昼休みにサクッと。
突然ですが、JRのレール幅ってだいぶ狭いって知ってました?
JRのレール幅は1067mm。
このまえ京王線のホームにいるとき、なんか違和感あるな?なんだろ?と思ったら、気づいたわけ。
あれ?対面のホームがなんか遠いな?
あ、レール幅が広い!これ絶対広いやろ!普段のってるJRより広いな?そうだな?
とアラフォーのおじさんがよつばと!のよつばみたいなことを思ったよ。
で、調べたら京王線のレール幅は1372mmで、JRより30センチぐらい広いらしい。なるほど。でも、「標準軌」と言われる世界的に標準なのは1435mmで、日本でも京浜急行など多くの私鉄はこの標準軌を採用してるらしい。
え?JRもだが、京王線、なんでそんな中途半端なレール幅なのん?
って思って調べたら、めったくそ面白かったんよ。
だから今日はそんな話。そしてこれ、マーケティングとかUXに繋がる話やなと思ったの。そんな話(謎)
そんなわけで、うぇぶぎょうかいのむめいでぃれくたーのお時間です。
ちなみに、僕は鉄オタでもないし、ネットで情報を集めただけなので実際の史実と違うかもしれない。そのへんは違ったらつっこんでください。マジで。大募集。アタイ ツッコミ マチ。
なので、「史実として正しい」とかそういうことではなく「非鉄オタがなんか調べてみたら面白いと思ったよ」っていう話として読んでね。
そもそも管轄する法律が違った
日本の鉄道はその大半が「鉄道事業法」っちゅうので管理されてるらしいんだけど、実は鉄道ができたころは違ったらしい。いわゆるこの「鉄道法」というやつ意外に「軌道法」っちゅうのがあって、それをもとに立ち上がった鉄道会社がたくさんあるとのこと。
※ちなみに、ネット記事やwikipediaなどさまざまな文献?をもとにこれを書いてるんだけど、いちいち参照元を出してると読みづらいと思うので、最後にまとめて一覧にするよ。
たとえば、京浜急行電鉄はこの「軌道法」*1に基づいて1899年に開業している。
日本初の鉄道は皆さんご存じのとおり国鉄(後のJR)なんだけど、それがもとになって生まれた「鉄道法」では軌間(レール幅)が1067mmに定められている。一方で京浜急行が採用した「軌道法」にはその定めがなく、自由に決められる。
そこで、国鉄開通後に「もっと広いレール幅にしよう。その方が安定するから」という議論が国内であったらしくそのために1435mmを採用した、と思いきやそうではなくて。なんと京浜急行電鉄自身が社史にてそれを否定しているとのこと。
じゃあなんで1435mmにしたかというと、モーターなど部品の多くを輸入で対応していて、そっちの標準である1435mmにした方がええんちゃう?ってことで1435mmになったらしい。幅広の方が安定して乗客にもええやん!最先端をいこうず!っていう理由かと思ったら、おもいっきり商売的な理由だった。
一方、先にあげた京王線。なんで半端な1372mmなのん?って調べたら、なんと、馬車鉄道に由来するらしい。馬車鉄道が1372mmでそれにならっているとのこと。え、馬車?馬車なの?馬?お馬さん?まじで?って思ったら、京王電鉄が馬車から始まったわけではないらしい。わけわからん。
そもそもなんで二つの法律があるのか
「軌道法」と「鉄道法」なんでふたつあるんや。せつこ、なんでや。
と思って調べてみると、そもそも現代の鉄道法である「鉄道事業法」は、その起源が「私設鉄道法」にあるらしい。
前述のとおり、日本初の鉄道は1872年に新橋駅 - 横浜駅(現桜木町駅)間で開通した東海道線であーる。その後、国はその他の地域でも鉄道を敷く予定を立てていたのだけど、西南戦争があったりで資金が足りなくなったらしい。
そこで、これはもう民間に頼らなきゃあかんわと。よっしゃ、民間に協力を仰ごうと。そのためにできたのが上記した「私設鉄道法」*2。これにより、全国にたくさんの民間鉄道ができる。
ただ、この法律が非常にやっかいだった。
レール幅が国鉄と同じ1067mmに定められているのも去ることながら、本来はそれこそ私企業の自由であるべき運賃の賃率まで基準が決められていたらしい。さらに、自社で鉄道を開通するには、その法律に基づいて免許を取得しなければならないんだけど、それがまた厳しくて、wikipediaにこう書いてある。
まず仮の定款と収支概算書を提出して一旦仮免許を受けなければならなかった。そうしてこの仮免許を受けてから初めて株主と株式を集めて創立総会を開き会社の設立を決定した上で、ようやく本免許を受けて会社の登記を行うとともに路線の敷設を行うことができたのである
おいおいそれすげー大変だな、もう鉄道やめるわ(/・ω・)/
となることうけあい。
また、この法に反した場合には政府の人間が経営に参画するぜヨロシクなっていう条項があったり、なんと「25年後には政府がその路線を買収する権利を持つからな、シクヨロ!」っていう条項まで入っていたらしい。すげぇなそれ。政府さん怖い。
と、これだけの厳しい条項が盛り込まれているのにもちゃんと理由があって、どうやら政府は「鉄道は国有化すべきである」という考えがあったらしい。そもそもJRは国鉄だったわけだし、社会インフラなのだからそれもわからんではないんよね。なので、いずれ国が買い取るために、様々な規定を設けたとのこと。
私設鉄道法さん、ハブられる
しかし、事はそううまくはいかない。
いや、実際には紆余曲折あったものの1906年に「鉄道国有法」っちゅう法律が施行され、それを皮切りに私設鉄道がどんどん買収され、最終的に17の鉄道が国有化される。そのなかには後にJR東日本となる「日本鉄道」などがあった模様。
で、よっしゃ、オッケー鉄道の国有化完了!ミッションコンプリート!と喜んでいた(かどうかは知らないが)政府は、また困っちゃうのよ。
私設鉄道の大半が国有化しちゃって、さらにそもそもの「私設鉄道法」が厳し過ぎて事業家から敬遠されてしまい、民間の鉄道が参入してこなくなってしまった。これでは、我が国の鉄道発展の妨げとなってしまう。私鉄を盛り上げようとつくった法律なのに、逆にそれが足かせになってしまうというなんともカナシイ話。
そこで、国は次の一手に打って出る。
私設鉄道法とは別に、もっと軽い法律をつくっちゃおうぜと。
それでできたのが「軽便鉄道法」というやつ。読み方が「ケイビン」ではなく「ケイベンテツドウホウ」という、なんかおトイレみたいな読み方なんだが、なぜだろう。僕なら絶対ケイビンにする。でもたぶん、「軽くて便利な」っていうフライパンみたいな特徴から来てるのでケイベンなのだろう。じゃあそうしよう。それでいこう。
で、この軽便鉄道法ちゅうやつがぶっとんでいて、「私設鉄道法」で98箇条あった条項を、なんと8箇条にしたという、おい、やりすぎだろそれっていう。まじパネェ。当時のお国の人、まじとがってる。やることとがってるやん。すてき。
さらにこのあと「軽便鉄道補助法」っつうのができて、なんとなんと「国が開業から10年間、収益の5%を補償する」という大盤振る舞いな状況までつくっちゃう。
サーセン、おれ国だけどまじサーセン、法律厳し過ぎたわ、すんませんした、鉄道どんどんつくっちゃってください、オナシャス!というそういう状態だったのだろうか。いや、見た感じはそうよね。
その結果、何が起きたかというと。
私設鉄道法に基づいて開業した鉄道さん
「ふぁっ?!なにそのいいやつ!いろいろめっちゃ自由で収益まで補償?!わっしもそっちいくで!」
となり、すべての私鉄が軽便鉄道法による軽便鉄道に移行してしまって、なんと私設鉄道法の私鉄が一つもなくなってしまった。なんだそれwwwまじうけるwwwwwwww
結果、1910年に軽便鉄道法したあと、そのたった9年後に「え、これ意味ないやん、法律ひとつ無駄になってるやん」ってことで、政府は二つの法律を合体させて「地方鉄道法」をつくる。のちにこれが国鉄が民営化(つまりJR誕生)したタイミングで「地方とか関係なくなったやん」*3ってことで、現在の「鉄道事業法」になる。
まったく別の分脈でうまれた「軌道法」
さて、ここまで鉄道法の話に終始してきたけど、じゃあ軌道法はどういう経緯で誕生したのか。前述のとおり現在の私鉄の多く*4がこの軌道法をもとに開業しているわけで。
これが実は、馬車鉄道から生まれているわけ。
日本初の鉄道が1872年に開通後、その8年後にあたる1880年に、いわゆる「電車」ではなく「馬車で移動するビジネスさせろや」と、松本 荘一郎っちゅうひとが東京の知事に申請して設立されたらしい。そのときできたのが「東京馬車鉄道」。で、なんと、これが日本初の私鉄らしい。
これがまた面白くて、東京馬車鉄道を立ち上げた発起人たちを一番悩ませたのは東京への出願とか、レールを敷くことじゃなかったらしい。なにに困ったかというと、本社を置く土地選定。え、そんなの"東京"馬車鉄道なんだから東京内の良きところにかまえればええやん、と思ったらそう簡単じゃなかった。wikipediaにこう書いてある。
開業に当たって発起人陣営が一番苦心したのは本社地の選定であった。予定とする馬180頭と馬車30両を収容可能な車庫兼厩舎を拵える土地を用立てるのは容易でなかった。
つまり「困った。馬の置き場がネェッス!」って。
現代の電車だって車庫は必要なんだけど、馬は1日中走らせるわけにはいかないので、馬車の台数の何倍も馬が必要になる。さらにその馬さんの餌とかも必要なわけで。こりゃたしかに大変だ。だがしかし、なんか笑ってしまう。
「おい!機械じゃなくてよ、馬で鉄道やろうぜ!」
「おお、いいな!馬車ならもっと気軽に乗り降りできるしな」
「いいな!いいな!」
「やろうやろう!」
「困った。馬の置き場がネェッス!」
って、ちょっと笑っちゃわない?(バカにしてるんじゃなくてね)
っていうわけで、知ってた?みんな知ってた?日本初の私鉄は、なんと馬車だったんよ。まじかよ。「知ってる?日本で最初の私鉄は、電車じゃなくて馬車だったんだぜ」って合コンで使っていいよ。許す。ちなみにそれに対して「鉄道っていう意味ではそうだけど、いわゆる電気や蒸気の鉄道の最初として"日本鉄道"こそがそれにあたるっていう意見もあるよね」って返事する人はガチなのですぐさま撤退戦に入ってください。
そんで、そのあと馬車鉄道の出願が増えてきて「あ、こりゃあかん。整備せな」ってことで、「軌道法」のもととなる「軌道条例」が発令される。
その後、東京馬車鉄道は時代の流れで馬車から電車にうつりかわる。まあそりゃ電車の方が便利だよなーと素人考えでは思うけど、でもいまある馬さんを電車に変えるのはかなり大変だったはず。そして、どうやら馬車鉄道の営業は好調だったらしい。
じゃあなんで電車にしたかっていうと、馬車鉄道だと問題があったらしい。一つは、運行の激化による道路の損壊。ああ、たしかにそりゃそうだなと。もう一つが、鉄道沿線の問題っていうと騒音だったりするので、馬さんもヒヒーン!ヒヒーン!ってうるっせぇのかなと思ったらそれじゃなくて、沿線の糞尿がひどかったらしい。
ああそうか。そういえば馬さんってウンコするわ!って思った。
っていうか、拾わずに運行してたのか!ウンコだけに!って思ったけど、そりゃウンコするたびに停まってたら話にならんか。
まあそんなわけで東京馬車鉄道は電車化して社名を「東京電車鉄道」に改める。これが、後に現在の都電荒川線になるわけ。
そう、つまり「軌道法」っていうのは馬車鉄道を発端に路面電車を整備するためにうまれた法律なのね。いわゆる鉄道とは違い、一般の公道を走るものを整備するための法律で、だから出自も違えば内容もぜんぜん違う。
そう、内容もぜんぜん違う(強調)。
京王電鉄が設立されたのは1905年。まだ前述のトイレみたいな「軽便鉄道法」が施行される前。当時のあの「私設鉄道法」がめちゃくちゃ厳しかった時に、「うーむ、よっしゃ!じゃあ路面電車っちゅうことにして軌道法で会社つくったろ!」っていう流れでできたわけ。これは京王電鉄だけじゃなくて、先にあげた京浜急行や京成電鉄もそうらしく、また東京だけじゃなく大阪などでもそういう鉄道会社(正確には軌道会社)がたくさんできたらしい。
東京馬車電鉄のレール幅が1372mmだった
そう、そういうことなんよ。
京王電鉄は、馬車から電車になり路面電車を走らせていた東京電車鉄道と接続することを見越して、1372mmなんちゅう中途半端なレール幅にしたらしいんよ。
そもそも東京馬車鉄道はなんで1372mmにしたのかっていうと、理由は不明らしい。うっそーん。たかだか100年ちょっと前のそんな重要なものが残ってないんだーと、びっくりした。
じゃあJR、つまり国鉄の1067mmってのはどういう理由で選定されたのか調べてみたんだけどね。
- イギリスに植民地扱いされていた(イギリスが1067mmを採用していた)
- 日本は山谷が多い(=曲線が多い)から、細いレール幅になった
っていう複数の理由があって、ただしどっちも定かではないらしい。史実では大隈重信が指示したということは明らかなようで、要するに「ようわからんけど大隈重信が1067mmでって言った」っていうことらしい。東京馬車鉄道どころか天下のJRのレール幅すら理由が明らかになってなかったわ。びっくりしたわアタイ。
ちなみに、その後都営新宿線が京王線と接続して現在にいたるんだけど、その新宿線ができるとき東京都から「他の地下鉄も標準軌(1435mm)やし、京王さんも1435mmにしてくれや」って頼まれたらしいが、すでに多くの乗客がいる京王線はどうがんばっても無理ということで断ったらしい。つまり「はい、検討いたします」→「検討の結果、不可能だと判断しました」っていうことなんだけど、本当は検討なんかしてねぇんじゃねえかと疑ってる(ひどい)。
一方で、何度かこの記事でも登場している京浜急行。
京浜急行は前述のとおり標準軌(1435mm)で開業してるんだけど、10年と待たずに京王線と同じ1372mmに変更している。しかも全線。これは、これまた京王線と同様に東京電車鉄道と接続するためだったとのこと。しかし、東京電車鉄道が合併したりなんだりしたあと東京市が買収し、その東京市が乗り入れに消極的だったために進まなかったらしい。
それにしびれをきらし、当時神奈川で勢力を広げていた湘南電気鉄道と合併し、そこでまた標準軌(1435mm)に戻す。なぜなら湘南電気鉄道が標準軌だったから。いや、すげぇな京急。走り出しの加速もすげぇが、レール幅の決断もフットワーク軽いな!ド~レミファインバーターーー♪(謎)
いったいなにがマーケティングなのか
ね。ぜんぜん関係ない。マジで。びびる。
いやね、マーケティングとかUXデザインやりたいって人は、好奇心旺盛じゃないとできないと思うんですよね。
ベイジの枌谷さんもこんなツイートしてて。
マーケターにしろ、デザイナーにしろ、発想力を求められる仕事は、あらゆる知識が発想の源になる。仕事に直接役立つTIPSだけでなく、社会、政治、経済、文化、歴史も含めたこと。すべての専門家になるのは不可能だけど、知的好奇心が低いとか、流行に関心がないとかは、それだけで不利だと思うのです。
— sogitani / baigie inc. (@sogitani_baigie) July 17, 2019
ああ、そうそうって思って。
ぼくは まったく鉄オタではないし、もともとレール幅なんて興味なかったけど「ん?なんでだろ?」って思って調べるって、マーケティングとかやる人には重要なんじゃないかなって。
同時に、「一見アホに見えることも、それぞれに裏の事情があったりする」ってことも、僕らは意識しておかないとダメだと思う。それが「物事を調べ、判断する」ときの謙虚さになるとも思っていて。
その一例として、レール幅の話をしてみました。
ま、根本は僕がめっちゃ面白いなと思ったからなんですけども(笑)
以下、参考にさせていただいたた記事やページです。
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO27809120X00C18A3000000
https://toyokeizai.net/articles/-/233385
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8C%E9%81%93%E6%B3%95
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E6%96%B9%E9%89%84%E9%81%93%E6%B3%95
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E7%8E%8B%E9%9B%BB%E9%89%84
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E8%A8%AD%E9%89%84%E9%81%93%E6%B3%95
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%BD%E4%BE%BF%E9%89%84%E9%81%93%E6%B3%95