ「必要だから」なんですけども。

では、なぜ「必要」なのか。

 

というか、逆の話をしましょうぞ。

 

僕はこんなブログを書きながら、実はWebディレクターという存在に否定的です

Webディレクターという職業が嫌いなわけでも、本当は不要だ、なんてことも思ってない。

むかーしですね、「イヴ」というTVドラマがあったのですよ。1990年代後半に。
唐沢寿明が主演で型破りな精神科医、その精神科医の診療を受けるヒロインの葉月里緒菜(超お嬢様という役)。そしてそのお嬢のお世話をする執事(いわゆる「じいや」)のいかりや長介。

たしか最終回あたりで執事のいかりや長介が、電話で唐沢寿明演じる精神科医に言うんですよ。

執事「あなたは、実は精神科医というものを否定している。本当は、世の中がもっとちゃんとしていれば、精神に病む者もなく、精神科医なんて職業は不要なのだ、と」

※記憶で書いてるのでセリフはニュアンスとしてそんなことを言っていたと捉えてください

 

僕がWebディレクターという職業に否定的なのは、これと全く同じ論理。
人間がもっと完璧だったら、いや、それはさすがに絵空事だとして、各フェーズを担当する職人たち(そこには依頼者も含む)が、しっかりと言語を扱い意思の疎通ができれば、ディレクターなんて職業は本来は不要だと思っています。

いやまあ、無理なんですけどね。
人間がお互いの脳みそを完全に共有できるようにでもならない限り。

つまり、そうできないから、Webプロジェクトには"Webディレクター"という職種が必要なわけですやね。

人間と人間が集まり、一つの方向に歩を合わせながら物事を進めるには、それを導き、障害を取り除き、そのために関わる全員から信頼を得る人が必要で。

逆に言えば、それができない人なら不要なんですよ。邪魔でしかない。

まあ、あたりまえなんですけどね。

デザインができないデザイナー、要る?っていう。

 

 

それは、「不幸の転売」だ

クライアントが無理を言う、意味のない修正を繰り返す、変更指示を一回にまとめない。

  • 「クライアントが言ってるんだから」
  • 「仕事なんだから」

こんなことを言う人は、ディレクターとしてはもちろんビジネスパーソンとしてもポンコツで。

クライアントが言ってるからやらなきゃいけないわけじゃない。

仕事だから絶対にやらなきゃいけないわけでも、ない。

仕事とはいえ本当にやりたくないなら、そしてそれによって低評価を受けることも良しとするなら、やらなければいい。というか、仕事だから〜と言って、じゃあアナタは上司が人を殺せと言ったら殺すのか、というねぇ。

当たり前だけど、上司が人を殺せと言ったのならそれは止めるべきだし、最悪の場合でも「自分はそれに手を出さない(やらない)」というのがあるべきで。

クライアントが間違った指示、デザイナーの尊厳を踏みにじるような指示を出したなら、それを止めるのがディレクターの仕事であって。無論それは、デザイナー個人のためだけではなく、そのプロジェクトの、その会社のためであって。

それをせずに、クライアントが発した理不尽をそのままデザイナーに渡すというのは、クライアントが生み出した「不幸」を何にも抗いもせず受け渡し、金銭を受け取っているわけで。

こんなのは、「不幸の転売」なんですよ。

ディレクションじゃない。
誰かが生み出した不幸を、自分の人件費を上乗せして他の誰かに流してるだけだから。ほら、転売でしょう?

何が問題って、これならむしろ居ない方がいいんですよ。

だって、そのWebディレクターの人件費分だけ、無駄にお金かかってるのだから。どうせそのまま"不幸"がデザイナーに届くなら、さっさとデザイナーが直接クライアントとやりとりすりゃあ、良いわけでして。

キッザニアじゃねぇんだから、何にもしてないのに給料だけは受け取るなんて、何のおままごとなんだよ、っちゅう話で。

 

何のために、そこにいるのかを問うべき

「そもそも(Web)ディレクターはなぜ存在するのか」で書いた通り、存在する理由があるのですよ。

不幸の転売をして仕事したような気になっている産業廃棄物なディレクターは、そもそもそれを考えてない。

「自分は、なぜ、このプロジェクトのこのポジションにいるのか」

それを考えていれば不幸の転売なんぞしない。そりゃだって、そのままじゃそこに居る意味がないんだから。むしろスケジュール的には間に入るぶん邪魔でしかないし。

自分の存在意義を出すために変化を生み出すと言うのは、それはそれで大問題なのだけど、とはいえまだそれのほうが救いがある話で。

 

自分はなぜそこにその職種で存在して、それはプロジェクトの何に貢献するのか。

 

それを考えられないWebディレクターが、不幸の転売をします。

で、悲しいかな、そういうWebディレクターは、そういう人なので、ドキュメントワークも、会議のファシリテーションも下手クソです。なぜなら、「このドキュメントは、誰の、何のために、なぜいま必要なのか」を考えられないから。自身が不幸の転売をしてることに気づかないのだから、そりゃ無駄なドキュメントにも気づかない。悲しいお話ですねぇ。

 

なので、Webディレクターたるもの、不幸の転売だけは絶対にやめましょう。

それは、もはやプロジェクトにおいて自分自身の存在をゴミと化す行為なので。

 

そして何より、そういうことがいかにダメなのかを、みんなで共有し、後進がちゃんと育つようにしたいものですね。

 

ま、僕ができるのなんて、自分の周りにいる人をどうにかする程度ですけども。