笑顔を創りたいWebディレクターの日常

某事業会社勤務のWebディレクター。つまり「なかのひと」やってます。Web業界からひょんなことで専門学校の先生に。そしてまたWeb現場に戻ったWebディレクターのブログ。

仕事における「教育」とは「思考のプロセスを紐解く」こと。

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安定の月1更新でございます。

FC2さんにいたときに強制的に広告が出るあれがとてもなつかしゅうございます。

というわけで、今日は(も?)お仕事における教育の話。

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※「パイセン!どこいくんすか!」「だまってついてこいや」みたいな感じがしたのでこの写真を使ってみたw

お仕事の教育において大事なことは

toksato.hatenablog.com

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あたりでも書いてきていて「ブレないハードル設定」とか「プレッシャーのかかる場をつくれ」とかそういうことを書いてきたわけですが、合わせて「思考のプロセスを紐解くこと」が大事だと思うわけです。

そんなわけで、うぇぶぎょうかいのむめいディレクターのおじかんです。



 

 僕らの仕事の大半は、「判断(決断)すること」なんですよね。デザインだってコーディングだって。どこにどんな色を置こうか、どうやってCSS設計しようか、と判断の繰り返し。

Webディレクターの場合はもっと顕著ですね。自分で手を動かしてものをつくるわけじゃないからこそ、基本的には「判断すること」がディレクターのもっとも重要な仕事なんだろうと思います。

 

で、よくいろんな会社で目にする光景で良くないなと思うのが「これはこうだから、こうすべきだろ」と指導しているシーン。当然、最終的にはそういうことを言わなきゃならんのですが、これは本当に最後の最後にすべきだと思います

 

「プレッシャーのかかる場をつくれ」
と書いたけれども、だけど、その場をつくったあとのフォローをちゃんとしないと全く意味がなくて、そしてそのときに「ああいうときにはこうしろ」ってすぐに言っちゃいけないんですよね。再現ができなくなるから

 

いずれは似たような場面に出会ったときに、自分一人で判断ができるようにならないといけないわけです。ということは、その「判断力」を養わなければならない。ならば、そのときに与えるべきは最終的なアウトプットのモデルではなく、そこに至る判断ポイント、基準、考え方を渡さなきゃいけない。

 

でも、考え方というのは「こう考えろ」では身につかないんですよ。なぜならそのときに相手は考えてないし、その時点でもう「思考」ではなく「テンプレ」を渡してるだけだから。

 

「クライアントがどうしても公開日を1日手前にしたい、というので、仕方ないですがHTMLコーディングの時間とチェックの時間を削って1日短縮してもいいですか」

こんな相談を毎日のように受けます。
クライアント都合なんだからそのまま聞く必要はないし、でも困ってるんだからできる限り対応してあげればいいんですが、その対応方法が結局エンジニアに努力させる方法一択というの褒められたものではないですね。こういうのは僕はディレクターの怠慢だと思っていて「それは、不幸の転売をしているだけだ」とか言っています。

でもこういうときに「それは怠慢だろ」「クライアント都合なんだから断ることもできるし、やるにしてもクライアントの確認期間を短くするということだってできるだろ」とすぐに言ってはいけないんですよね。

そういうことをしていると、次に同じ場面に来た時に、何の躊躇もなく「御社側の都合なので、確認期間を短くしてください」とか言ってしまうディレクターができあがります。

こういわないといけないんですよね。

 

「ふむ。べつにそれでもいいが、なぜそうしようと思った?」

 

「どうしてその判断に至ったのか」という思考プロセスから紐解かないといけないんです。そこに、その道筋に誤りがあるのだし、そのときにどう考えるかという「思考法」を伝えなければならないから。思考法は、本人の脳みそと付き合わないと身に付きません。

「そこはドリブルじゃなくてパスだろ!」じゃわからない。

「そこはこういうシーンでこっちから敵が来ていて、負けているんだからパスですぐに前へ運ばないとダメだろ」これでもだめ。

 

「どうしてそこでドリブルをしようと思ったんだ?」
こう聞いて、「ここで一人かわせばビッグチャンスになると思ったから」というかもしれません。そうして初めて、こういう話ができる。

「なるほど。たしかにそこで一人かわして、なおかつお前がボールを持ったままでいられたら大きなチャンスになったかもしれないな。あながち間違いではないのかもしれない。でもな、もしそこで、ハーフライン少し超えたそこでお前がボールを奪われたらどうなる?それを考えてみたか?残り時間、点差、考えてみよう」

「改めて考えて、どうだ?それでもドリブルか?」

 自分の考えのどこが足りなかったのか、判断するプロセスの中でどこが間違っていて、どこは正しかったのか。どういうところでインプットをして、どういうところで選択肢を持たなければならないのか。

 

「はっ!自分の判断プロセスにはここが足りなかったのか!」

 

こういうことを気づかせないと、次に同じシーンが来ても判断ができないんですよね。

 

だから、上司、マネージャー、という人間はどんなに偉くて、どんなに実力差があろうとも、まずは相手の話を聞く、真摯に、謙虚に、もはや「もしかすると自分の知らない何かを思いついているかもしれない」というぐらいの姿勢で耳を傾けないといけないと思うし、それができない人は教育に携わるべきではないと思います。

 

こういう風に言うと「そこまでつきあってられない」とよく言われます。

 

うん、じゃあ、教育しなきゃいけない人を採用しちゃだめだよ。

 

とてもとても時間がかかります。

本当に、大半のことはもう自分の中に答えを持ってます。それを言えば、その場はすぐに終わるし、それを部下も記憶はしてくれます。でも、それだと次の似たようなシーンで正しい判断ができません

だから、待たなければならない。
相手が何を思い、何を考え、どうしてその判断に至ったのか、それを話しきるまで、僕らは絶対に待たなければならない。

 

そしてこれは、もう一歩先の教育にもつながります。

それは、

 

 

「ああ、そうか。自分で考えて答えを持ってこないといけないんだ」

 

という意識をつくること。

答えをすぐに教えちゃうと、「わかんないときはあの人に聞けばいい」となって、いつまでたっても判断を仰ぎに来ちゃいます。↑で書いたのもそういう部下ですね。そのときに、何度でも何度でも「どうしてそう思った?」と問い「こういう風には考えられないか?」と返すことで、「自分で考えてもっていかないと、またつっこまれる」という危機感を持ってくれます。実は、それが一番大事だと思うんですけどね。

 

 

また、思考のプロセスを紐解くといって、しかし姿勢が伴ってない人も良く見かけます。もう初めから「どうして(そんな)判断をしたんだ?」という風に、間違ってることを決めつけるようにヒアリングをする人がいる。ダメですね。部下には部下なりの考えがある。そして、その判断が誤っているとしたらそれは考えが間違っているのではなく、その前のインプットや、仮説の狭さ(広さ)が間違っているだけです。考えそのものは間違っていないことが多い。だから、真摯に謙虚に、こう問うべきだと思います。

 

 

 

 

「なるほど、それもありかもしれないけど、どうしてそう思った?」