こんばんちは、スーパー太っちょWebディレクターです。
スーパーは太っちょにかかります。
僕はもう42歳のオッサンであり、チームマネージャーであり、相応に部下さんもいて、その中には新卒メンバーもいるわけですが。
僕のことを知ってる人は、おそらくみんなそう言うと思いますが、僕は基本的に"怒らない"です。感情的になることがほとんどない。基本的に人生は楽しすぎると思って生きている、そんなヤカラである。
そんな僕が、新卒くんに明確に「それはダメだ」と怒った。ついこのまえ。
そんなわけで、うぇぶぎょうかいのむめいでぃれくたーのお時間です。
■目次
正しい思考は難しい
というより、正しくは「レベルの高い思考をして、正しい解(最適解)を導き出す」のは、難しい。僕はずっとそれを追い求め、今もできてない。ああ、まちがった、これはちがった。軽々しく発言したこの単語は、不適切だった。もっと良い言い方があった。できなかった。
そんなことの連続であり、毎日であるからにして、だからやっぱり思考は難しい。42歳のオッサンが難しいのだから、23歳の若者にはもっと難しい。だから、すごく正しい答えなんて求めてない。いや、そもそも僕だって見つけられてないことがほとんどだ。
でも、思考を止めないことは、誰にだってできる。
高い思考力を持って、バランスを保った高質な結論を出すのは、若手であればあるほど、難しい。けれども、それについて考えることは、万人にできる。
とても高級で美味しいフランス料理のレシピを考え出すことは、おそらくほとんどの人にはできないが、「美味しいフランス料理のレシピを考える」ことは、小学生にだってできる。それが本当に美味しいかどうかはわからないけど。
だから、僕は怒ったんだ
あるとき、新卒の彼は僕にこう相談してきた。
「toksatoさん、この件について先方からメールがこのように来ています。判断をお願いします」
僕は、怒った。
そんなのはダメだ。
もちろん、そのメールの内容は到底、新卒が判断できるようなものじゃない。Webサイトに入れる一つの機能でありツールなのだけど、それは単純に「ユーザーにとって良いものだから」だけで決めて良いものではない。当たり前に費用もかかるし、問い合わせ対応など運用コストもかかる。総合的に見て、それを導入するかどうかを検討しなければならない。
実装工数、カスタマーサポート、予算。
新卒の彼が、すぐに知ることができるものもあれば、できないものもある。
でも、そんなのは関係ない。
すべてのことにおいて、想像することはできる。
そもそも、僕だってすべてを知ってるわけでもないし、すぐに知れるわけでもない。事実と仮説を織り混ぜながら、自社にとってベストだと思う結論を出す、ただそれだけの話で。
「正しく素晴らしい結論を出せとは言わない。でも、思考を止めるな。"これは自分が考えることじゃない"と、放棄するな。僕はキミに思考の成果は求めない。しかし、"思考すること"は求める」
「思考を止めるな。止めたその瞬間に、君の成長は止まる」
そうやって、僕は怒った。めずらしく。
ときに、負けることもある
ときどき、新卒の彼の方が、正しいことがある。
それはだいたい、高度な状況把握や、バランス感覚を求めないお題なのだけど。
そういうシンプルな問いのときこそ、負ける。
もとい、それは僕が考えるべきことが他にもっとたくさんあり、そのシンプルで小さなお題について、そこまで労力をかけられないという現実があるのだけど。
しかし、どうあろうが負けは負け。
僕が指示したやり方より、新卒の彼が見つけたやり方のほうが良い。そんなときは、素直に負けを認める。僕の方が間違っていたと。そして、絶賛する。君はすごい。僕なんかより良い結論を導き出せた。君は、すごい。
彼はいつも、喜んでないですよという態度をとりながら、口角にそれが漏れている。
僕はもう、これがとても楽しくなってしまったが、本当は良くない。僕は、新卒の彼より、正しい判断ができるから、彼の上司をやっているのだから。だから、負けたことを歓迎するのは本当は良くない。だから、ちゃんと悔しい気持ちも持つ。湧き出るその気持ちを否定せず、膨らませる。僕は、新卒に、負けたんだと。
それでいいし、そうでなきゃいけない。
これは、ある種の勝負なんです。
勝負は、思考力じゃない
なぜなら、そんなのはヨンジュッサイが勝って当たり前だから。
ヨンジュッサイ上司や先輩の勝負は、そこから先にある。
お互いが思考した結果を伝え合う。
往々にして新卒の彼が出した結論は、浅はかである。
それでいい。
大事なのは、浅はかなりにも考えて、結論というカタチにすることだから。
しかし、上司や先輩のやることは、それを打ち負かすことじゃない。
正しい結論を押し付けることでもない。
そもそも、それなら初めから新卒の彼に考えさせる必要はない。
どうして、その結論になるのか。
キミの結論とは何が違うのか。
どういう風に思考を積み重ねるべきなのか。
それを、教えなきゃいけない。
いや、わかって、身につけてもらなきゃいけない。
そのためには、話を聞いてもらう必要がある。
そのためには、話を理解してもらう必要がある。
そのためには、興味を持ってもらう必要がある。
だから、僕らはなるだけ聞きやすく、わかりやすく説明する必要がある。
いや、人は理解しやすい程度では強く記憶に残らない。
衝撃的なほどにわかりやすく、理想を言えば面白くないといけない。
「ああ、今日もtoksatoさんの話はわかりやすくて、面白かった」
そう思ってもらえるか、毎日が痺れるほどの勝負。
偉いオレが、偉い話を、してやるんだ。
そんなやつは、ただのゴミです。
火曜と土曜が生ゴミの日です。出しましょう。よく燃えますよ。
だから、僕はしつこいほどに彼に言う
「そっか。キミはどう思うんだい?」
人を育てる、思考力を養うというのは、大変です。
でも、どこまでもこれに付き合いつづけ、そして彼の、彼女の、「面白い」に勝負し続けなければ、思考力は育たんのです。
そう、僕の思考力もね。