笑顔を創りたいWebディレクターの日常

某事業会社勤務のWebディレクター。つまり「なかのひと」やってます。Web業界からひょんなことで専門学校の先生に。そしてまたWeb現場に戻ったWebディレクターのブログ。

あの時、たしかにそこに”日本を代表する者”がいたと思うんだ。

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※全ウイイレファンも読むといい

この記事は「インターネット老人会 Advent Calendar 2023」11日目の記事です。

 

というわけでこんばんちは、スーパー太っちょWebディレクターです。
スーパーは太っちょにかかります。

 

↑の自己紹介どおり、僕の本業はWebディレクターでして、とある大手企業のEC部門で自社ECサイトの運用やそれに関わるWeb制作なぞをやっております。つまり、お仕事もインターネットなわけでございます

 

そんな僕がインターネットに出会ったのは1999年。

専門学校生であった。

今日は、その当時を振り返りつつ、「あれは、あの時代だからこそ起きたことなんだろうなぁ」という、ひとつのエピソードについて書き残しておきたい。

 

そんなわけで、うぇぶぎょうかいのむめいでぃれくたーのお時間です。

 

■目次

 

 




 

 

 

1999年、インターネットと世の中。

当時、僕は専門学校の1年生。高校卒業したあとのボーイ。19歳になるボーイ。そんなボーイ。

1999年というと、結局訪れることのなかったノストラダムスの大予言が有名だろうか。来なかった恐怖の大王。どっちかっていうと就職氷河期でそっちのほうが恐怖だった。

「どうせ7月には世界が滅亡するのだから、がんばったってムダ」とかいって勉学にも勤労にも励まない民がいた。

僕の周りにもいた。バカだと思った・・・と言いたいところだけど、当時18歳の僕にはノストラダムスなる髭モジャおじさんの言うことを信じることも、信じないこともできなかった。要するに、ただ単に勇気がなかっただけ。よくわかんないけど、未来は続くっぽいし、続かないのかもしれんけどよくわからないし、まあ普通に学校行っとこ、バイトしとこ、ぐらいの。どちらに振り切る勇気もなかった。

ちなみに、僕はサッカーファンなのであるが、1999年というと20歳以下のワールドユースで、先日現役を退いた小野伸二を中心とする「サッカー黄金世代」が準優勝をする年だったりする。彼らは僕の一つ上で、それはそれはもう、朝方の試合をTVで毎試合みていた。ドキドキした。前年に初めてフル代表がやっとW杯に出場して、グループリーグ3戦全敗したというのに、僕らの世代の盟主たちは、世界を相手に堂々と渡り合い、準優勝してしまうのである。なんてすごいんだ!と、思いながら専門学校に通っていた。

なお、その黄金世代の彼らはその翌年に、ヒデこと中田英寿ら先輩の「盟主たち」も加えてシドニー五輪でもベスト8に入ることになる。ヒデ、しょうがないけど、PK決めて欲しかった。あのチームはメダルを取れたと思う。

さて、この年には、日本のインターネットにおいても大変重要なサービスがリリースされていたりする。

 

iモード。

 

「日本国民」と「インターネット」の関係において、"一番最初に両者の距離を近づけたもの"があるとすれば、そのひとつはこのiモードではなかろうか。1999年当時、携帯電話によるメールは「キャリアメール」が存在したけど、インターネットに接続してネットバンキングをしたり・・・というような「いわゆるインターネット」な使い方はできなかった。それがこのiモードによってできるようになり、大ヒットする。

という歴史の話は今はそこまで重要じゃなくて、要するにそれほど一般家庭にインターネットが普及していなかった。プロバイダと契約してインターネットと接続している人はそれなりにいたけれども、ブロードバンド前で、まだ「ごく一部の人が繋ぎ始めた」ぐらいだったと記憶している。少なくとも今のようにあっちのご家庭も、こっちのご家庭も、基本的にインターネット回線があって当たり前みたいな世界ではなかった。

 

そんな1999年に、僕も初めてインターネットに接続するわけでございます。

 

我が家に起きた怪奇現象

そう、我が家にも、インターネットが、きたー

まちがえた。

 

キタ――(゚∀゚)――!!

 

といっても、よくある「親が仕事に必要で回線をひいてきた」とかいう、ベタベタなストーリーはそこには無くて。

なんと、未成年の分際で、僕が自分でプロバイダと契約してダイヤルアップで接続しました

 

ハァハァ・・・(謎)

 

いや、当時は本当に、こんなことしていいのか?!ていうかインターネットってそんな気軽に接続して大丈夫か?!と、まるでちょっとした悪いことをするぐらいのドキドキだった。

プロバイダとの契約はクレジットカードが必要だったのだが、当時、どこだったかの大型ショッピングモールで入会キャンペーンをやっていて、「駐車場代がタダになるよ」みたいなことで入会した。

そして、僕が通っていた専門学校はデザインとかITの専門学校だったので、ノートPCが貸与される。ケーブルなども、合わせて貸与されていた記憶がある。

 

ん・・・・。

っん・・・?

あれ・・・?

これ、ワイ、自宅でインターネットできるのでは?

と気づいて、プロバイダ契約などを済ませて、なんと、一人で自宅でネットを始めてしまったわけでございます。

あのとき、妙に電話代が高い・・・?と母が嘆いていたが、それはワテクシのせいでございますスミマセンお母さん。(ちゃんとバイトして払いました)

 

そうして、学校でしかできなかったインターネットが自宅で(こそこそ)できるようになり、うおおおお、となった。今となってはカワイイものであるが、とにかく、インターネットにいつでも接続できるて!マジか!うおおおおお!ってなっておりました。

いや、それほどに、周りの友人宅でもそれほど普及しておらず、使ってるのはだいたいiモードであり、PCで接続しているという人はそれほど多くなかった。多くなかったが、まったく居ないほど少ないわけでもない。ネットやってるぅ?おお、おまいもやってるか!いつもどこ見てるぅ?みたいな会話をしていた。

だから、あの当時にインターネットに接続していた人というのは、ちょっと変わった人が多かったように思う。めちゃくちゃ変わった人は、たぶんもっと前からインターネットに接続していて(笑)

普通の人なんだけど、普通の人の中では「新しい世界に興味が強い」とか「家庭環境が特殊(親がそういうことに積極的)」とか、環境なり経済力なり、そして本人の興味やネットと出会う運だとか、そのような様々なものが絡み合って「少しだけ変わった人が集まっていた」ような、そんな感じ。

だが、今ほど実名や顔を晒す文化でもなかったので、基本的にはどこの誰なのかよくわからない、だが妙に活発という人たち。選ばれしよくわからない者が集う、そんな雰囲気。

2chを初めて見た時のことを今でも覚えていて、最初、ものすごく腹が立っていた。

「なんでこの人たちは見知らぬ相手に敬語も使わず、タメ口で汚い言葉を発するんだ!」

だけど、しばらく見ていると、みんながそのコミュニケーションだった。

ああそうか、ここはそういう場なのか、と理解した。

世の中には、お互いが良ければあえて乱暴な言葉を使いあう、それで良い場もあるのだなぁと、価値観の広がりを感じた。

 

さて、ここでインターネット接続したばかりのtoksato青年は、一つの怪奇現象を起こすことになるのであーる。

 

経験のある人はわかると思うけど、ダイヤルアップで接続するとき、なんか専用のツールを使うでしょ。ダイアログが立ち上がって、接続ボタンみたいなんを押す。するとプロバイダにつながって、そこからネットに接続できる。

 

んで、toksato青年はね、思ったんよ。

ん・・・?

これ、そのツールに入力されてるの、よく見たら普通の電話番号じゃん、と。

要するに、その番号がプロバイダの番号なのだけども。

 

え、これ、普通の家庭の電話番号入れたらどうなるんだろう?と思った。

 

入れてみた。

「接続」ボタンをポチッとな。

・・・・!

"プルルルルルルル"

かかった!!!!

うおおお!

"ガチャ"

なっ・・・・!!!

「もしもし・・・・?」

ふぁっ?!?!

お相手が出てしまった!!!!!!

「もしもし・・・?どなたですか・・・?」

え、そうか、これ会話できるのか(電話なんだから当たり前)

どうしよう、どうしよう!!

「はい、どちら様ですか?」

!!!!!!!!

き、聞き覚えのある声が!!!!

知ってるぞ!この声!よく知ってる!

母親の声だ!!!!!!!!!

やべー!!!!

相手「えっ?」

母「えっ?」

あわわわわ。

 

 

・・・・・・・。

僕は、このあと知ることになるのだけど、固定電話の子機(コードレス)というのは、あれは台座に置こうが置くまいが、通話がつながれば会話ができるらしい

つまり、僕がただの好奇心で見知らぬお家に電話をかけてしまったとき、どうやら、子機から相手の声が出ていたようで。

なので母にしてみれば、置いてある子機が勝手に喋り出すという怪奇現象が起きたわけで。

そしておそるおそる受話器(子機)をとって出てみれば、なんと相手と会話が成立しているという・・・。なんて恐ろしい話だ!(お前のせいだよ)

 

あわててPCから接続を切りました・・・。

あのときのお相手の方、本当にすみませんでした(汗)

 

いやぁ、ダイヤルアップ、懐かしいですねぇ。

重かった。ほんと重かった。写真がだんだん表示されている感じだった。

当時の先生が「そのうち、ネットで長編映画が観れるようになるよ」って言ってて、こいつ頭沸いてんのかと思った。でも、今本当にそうなっている。すごい。あの当時の僕には信じられない。ダイヤルアップは重かった。あと、ときどき怪奇現象を起こした(お前の家だけな)。

 

「WE HOLIC」というサイトがあった

そう、そんな時代です。(どんな時代だ)

そこから2年ぐらいして、2000年を間に挟み2001年にはインターネットも各家庭にかなり普及していった。インターネット老人会の方はご存知ですね。来たぜブロードバンド

今ほどではないけど、それでも「各家庭に一台のPCとネット」が普通になってきた頃。

当然、ネット上にも人が増える。

様々なコンテンツが活気を帯びていく。

侍魂の先行者、笑ったなぁ。

 

僕は、ほぼ毎日のように「WE HOLIC」というサイトに入り浸っておりましたの。

HOLICは「熱中している」という意味。

WEは「私たち」ではなく。

「Winning Eleven」の略。

そう、「WE HOLIC」は、KONAMIが生んだサッカーゲームの金字塔「ウイニングイレブン(通称:ウイイレ)」の攻略&ファンコミュニティサイトなのですね。

 

当時、ゲームの攻略情報というのはまだまだ書籍だった。
「WE HOLIC」もその例に漏れず、一応の攻略情報や隠し選手情報などがあったように思うけど、全選手データが掲載されているとか、そういうことはなく。そのため、ゲームをやりこんでいけばいずれそのような攻略情報は見ることも無くなっていく(だからあまり記憶に無いのだろうとも思う)。

「WE HOLIC」の中心は掲示板だった。

というのも、この頃に、かのウイニングイレブンに活気的なモードが搭載されたのですよ。

 

マスターリーグ

 

それまで、Jリーグなりヨーロッパのリーグなり、いずれにせよどこかの実在するクラブを使ってリーグ戦を戦っていくのが普通で、選手の入れ替えや、架空の選手(だいたい自分w)を登録するには、オプション設定から自分で入れ替えなきゃいけなかった。

それが、なんと実際のリーグのようにシーズン中にお金をやりくりして選手を獲得したり、なんとなんと敵チームまで選手を引き抜いたりするという、まるで自分のクラブがセリエAやブンデスリーガを戦っているような感覚が味わえるモードができた。それが、マスターリーグ。

すると、掲示板はそれらの話題で持ちきり。

やれどの選手が伸びるとか、どの選手がコスパが良いとか、隠し選手でこんな選手が出てくるぞとか。ただの攻略情報だけではなく、「能力は高いんだけどいまいち自分には合わなかった」などという、お前は一体どこのクラブの監督なのだと言いたくなるような投稿もたくさんあった。いや、それが、楽しかった

たとえば、マスターリーグには「初期メンバー」と言われるオリジナル選手がいた。それぞれ、架空の選手なので誰も名前を知らないし、どんな選手かも知らない。そして、ゲームの性質上そこから"有望な選手を獲得してクラブを作り上げる"のが醍醐味なわけで、つまり、初期メンバーは弱い。非常に弱い。だが、個性がある

ある選手は異常に足が速い。だが速いだけ。下手。弱い。バーチャット。あいつはもう本当にバーチャットだった。バーチャット過ぎた。いやバーチャットはべつに侮辱でもなんでもなかった。※選手名です
あとは、ミナンダというナニモノナンダな司令塔も居た。パスセンスあり。パスセンスだけあり。いやドリブルもそれなりに上手かった気がする。

ときに、「初期メンバーのストーリーを妄想しよう」みたいなスレッドもあった。*1
前述のミナンダはたしかポルトガルの選手で、「10代後半までは年代別代表に選ばれていたが、彗星の如く現れたルイコスタにそのポジションを奪われる」とかいう、サッカーファンならゾクゾクしてしまうような妄想を平気で垂れ流し、さらにそれに呼応して「こういう設定もどうでしょう?」とかいう人まで出てきて盛り上がってしまう、そんなスレッドが多数あった。なんだそれ。いま考えるとすごいなそれ。

 

そんな「WE HOLIC」で、とんでもなくビックリしたことが起きた。

いや、いまこうやって書いていても、「ビックリ」なんて言葉では表現しきれないほどの、とんでもない事態が起きた。

僕はもう、それを見た瞬間に「これが、目ん玉飛び出るってやつか!」と思ったぐらいには、驚いた。

 

こんだけ書いてるからわかると思うけど、僕はサッカーファンです。

1979年生まれの黄金世代は一つ上の先輩たちということで、それはそれはもう憧れ中の憧れで。小野伸二、本山雅志、小笠原満男、中田浩二、遠藤保仁・・・。いまもワクワクする方々です。

無論、その上の世代も好き。
中田英寿も、さらにその上の名波浩も、前園真聖も。

 

そのひとは、その中でもとりわけ「憧れ」で。

同じ神奈川県出身というのもあるかもしれない。

高校選手権で大活躍して、そのプレーに本当にドキドキしてました。

 

「WE HOLIC」にこんな投稿が上がったんですよ。

 

 

注)当時を思い出して書いてるので「こんなニュアンスだった」程度に読んでください。日付もテキトーです。

 

 

投稿者:中村俊輔 投稿日:2001年8月10日(金)16時23分12秒

 

ウイイレおもしろいよね。俺もよくやってます。

ここもよく見てて、参考にしてる。

マスターリーグやってるけど、コンピュータは頭悪いよね。レアルが俺を取ったりして。ぜったいムスタファ・ハッジの方が能力高いのに。

 

・・・・えっ?となった。

もう、画面を見たまましばらく身動きが取れなかった。

ん?

え?

ん?

え、え?

んん・・・・?

 

な、な、中村俊輔?!?!?!?!?!?!

 

2001年当時、もう中村俊輔さんはすでにシドニー五輪にも出場し、バリバリの日本代表でした。トルシエに左サイドに押し込まれ、しかしそれでもめげずに活躍の場を広げて、もうほんと、すごかった。フリーキックもそのころからすでにすごかった。

あ、あの、あの中村俊輔が?!?!?!

 

 

信じるか、信じないかは・・・が楽しい時代だった

現代のインターネットしか知らない世代だと「そんなのなりすましに決まってんじゃんw」って思うでしょう。いや、そうかもしれないし、当時だってそういうスレッドも上がってた。あんなのなりすましだろ、と。しかし同じくらい「えっ・・・本物じゃない?これ、本物のシュンスケじゃね?」というスレッドも上がってた。

 

結果、その数時間後ぐらいに事態を見た本人が「ああ、ごめん。そうだよね、そりゃそうなるよね。ちゃんと考えないで書き込んじゃったごめん。もう出てこないようにするね」と掲示板に投稿をして、その後は一切出てこなくなった。

 

僕は今でも、あれは本当に中村俊輔さんだったんじゃないかと、思っているんですよ。

 

なぜかというと、2001年当時、まだ「芸能人や有名人がネットで何かをする」という時代ではなかった。眞鍋かをりが「ブログの女王」と言われるのも、3年後の2004年。この当時はそもそもブログというものが存在しない。まだインターネットが各家庭に普及し出した頃で、TVで取り上げられる時代でもなく、芸能人ももっぱら携帯電話で接続してる程度で。だから、ここでなりすましたところで、大したメリットもない。

そして、投稿のすべてを覚えているわけじゃ無いんだけど、ここだけは間違いない、という部分があって。

「マスターリーグやってるけど、コンピュータは頭悪いよね。レアルが俺を取ったりして。ぜったいムスタファ・ハッジの方が能力高いのに」

ここは鮮明に覚えているのです。

なぜかというと、当時「ははっ、たしかにそうだけどさ」と思ったから。

「いやいや、自分で言っちゃう?」って思ったから(笑)

 

当時、中村俊輔さんはまだJリーグにいて、セリエA挑戦前。一方でW杯に一度しか出たことのない極東に国にいるその選手に比べ、モロッコのレジェンド選手ムスタファ・ハッジは(弱小国の割には)すでにヨーロッパで活躍していて能力が非常に高かった。しかし獲得コスト(価格)は安かったのですね。

なので、中村俊輔さんの言ってることは、ゲーム攻略としてはものすごく正しいのです。

マスターリーグの攻略だけを考えれば、どう考えてもムスタファ・ハッジを獲得すべき。しかし、さすがにそれ自分で言う?って思って、笑ってしまったのを今でも覚えていて。

そしてこの書き込みがなんとも、中村俊輔らしいなぁと思って。変に偉ぶるでもなく、質問ある〜?みたいなものでもなく、純粋にゲームやサッカーを楽しんで、書いちゃう、みたいな。

 

いや、真実はわからんです。

そして、わからんでいいと思ってます。

いま、現代のインターネットは有名人が出てきてもちゃんと公式マークがついたりして、なりすましかどうかがわかるようになっている。それはとても素晴らしいことだと思う。

ただ、一方でそれはなりすましを嫌悪し、真偽の"偽"に対して強い反発があるのも事実で(いや、それが正常なのだけど)。
真偽に対してそれが"偽"だったら「やっぱりそうじゃねぇか!」「ふざけんな!」となり"真"でも、「まあそうだよね」で終わるだけで。とくに「うおおお」となるわけでもなく。いや、それが、インターネットが「あって当たり前になった」ということなんだけど。

 

2000年前後の頃、真偽のどっちでも、楽しんでたなぁと思うんですよね。

有名人が現れて、それが本人ならもちろんとんでもなく嬉しかったし、"偽"つまりなりすましでも「なんだぁ〜w やっぱりなりすましかよ〜(笑)」と笑ってたなぁと。騙すなよ〜おまえ〜、こんにゃろめ〜(笑)なんて。

 

インターネットが普及しきっていなくて、選ばれしよくわからない者たちしかいないあの頃、真実も嘘もそれなりに楽しんで。だから、そんなところに大してメリットもないのに現れる有名人は「本物か?!」とちょっと本気で信じてたし。そして、それが裏切られても楽しかった。

現代のインターネットで、それは難しいと思うんですよね。

それを信じるには、そして裏切られてもいいかと思えるには、インターネットは巨大になりすぎてしまったのかも、しれない。

 

だから、僕はあの時たしかにそこに中村俊輔さん・・・いや、シュンスケが居たと思っていて。

居なかったかもしれないけど、でもまあ、それでも良いじゃないですか。

 

あのとき、ぜったい居たんだよなぁ、って思えることが、幸せなんですよね。

 

*1:これはWE HOLICだけじゃないけど