ちと気になったので昼休みにサクッと。
これね。
割とブコメやTwitterで叩かれていて。
でもね、仕事やマネジメントってそういうことじゃないと思うんよ。
みんな、もっと自由になろうぜって思って。
そんなわけで、うぇぶぎょうかいのむめいでぃれくたーのお時間です。
寝坊や物忘れをして怒鳴られる
togetterでまとめられてる主役たる方は、寝坊してしまったり、頼まれたタスクを忘れてしまい、怒鳴られてしまう。
それに対して、「自分が悪いのはわかるけど、過ぎてしまったことを怒鳴られても改善しないし、次起こさないような指導をしてほしい・・・」と懇願。
これに対してブコメやTwitterは「怒鳴ってもしょうがないのは正しいけど、さすがにこのレベルは自分のせい」と叩いている人が多数。
でも、そういうことじゃないんよ。
断言する。それは絶対に違う。
遅刻したらなんでダメなんだっけ?
改めてみんな考えてみてほしい。
なんで、遅刻したらダメなんだっけ?
それは、一緒に働く人や、会議などで待っている人がいるから、とかだろうか。たしかに迷惑。周りの人の時間を無駄にする。これは良くない。
では、誰も迷惑しない仕組みだったら?
人は、寝坊をしますね。人生で一度も寝坊しない人はいないんじゃないだろうか。
じゃあ、多少の寝坊でも大丈夫な仕組みだったら、寝坊は問題ない。
たとえば、みんなが集まる会議は11時以降に設定するとか。
たとえば、出勤時間を9~11時のどこで出勤しても良いようにするとか。
これを、フレックスタイム制なんて言いますね。
なぜ、上司から言われたタスク「現場の写真を撮ってくる」を忘れるとダメなのか。それは、現場の写真がそこで必要だから。にもかかわらず現場の写真が無いから。でも、無いならもう一度撮りに行けばいい。
なぜもう一度撮りに行くのがダメなのか。それは(おそらく)もう時間が無いから。だったら、忘れることを想定して3回撮りに行ける機会をつくればいい。そうしたら一回目の失敗は大きな失敗ではなくなる。というか、3回のうち1回成功すればいいので、トータルではそれは失敗ではなくなる。
「それはその時点で許容する仕組みになってるんだから話が別だろ」って思う人いるかもしれない。でも、たとえばタスクを忘れることがダメだとしても、周りが「まあ、あの子はそういう子だからね。いい子だから一緒にやっていこう」と思ってるなら問題ない。もしかすると人柄が良くてそれが会社に良い雰囲気をつくってるかもしれないし。
言いたいのは「これは絶対に失敗」と決まりきったことなんてないんよってことで。
「失敗」は、「成功」を定義した瞬間に生まれる。
寝坊、遅刻、物忘れ。
ついつい条件反射的に「それはダメだろ!」と思いこんじゃうんだけど、世の中に決まりきったことなんてほとんどないんよ。
毎日遅刻してくる社員がいたとして、それのなにが問題なのか。仮にそれで周りの人にちょっと迷惑をかけていたとしても、その人がたった一人で何千万円ものを受注を持ってこれるスーパー営業マンだとしたら?きっと会社はその人を手放したくないし、許すでしょう。
となると、おそらく会社の勤務体系をそれが許されるような仕組みに変えるでしょうね。「朝9時の遅刻はしてもええんやで。そういう就業規則にしたんや」となれば、彼はおとがめなし。
失敗というのは、「9時に出社できたら成功やで」という定義があるから生まれるんよ。「成功」が定義されていなければ、失敗は無い。
だから「寝坊も物忘れも業務知識以下の話」というコメントがあったけど、「業務知識以下の話」はそのとおりだとしても「だからダメだ」とは必ずしもならない。
それができない人が会社にいてもいいんよ。それを決めるのは会社であり、遅刻や物忘れに寛容な会社があってもいい。
これは前の記事でも書いたんだけど、だから僕はこう思ってる。
「社会は制限だらけだけど、世界は自由だ」
マネジメントにおいて「できない人が悪い」は無い
できないんだったら、やらせなきゃいいだけ。
怒鳴ってもしょうがない。
もっと正確に言うと、できないんだったらこの3パターンしかない。
- できることをやらせる
- できないことをできるようにする(成長を促す)
- チームから外す
寝坊しちゃうなら、どうして寝坊するのか?どうしたら寝坊しないか?を考えて実践するか、寝坊してもいいような仕事を任せるか、どうしてもその人が使えないならチームから外す(これの最悪パターンが解雇)。これだけ。
前に、↓この記事で書いたんだけど、
戦闘力たったの5の人が来たなら、その人ができる仕事を任せるか、戦闘力が増加するようにトライするか、その人を採用しないか。ただそれだけの話なんよ。
戦闘力5の人にフリーザ戦を任せたとしたら、それは任せた方が悪い。
で、できない人にはそれに見合った給与を渡せばいいだけ。
戦闘力200,000の人にはお給料も200,000円出せばいい。
戦闘力530,000のフリーザさんにはお給料も530,000円出しましょう。
「戦闘力たったの5しかないお前が悪い」は仕事でもマネジメントでもないんよ。
戦闘力5なら、その人をどうするか。それが仕事でありマネジメント。戦闘力5の人がピッコロ戦に出て失敗したなら、それは戦闘力が違い過ぎるのが問題。
戦闘力5の人が、戦闘力3の人と戦って負けました。つまり失敗しました。それはなぜだろう?きみ、戦闘力5だったよね?あれ?今スカウターみたら違うやん。あ、なに?きみ戦闘力が変化するタイプの戦士だったのね。そんでその日は2しかだせんかったと。あれま、それはあかんわ。なぜ起きたんだろう?そうか、キミはまず自分のことを理解する部分ができてなかったんやな。ではまずそこからはじめようや。
っていうだけなんよ。
「失敗を責めない」とは「凝り固まった自分の価値観を捨てる」ことからはじまる。
ついね、「おい、ダメだろ!」と思っちゃう。
遅刻はダメ、物忘れはするな、挨拶しろ、お礼を言え。
常識としては正しい。しかし、常識で仕事をするわけではない。常識はただの「参考」。みんなががんばって、みんながハッピーで、会社が経営ができるならそれでいいんよ。
僕だってね「おいー・・・なんで失敗しちゃうんだよー・・・」って思っちゃうこと多々ある。
でも「おまえ失敗しちゃダメだろ」じゃダメなんよ。それは個人に責任を丸投げしてるだけでマネージャーの仕事じゃない。
人はミスをするもので、ミスが絶対悪なわけでもない。ミスするなと言ってもミスをする。そして、ミスが出るにはかならず理由がある。
ミスが出ないやり方や、ミスが出てもいいやり方をすればいい。仮に怒っていい時があるとしたら、その決まったやり方を守らなかった時。そのときは怒ってもいいかもしれない。でもそのときだって「どうして決まったやり方ができなかったんだろう?」と問うべき。その人が良い悪いではない。
とはいえ、人によってミスが多い人と少ない人がいるのは事実。
だったら、ミスしない人に依頼するのも一つの手段ですね。それが最適ならそれでいい。できない人が悪いんじゃない。できる人に渡せばいいだけ。
「ちゃんとやらなきゃダメじゃん」という常識を一度捨て去るべき。どうしてちゃんとやらないといけないのか、どうしてちゃんとやれなかったのか。
仕事においては常にそれを問うべき。
「あれ?そもそもこれなんでミスが出ちゃダメだったんだっけ?」
と。
そうやって、多様な働き方を許容し、生ける道を探ることこそが、本来の「働き方改革」だと僕は思っています。
ちなみに。
ここまで読んでくれた方ならわかっちゃったかもしれないけど、「戦闘力5の人には相応の給与を」とか、それがさらに進んで「じゃあクビで」ってなりかねない話なわけです。あまりにドライにやりすぎるとね。
つまり、実は「おい!おまえ!なんで何度言ってもできないんだ!」と、怒鳴ってくれる人の方が、実はまだ優しいんよね。もちろん程度問題だけど。
我慢できなくてつづき書きました
おまけ
「失敗」は、「成功」を定義した瞬間に生まれる
このフレーズは、実は前の記事で書いたものです。
人は、どんな形でもいいんよ。ってことを書いたので良ければ読んでみてください。