※この記事は現役Webディレクターが書いたもので、医師の判断が入ったものではありません。精神的に辛い状況にある方は、この記事を鵜呑みにせず、医師の判断を仰ぎましょう〜。
こんばんちは、スーパー太っちょWebディレクターです。
スーパーは太っちょにかかります。
とかく、Webディレクターというのは板挟みになり(って捉えるの嫌いですが)、失敗&責任と日常的に隣り合わせで、精神を病みやすい。
僕もプレッシャーに晒されることは多々あるし、なんなら「追い出し部屋」をされたこともあるです。
アラフォーになって「お前は新卒より仕事ができない」「どの部署もいらないって言ってるけどどうするの?」とか個室で2時間ぐらい詰められて。
※ちなみに「どの部署もいらない」っていう話はその頭のおかしい上司の嘘で、後から聞いたら全部署からスカウトきてました。
そういうのもなんとかして生き抜いてきたオッサンが今のワテクシなのでありますが、まあ、つまりメンタルは強い方だとは思う。ただそれは、無尽蔵に精神的スタミナがあるわけじゃなく、自分との付き合い方が上手いのだと思っておりんす。
今日は、その方法をブログに記しておこうと、そういうことであります。
そんなわけで、うぇぶぎょうかいのむめいでぃれくたーのお時間です。
■目次
- ステップ0:何のためにメンタルを引き上げるのか考える
- ステップ1:凹んでいる自分を受け入れる
- ステップ2:自分が"何に"傷ついてるのかを考える
- ステップ3:その原因は防げたのかを見極める
- ステップ4:その傷は自分にどこまで必要か考える
- ステップ5:どうしたら、その傷を変換できるか考える
- まとめ
- おまけ:これができると他人も助けられる
- 追記
ステップ0:何のためにメンタルを引き上げるのか考える
本来は不要なのだけど、意外とここで躓く人は多い。一番肝心なここがないままこの後のステップを実践したところで、目指すべきゴールがあやふやなのでうまくいかなかったり、逆に潰れたりしてしまう。
「メンタルを引き上げるのに理由が必要?」と思う人はたくさんいるのだけど、理由は必要で。というより、おそらく「前向きでいなければならない」という思い込みが強くて。
べつに困らないなら、低空飛行メンタルのままでも良いんよね。
メンタルが低空飛行だとたしかに辛いっちゃつらいのだけど、人生生きてりゃ辛いこともある。時間が解決するものも多々あるし、その時間を待つのだって悪くない。待つのがなぜダメなのか。
次に良い結果を残すために、メンタルを引き上げるんですよね。では、なぜ良い結果を残すためにメンタルを引き上げる必要があるのか。
それは、メンタルが前向きでチャレンジングスピリットに溢れ、状況を楽しんでいるときの方が自分のパフォーマンスが高いから。
つまり、さらに端的に言えば、
「今および少し先において、自分のために、メンタルをどこに持っていくべきか」
これを見失ったままだと、何をやってもダメなんよね。
そして、この時点ではここは"仮の結論"で良いと思います。
なぜなら、この後のステップを踏むことで変わるから。
「あー、凹む。このままじゃまずいと思うんだよなぁたぶん。さて、どうするか」
で、良いと思う。
ステップ1:凹んでいる自分を受け入れる
まず、とにかくこれ。
そして、潰れていくWebディレクターはこれが大変に苦手。凹んだことを受け入れられない。もしくは、凹んでいる自分はダメな自分で、いますぐ変えないといけないと思っていたりする。
まあ、そんなこと思うだけ無駄だと思う。
だって、凹んでいるのは事実なのだから。そこにあるすでに起きている現実を否定してもしょうがない。そもそも、凹むことは別に何も悪いことじゃないし、なおいえば(世界中のほとんどの人は興味がない)自分のただの感情に過ぎないのだから。
しかし、一方でここを踏まえないと絶対にこの先には進めない。
まあ、当たり前で。凹んだメンタルを引き上げようとしているのだから、そりゃまず自分が凹んだことを受け入れないと、引き上がるはずもない。
たとえば、クライアントとのミーティングをうまく仕切れなくて、クライアントに不信感を持たれてしまったとして。
Webディレクターがその事態を引き起こすというのは、はっきり言って寿司職人が寿司を握れてないぐらいには、責務がまっとうできてないことになる。そりゃへこむ。
「こんなのへっちゃらだぜ」もおかしいし、「失敗と思ってないし」もおかしい。それは事の大きさがわかってない。
誰だってやらかすことはあるし、それは自分にもあるし。大事なのは、その後どうするか考えることでなるだけ未来の被害を小さくすることで。やっちまったもんはしょうがない。良いとか悪いとかじゃなく、いま事実として凹んでいるのだから、
「そうか、いま、僕は凹んでいるんだなぁ」
と、まずは事実をそのまま捉えれば良い。
だって、そこからしか先には進めないのだから。
ステップ2:自分が"何に"傷ついてるのかを考える
自分が凹んでることを認めたら、「では、具体的に何に凹んでいるのだろう?」と考えると良い。
良いというか、ここがハッキリしないと対処方法も見つからない。
凹むと言うのは、だいたいにおいて「期待していた結果と(大きく)違う」から起きる。それが自分起因なのか他者起因なのかの違いはあれども。たとえば、恋人に浮気されたというのは(この時点では)他者起因になりますねぇ。
それらを整理するためにも、まず自分がどこの何に傷ついてるのかを、明確にする必要がある。
たとえば、恋人に浮気されたとして、そもそもその恋人はそこまで「絶対に浮気をしないような人」だったのか。はたして、自分は前からそう信じていたのか。
先ほどのクライアントとのミーティングであれば、仕切れると思ったから凹んでいる。いや、本人(自分)に最初からその自覚があったかどうかはともかく、「こんな大きな会議、自分には無理だ」と思っていたなら、おそらくそんなには凹まない。できないと思ってたものがそのとおりできなかっただけだから。
つまり、そういうことなんよ。
「あの人、いつも同じことで凹んでる」っていうひと多いですが、それはここが間違っていたりする。毎度毎度、彼氏に浮気をされて凹んでいる人とか。周りから見れば「だって、そういう彼氏じゃん」となるのだけど、本人は毎回本気で凹んでいたりする。
これは「自分が"厳密に"何に凹んでいるのか」を理解してないから起きるのですよ。彼氏が浮気をしたからじゃなくて、「浮気をしないと信じていた」から凹むわけで。信じてなかったら凹まない。しかし、その厳密な違いに気づいてないから、毎回新鮮に傷ついていたりする。
Webディレクターあるあるな話に戻すと、こうなるわけなんよ。
「そうか、僕はあのミーティングを仕切れると思っていたんだ。それができなくて、いま凹んでいるんだな」
oO( なお、この復活5ステップに慣れてくると、このタイミングで「ふふっ、我ながら横柄なやつやで・・・w」と思いがちw )
ステップ3:その原因は防げたのかを見極める
さて、自分が具体的に何に凹んでいるのか気づいたら。
次は、それが防げたのかを考える。
ただこれも、単純な解決策を練るのとは少し違う話で。
最も大事なのは「それは、自分にできたのか」の観点。
たとえばそのクライアントミーティングを仕切れなかった理由が、クライアントからの議題とは直接関係ない質問の嵐に、答えられなかったことだとして。デザインの話なのに、広告の質問をたくさんされたりして。(あるある・・・)
ただ、このとき自分にもともと広告の知識がなければ、答えられなくてもそこまで凹まない(というか、それならそれで諦めるしかないし、そう捉えれば良い)。
だいたい深く凹むのは、Web広告については多少の知識はあったのに具体的なところまでつっこまれ、それに答えられなかったとき。自分は、できたはずなのに!広告のことだってそれなりに学んでいたのに!と。
しかし、具体論までいくと、それはだいたい準備が必要で。簡単に言えば「このWebサイトに必要な集客部分まで考えておく」とか。もしくは「明日ミーティングに出てくるクライアントの部長さんは、デザインより集客の方に興味がある」と予期しておくとか。
これね、無理なんですよ。
「多少でも、そのことについて考えておけば防げた」ということは多々ある。とくにWebディレクターという職業は。でも、そういう危機に対して適切にアンテナが作動するからベテランは、ベテランなのですよ。
たとえば、出かける前にガスの元栓をしめる、とか。
こんなの簡単なんですよ。中学生どころか、やり方をしっていれば幼稚園児でもできる。でも、「旅行など長期外出の際には、ガスの元栓を閉めておこう」という意識は、幼稚園児には持てないんですよね。その時点で「出かける前にガスの元栓をしめる」は、幼稚園児には「できないタスク」なんですよ。
はっきり言ってしまうけど、大きく凹んだときなんてだいたい「自分にはできなかったこと」なんよね。
「自分にだってそれなりの広告知識はある!」と思っていたとしても、「では、ミーティングの事前に"次に出てくる部長さんは何の質問をしそうか"を改めて考える意識を持っていたか?」となると、Noなんですよね。というかその意識があれば準備しているはずで。
こうなると、それは幼稚園児の「ガスの元栓」と同じように、「自分にはできなかったこと」なんですよね。
これはメール送信一つとっても同じで、ミスが少ない人というのは確認する意識を強く持っている(ちなみに僕は、ほんとに指差し確認をしています)。「自分に(当時)その意識があったか?」と問うてNoなら、それはもう「起きるべくして起きた事故」であって、しょうがない。
ここを捉え間違えて、多くのWebディレクターが潰れていく。
「ミスすら防げないのか、自分は」
と。
本当は、その意識を持つにはものすごく経験が必要なのに。
だから、本当に突き詰めて考えて「それは本当に自分に防げたことなのか」と考えるべきで。そして、だいたい答えはNoで(笑)。ケアレスミスだったとしても、「ケア」が「レス」していることにも原因があるわけで、そしてケアレスミスなんてのは大概が起きるべくして起きているわけでして。
今の自分には防げなかったことなら、もうしょうがないんよ。
だから重く捉える必要がない、ということではなくて。しょうがないもんは、しょうがない。ただの事実。今の自分には防げないものだった、そしてそのとおり防げずに起きた。ただそれだけ。良いも悪いもない。
(ちなみにこれは、「もっと怠けずモチベーションでやっていれば防げた」でも同じです。「モチベーションを持てなかった」という事実があるだけなので)
ステップ4:その傷は自分にどこまで必要か考える
その原因は自分に防げたのか、防げなかったのか。
だいたいは「防げなかった」になるのだけど。(前述の通り原因が「怠けていたから」でも)
ただそのどちらにせよ、メンタルに関わるのはここから。
たとえば、例として出している「クライアントとのミーティングをうまく仕切れなくて、クライアントに不信感を持たれてしまった」について。
これは、Webディレクターとしてはそれなりに傷つくべきでしょうね。プロジェクトの先頭に立ってゴールまで導くのが仕事なのだから、そりゃ不信感を持たれるなんてのは最悪の状態で。
そう、人間には、成長するために傷をきちんと受けきる必要がある、そんな時があると思うんですよ。
しっかりと凹んで、できなかった自分に傷ついて、だからこそ「もうあんな想いはイヤだ」と思うからがんばれる。そんなときがある。
自分に必要な傷、というものがある。
もうあんなミーティングには出たくない、不信感をそのままぶつけられるような、あんな辛い会議をするのは嫌だ。そう思うから、次は準備するんですよね。
かといって、たかだかメール添付を忘れたぐらいで何日も食事が喉を通らないのは、重く受け止めすぎで。
※それは逆に言えば、自分を完璧人間と勘違いしている=自分の評価が高すぎる、ということでもある
ここで(も)、「ステップ0:何のためにメンタルを引き上げるのか考える」が関わってくるんよ。自分が起こしてしまった事態はどれくらい重いことで、そして次に自分が上手くやるためにこの傷をどの程度のサイズで受け止めるべきか。
すべては、起きてしまったことを悔やむことではなく、次に同じことを起こさないためにどうしたら良いか。そのためにすべての判断と行動をすべきで。
そしてこれは「会社がどう思っているか」「周りがどう思っているか」ではなくて。
自分が成長するために、自分の人生を豊かなものにするために「この傷をどのサイズで捉えるべきか」であって。仮に会社が「これはとんでもないことをしたんだぞ!」と言っても、それはただの"会社の都合"でしかないこともある。結構あるw。(雑に言えば「知らんがな」な話なことも)
なので、たとえばここまでの4ステップで「なーんだ、ちゃんと考えたらそこまで傷つく必要ないじゃん」と思うなら(それが正しいなら)、さっさと忘れるというのもアリだし、この4ステップを踏めば忘れることもできると思んます。
あんまり無いパターンだと思われがちだけど、そうでもなくて。
たとえば、自分にはだいぶ難しい規模のクライアントを任されていて、その結果として(突然に広告のことを聞かれて答えられず)不信感を持たれたならば。そんなの、無理ですからねぇ。もともとチャレンジ性の強い担当をされているのだから、
「んー、そうか、じゃあしょうがないじゃんw」
となるはずで。
ステップ5:どうしたら、その傷を変換できるか考える
その傷が大きかろうが、小さかろうが。
結局、復活というゴールに直結するのはここですね。
前述の「んー、そうか、じゃあしょうがないじゃんw」という"そもそも当時の自分には無理だったパターン"。
これでも実は、凹むには凹むw。そのままにしていると「ああ、ワイはあの先輩にはだいぶ負けていて、あかんのだ・・・」となってしまう。
でも、だからこそこれまでの4ステップが活きてくるし、大事なのです。
たとえば、こう捉えることができる。
「先輩には負けている。今回はそれがわかった。でも、そもそも負けているのは最初からわかってたこと。今回、その距離の一つが見えた。これは、そこまで強く傷つくことじゃ無いし、むしろ傷つく権利は、まだ自分には無い。
見えた距離を、これから詰めていくことこそが重要。どうしたら詰められるか?一つの方法が見えたのだから、次はそれを実践してみよう。傷ついてたって意味ないやで」
そう簡単に心は変わらないのだけど、でも、事実をつなぎ合わせ、自分が向かうべきメンタルの場所が見えれば、そう捉えられるだけでも心の向き方は変わると思うんですよ。
さて、なにより大事なのは"傷が大きいとき"ですね。
「俺はこんなこともできないのか」とか「どうしてあんなことをしてしまったんだ・・・」と落ち込んだとき。
でも、ここまでのステップを通ってきていれば、ある程度対処法も見えてると思うんですよ。
改めて並べてみましょうか。
- 0:何のためにメンタルを引き上げるのか考える
- 1:凹んでいる自分を受け入れる
- 2:自分が何に傷ついてるのかを考える
- 3:その原因は防げたのかを見極める
- 4:その傷は自分にどこまで必要か考える
自分が今なぜメンタルを引き上げなきゃいけないのかがわかっていて、具体的に何に傷つき、それが防げたかどうかも見極め、どの程度傷つくべきかわかっていれば。あとはもうそれらに沿って対処法を決めるだけじゃないですか。
大きく傷ついて、それは今の自分には防げるものではなかった。
しかし、かといって軽く流して良いほどのものではなく。
だから、深く傷を受け止める必要はあるが、とはいえ明日からいきなり元気満点でいる必要もないのなら。
だったら、「いまは凹み続けよう」という判断だってアリなんよね。
永遠に落ち込んでるわけにはいかないけど、永遠じゃないのなら、今はちょっと辛いけど、辛いなぁと思いながら日々を過ごしてみよう。そういう傷との付き合い方だってある。
時間が解決してくれることは多々あるし、どうしたって時間が必要なら、その時間を待ったって良い。
とはいえ時間が過ぎるままに落ち込んでるわけにはいかない時もある。
であるならば、では、どうやってその時間に抗うか。
そして、いつ頃までに、前向きになっているべきか。
もちろん、そう簡単にはいかない。
「来週の水曜までに」と決めたところで、心はそんな自由自在にはならない。
けれども、そういうゴールを設定し「じゃあどうしようか?」と考えることはできる。そうして、抱えた心の傷とうまく付き合いながらも、
「よし、でも、俺はもうわかったぞ。こうやってどうしてできなかったのかはわかったから。次はうまくやるんだ。いますぐこの傷は消えないし、しばらく居座るだろうけど、でも、少なくともこの傷を知らなかった俺よりは上手くできるはずだ。
次は絶対にこれを試してみるんだ。そうしたら、また失敗したとしても今の俺とは違う何かがあるはず。次に行けるんだ」
と、受けた傷を、「むしろ傷を受けたからこそ次にいけるんだ」と変換をしてみる。ステップを踏むことでその土壌ができると思う。
逆に、この4ステップ、とくに「ステップ0:何のためにメンタルを引き上げるのか考える」を通らずに、傷ついた自分をすべてダメだと断じて、無理に前向きになろうとして潰れる人を何人も見てきたんよ。
傷ついたり凹むことは、何にも悪いことじゃない。
そもそも、こんなものは自分の感情に過ぎない。
たしかに、傷ついたり凹んだりとメンタルの落ちている人と、接するのがしんどい人もいる。そういう意味で、凹んでいる自分はまわりに迷惑をかけていると、捉えることもできる。
しかし、では、「一生絶対に傷つかない人」なんているのだろうか。そんな人はいないし、そんなのは感情の欠落した人で、むしろ最も"一緒にいて楽しくない人"で。
大事なのは、いつまでも凹み続けないことで、そして幸せでいることで。
いつか、とても近い未来で幸せでいるために、"いまは凹む時"ならばそれはしょうがないし、それこそが幸せへの最短距離のはずで。そしてそれが、まわりの人のためでもあるはず。
まとめ
結局のところ、自分のベストを尽くすとはどういうことなのか?を突き詰めるだけなんですけどね。
いま傷ついている自分がいて、じゃあ、このあとの自分として、パフォーマンスを発揮するために、どういうメンタルバランスになるべきなのか。自分のパフォーマンスが最も良い時は、状況を楽しんでいるとき。じゃあ、そのメンタルになるには、どうしたら良いのか。そもそも、そんなにすぐにそうなる必要があるのだっけ?と。
できないことは、できないじゃないですか。
いくら、「最高のパフォーマンスを発揮するには、状況を楽しめるような、前向きなマインドになるべき」だったとしても、何かをやらかしてしまった後、すぐ翌日にそうなれるわけじゃない。なれたらいいけど。
じゃあ、どうしよっか?
自分に対してしっかりそれを問い続けるだけだと思います。
Webディレクター、しんどいけど(って、だから僕はもうそう思うことはほとんどなくなってしまったのだけどw)、みんながんばっていこう!!!
おまけ:これができると他人も助けられる
この5ステップが自分にできると、同じように他人、つまり友達や後輩を助けられるんよ。
それはそれで、Webディレクターにとっても、人としても、とても大事と思う。
たとえば、事故を起こしてしまった後輩に対して、こういう話ができる。
「見る限り、だいぶ凹んでるんじゃない?あんまり眠れてないように見えるよ。もう、そこまで凹んだなら、もういいよ。もう、キミはそれについて忘れて良い。もうじゅうぶん傷ついたから、君はもう大丈夫だよ。しっかり心に刻んだから。この週末は、何もかんも全部忘れて、休んだり遊んだりしたらいい。僕が保証するよ。もういいんだ。だいじょうぶ」
先輩や上司がこのたった一つの話をするだけで、救われる人がいる。
僕は、たぶん、これを後輩に言えるためにここまでがんばってきたのかな、と思いました。
追記
また名村さんの「Webディレクションやってますラジオ」に出ます。
↓のフォームにてご質問も受け付けされているようなので、この機会に聞きたいこと(というよりtoksatoに名村さんを介して恥ずかしめたい喋らせたいこと)あればお気軽に送ってくださいまし。
好きなホルモンの部位以外は何でも答えるので*1、是非待っております。
*1:名村さんのラジオでそんなくだらないことを聞いてはいけない