はいどうもこんにちわ。
書くことはだいぶあるのに、筆不精なtoksatoです。
このたび、前の会社の後輩と交換日記を始めることになりました。おっさんとおっさんがネット上で交換日記とかキモいんですけど物好きな人は読んでってくれるといいよ。よろしく頼むよ(謎)
交換日記を始めようと思ったイキサツなどは前回のエントリにまとめてあるので興味ある人はそちらをどうぞです。
さてさて、記念すべき(交換日記としての)初投稿で"みやしたんく"が映画ポスターのデザインについて書いてました。
アンサーとしてなに書こうか迷ったけど今回は、どストレートに同じ話を自分の立場から書こうかと思います。つまり、事業会社の「なかのひと」として。
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そんなわけで、うぇぶぎょうかいのむめいでぃれくたーのお時間です。
「なかのひと」にとってデザインは恐怖の塊
僕はプロフィールのとおり、つい昨年末まで受託のWebディレクターとして働いてきて、いまとある事業会社(上場企業です。自慢とかじゃなくて単純に規模的にデッカいよってだけ)でWebマーケティングやディレクションをやってます。もしかしたら読んだことがあるかもしれませんがディレクション、UI設計の記事やスライドも出してました。
それぞれ、それなりにシェアされて同業者の方々の参考にしてもらえる程度には知識と経験を重ねて来たつもりです。
ということは「いままでWebとかデザインとか仕事として触れて来ませんでした」なんていうWeb担当者に比べたら、そうそう負けるつもりはないほどの蓄積はあるはずです。
そのワテクシめがですね。
サイトのボタン1つ決めるのすら、なんつーかめっちゃこわい。
怖いんです。
我ながら、あのとき、受託Webディレクターだったぼくは、クライアントになんと殺生なことを言っていたんだと反省します(それはそれで受託側としては正しいんですけどね)。
どんなに理屈として、理論として正しくても「本当か?本当にこれでいいのか?ボタンのラベリングは、コンテンツの配置は、背景色は、これでいいのか?これで本当に成果が出るのか?」もうほんとに怖くて、何かを決めるのをやめたくなりました。
それは、そのデザインに、そのUI設計に、そのラベリングに責任が発生し、それは担当者である僕にかかってくるからです。
理論や理屈を超えたなにか
受託時代だって悩んで来なかったといえば嘘になります。しかし、それでも「わからないこと」を調査や仮説によって「わかったこと」に変えて行くことで、少しずつ自論に自信を持っていきます。
そして、そのつきつめた結論は、同じ人間であるクライアントに説明すれば、それが根底まで考えられたものであればあるほど、合意を得やすくなります。
そうなんです。
こう言ってはなんだけど、受託の仕事はどこまでいっても基本的には「合意形成」なんです。
わかります、わかります。
「オレ達はそんなスタンスでやってない。ビジネスパートナーとしてKPIに向き合って来た」
そういう受託の人もいるでしょう。でもそれとて、所詮は疑似体験でしかないんですよ。なんでわかるかっていったら、そりゃ僕がそうだったから。
「それはお前の個人的体験だろ」というかもしれないけど、じゃあ、目標KPIが達成できなかったからといって、請求額を下げてくれる制作会社やデザイン会社がこの国にどれくらいあるでしょうか?そうそう聞いたことないし、その時点で純粋な受託ではないですよね(レベニューシェアに片足つっこんでる)。
いや、受託の人はそれでいいんですよ、そういうビジネスモデルなんだし、逆に目標KPIにコミットするならクライアント側はもっとたくさんの情報を与えないとフェアじゃない。Webだけではどうにもならんものかもしれんのだし、やるにしても生の顧客情報を分析しなきゃできないかもしれないんだし。
事業会社のなかのひとは、そこの恐怖感がまるで違うんです。その決定1つで成果が出るかも、出ないかもしれない。そしてその成果が出なければ、自分の査定にダイレクトに響いてくる。一回失敗したぐらいでは減給なんてことにはならないだろうけど、繰り返したら明日はないし、そうでなくてもそこで成果を出していたら昇進していたかもしれない。
事業会社にとってWebもポスターもその他の広告も手段に過ぎないんです。
受託制作会社は最悪の場合、やることをちゃんとやったら「それはもうWebやポスターではどうにもなりません」と逃げることもできる。でも、事業会社の担当者というのはそれができないんです。だって「だったら、なぜそれをつくったんだ?成果が見込めないなら最初からやらなければ良かったんじゃないか?」と言われるから。
そうなるともう、どんなに理屈や理論を積み上げたところで、不安は不安なんです。そのとき、最後にはもう「ここまでやって成果が出なかったらしょうがないと思えるか」なんです。最後には割り切れるほどに考えたか、理屈や理論を超えた「これで成果が出なかったらもうしらん!これだろ」という、勘とか熱意とかようわからんそんなもんに最後をゆだねます。
そのポスター、売れますか?
さて、やっと本題の映画ポスターに戻ります。
おそらくこの話題はこのジモコロの記事が発端ですよね。
僕は仮にいま受託Web制作会社にいてもこの記事には割と賛同派なのですが、事業会社に来てみると”痛いほど”日本版ポスターを作った人、採用した人の気持ちがわかります。
ブコメで叩いていた人がたくさんいたけど、その中のどれだけの人が自分が本当に大金を出してポスターを出すつもりになって考えてくれたのか(いや僕も映画配給側の人ではないけどw)。そのスタンスがすべてとは言わないけど、基本的にはお金を出す人、リスクを取る人に利益がないと意味がないのは言わずもがななわけで。
売れなきゃ困るんですよ。
死んじゃうんですよ(言い過ぎ)
顧客はどこにいるのか
失敗をしたくない、成果を出したいから、僕ら発注側は「どうしたら成果が出るのか?」と当たり前のように考えます。道楽なら良いんですが、会社のお金を何十万も、ときには何千万も何億も使うわけです。金額が大きければ大きいほど考えます。
そのとき、一番大事なのは、この情報やサービスを届けたい人はどこにいて、どんな環境でポスターに出会うのか、ということです。
そう考えたとき、今回の映画ポスターの話をするならば、日本とアメリカの環境の違いは無視できないと思います。
たとえば、日本とアメリカのスクリーン数の違いを出すとこうなるそうです。(2013年とちょっと古いデータですが)
■2013年:スクリーン数
- 日本:3,318
- アメリカ:39,783
※「 世界の映画館スクリーン数 国別ランキング・推移 - Global Note」より。このために会員になったよトホホ・・・
人口が違うので、それで割ったとして、つまり人口に対してどれくらいの数のスクリーンがあるのか。これも同じサイトに参考となるデータがありました。
■2013年: 映画館スクリーン数(人口10万人当たり)
- 日本:2.90
- アメリカ:13.80
※上記と同じ引用元ページの右にある「内訳」より
はい。
並べてみてわかるのは、アメリカ、スクリーン多いな!それだけアメリカ国民にとって映画というのは近しい存在なんでしょうね。
さらに、映画観賞の定価。
日本:1800円(ですよね?)
アメリカ:7〜8ドル
※「アメリカ映画料金事情|笑い飛ばせUSA」より
すげー、半額ですよ。
さすが映画大国。
これだけ映画文化が根付いていれば、7~8ドルからさらに割り引いた前売り券などを(大きなリスクを感じずに)、サクッと買って映画を観に行く人がたくさんいるんじゃないでしょうか。言い換えれば、映画を受け入れる文化がアメリカにはあるのだろうと思います。
※って、前売り券も同じぐらいの価格なのかな。
翻って日本。
まず、基本的には1800円ですよね。レイトショーなら1300円にはなるけど、それはデートや遊びのゴールデンタイムを潰すことになることを考えれば、映画好きでない限りは日中に行くんでしょうね(僕は全力独身中年なのでレイトショー行きますw)。
さて、これを読んでるあなたは「よく知りもしない映画」に1800円払いますか?もしくは1400円も払って、まだ始まってもいない映画の前売り券を買いますか?
まだね、「1800円払うほどではないけどまあまあだった」ならいいんですよ。なかには2時間近く拘束されて一ミクロも面白くない映画を観せられた日にゃ、タダでも嫌ですよね(笑)
競合はどこにいるのか
競合というのは、本来ならば同じターゲット層をねらった映画になるわけですが、ここで言いたいのはもっと広い範囲。つまり「1800円の映画鑑賞に対して比較検討されるサービス」です。
そう考えると、日本には娯楽が山のようにあるわけです。たとえば我が国の二大プロスポーツである野球とサッカー。Jリーグはだいたいチケット料金2000~2500円で観れますし、プロ野球は2000円を切るチケットもあります(いま調べたら天下の巨人戦でも1500円とかあるんですね)。映画とほぼ同額でありながら、これらはスクリーンではなくLIVE観戦というアドバンテージがあります。行ったことある人は分かると思うけど、お祭りですよね、あれはもう。野球とサッカーを合わせるとほぼ全国を網羅できるほどにゲームがあります。
他には公園やテーマパークもありますね。
特定サービス産業実態調査報告書 公園,遊園地・テーマパーク編(PDF)によると、日本にあるテーマパーク(遊園地や水族館、入場料のかかる公園など)は135あるそうです。これが多いのか少ないのかはわからないけど(アメリカの同じカテゴリの数がわからなかった)、まあ、単純計算でいけば各都道府県に2~3のテーマパークがあるわけです。
入場料もまちまちだとは思いますが、ディズニーリゾートなどが最高値クラスだとして、数百円のところもいくらでもあるでしょうし、たとえば八景島シーパラダイスなんぞは入場料かからなかったりしますね(入るだけならタダ)。
さらに、日本だとパチンコや競馬などのギャンブル、ゲームセンターなどのアミューズメント施設も充実しているし、言わずもがな、日本独特の進化を遂げたといわれるカラオケなんて、日中だと数百円で過ごせちゃうわけです。
そして、アニメやゲームの先進国である日本は据え置き型ゲームもスマホゲームも発展しているでしょうし、つまりお家で楽しむ娯楽すらたくさんあるわけですね。
いま一度問います。あなたならどんなポスターにしますか?
日本における映画産業というのはこんな状況です。
そこに、知名度もない、莫大なプロモーション費もかけられない海外映画がやってきました。
あなたはそこに仕事としてコミットし、入場者数増加に貢献しなければなりません。
数十万なのか数百万なのかわかりませんが、それなりに大きな金額を投下するその映画の集客の一端を任されると考えてみてください。当然、結果が悪ければそれなりの追及なり査定なりを受けます。
シリーズものでも超大作でもない映画で、内容に関する事前認知は皆無に等しい。他に娯楽が山ほどあり、さらに「失敗してもいいや」と気軽に出せる価格設定でもない、それほど映画が文化として根付いていない国において、想像する余白を残した多くを語らないデザインで本当に勝負できますか?
おそらく、気になる要素がなければ目も止めてくれない、フライヤーなら手に取ってすらくれないそんな環境に置かれている映画に対して、本当にタイトルと絵柄だけであとは雰囲気があれば伝わる、という手法で勝負できるのかどうか。
僕には無理ですね(泣)
恐ろしくて仕方ないwww。
想像してもらうにも、そもそも映画がそこまで根付いてないからそのきっかけすらないでしょうし、一方で日本人は割と説明をちゃんと読みますね。デザイン(というよりはアート?)としてクールかどうかはかなり怪しいですが、逆に言えばクールじゃないデザインの方が売れるという事例もたくさんあります。楽天メソッド、なんてその典型のようなメソッドですよね。
そんな環境では、そりゃあくまで集客用であるポスターのアプローチが日本的になるのはごく自然な流れだと思うし、まずもって言いたいのは、少なくともダサいとかダサくないとかで"ポスターとして"評価をすべきではないはずです。
好き嫌いと善悪は分けて考えるべき
「ダサいものをダサいと言って何が悪い」というコメントも散見されたわけですが、その先の結論なんですよね。大事なのは。「日本の映画ポスターはダサいからわたしきらい」っていうならそれはもうどうぞご勝手にという話でしかなく、なお言えばあなたはそのポスターの対象ユーザーではないんでしょう、ってだけですよね。
「日本の映画ポスターはダサくてイケてないからダメだ」ってのは、少なくともデザインやプロモーションという観点から見れば明らかにおかしい(というよりは「足りない」)物言いで、ましてやそれを「民度」などという不確か且つ相手をバカにするような表現をするのは、クリエイティブやデザイン、マーケティング、ビジネスなどなどの視点から見れば本当に愚かな態度だと僕は思います。
そういう意味では、この方のブコメがとても示唆に富んでいて素晴らしいなと思いました。
洋画の日本版ポスターを単純にダサいと言っちゃう風潮と「良さ」が理解できるということ - 元お笑い芸人がWeb業界に入ってがんばるお噺
- [movie]
説明を "読んでくれる" 顧客がいるってのもあるな
2017/03/28 07:51
それが好きか嫌いかというのはあくまでも個人の感想の範疇で語るべきで、それが"ポスターとして"正しいかどうかというのはやはり切り分けて語るのがまっとうな大人、仕事人だと思うわけです。
内容を改変しているという指摘
一方で、「本編の内容を誇張したり変えたりしているから叩かれるんだろ」というコメントもたくさんみました。
まず、それはもう問題の定義がまったく別ですよね。
ダサい(ダサくする)のがダメなのか、内容の誇張や改変がダメなのか、これらはきちんと分けて議論をすべきだと思います。プロフィールの詐称なのか、情報を入れ込みすぎたプロフィール写真がダサいのか、はぜんぜん違う問題なので。
さて。
ところで。
本編の内容と違う訴求をしたらダメなんでしょうか?
ダメだとしたら、それはなぜでしょうか?
「そりゃウソついてるんだからダメだろうが」と言われてしまいそうですが、果たして、ウソはすべて悪なのでしょうか?
僕はそうは思いません。
悪いのは「自己の利益のために相手を欺くこと」であって、いつでも事実を正確に伝えることが必ず相手のためになるとは思いません。例外はいくらでもあると思う。
「数千ページのワイヤーフレームを書いてきたWebディレクターがUI設計時に気を付けている8つのこと。 - 笑顔を創りたいWeb屋の日常」のエントリで
4.入り口は「ユーザーの知りたいこと」、出口は「企業の伝えたいこと」
と書いてきたけど、ユーザーが自覚的に捉えていることが実は本質的ではないこと、というのは往々にしてあります。それでいいんですよね。その道のエキスパートではないのだから。「自分の知りたかったことと初めは違ったけど、読んでみたらこれこそ私の欲しいものだった」なんてことはたくさんあるしあっていいですよね。
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に対して「主人公と母と父との三角関係?!決して近親相姦ではないドタバタコメディ!息子よ自分を救え!」とかいうキャッチコピーが善なのか悪なのか、と考えたとき、著しくセンスを感じられないコピーだなという感想は一旦わきに置いていただくとしまして、これで「おお?」と思って映画を見てくれた人は怒るでしょうか?
他の人は分からないけど、僕はたぶん怒らないだろうなと思います。映画の本質とはだいぶ違うアプローチだけど「あーおもしろかった」で終わるかなと。
結局、良くないのは「私利私欲のために欺くこと」であって、事実を正確に伝えることがすべてではないし、そもそもですね、たとえば「デフォルメ」というのはあれは「ウソ」なんですよね。人間が本当に3頭身になるはずがないし。
だからってバンバンと改変して良いということではなくて、それで失敗したならばやはり責められるべきというか、成果が出たなかったのならプロとして誰かに批判されるのは仕方ないことだとは思います。
けれども、それもやはり目的ありきであって、内容を変えてる、誇張してるからダメだ!っていうのもまた違うと思うんですよね。
けれどもファンは大切にしなければならない
とはいえ、その映画を本当に愛してくれるファンというのも大切にしなければならないと思います。ポスターの目的という意味では、そこが含まれていても問題は無いというか、完全度外視というわけにもいかないでしょうね。
ポスターも作品の一つ、という捉え方はファンとしては何もおかしな捉え方ではなくて、それも含めて作品に対する評価となるんでしょう。
ただ、それとてやはり大事なのは「好き嫌いと是非(正誤?)」は分けて考えるべきだし、なお言えば、そのファンだけを大切にしてビジネスが成り立つのかということは踏まえたうえで見解を示すべきだと思います。
たとえばクドカンこと工藤官九郎さんのドラマは、リアルタイムではあまり視聴率が良くないですが、DVDなどのグッズ関連が飛ぶように売れるらしいですね。コアなファンがいるんでしょう。
それはそれで一つのビジネスモデルであり、それがあるならプロモーションの間口も狭くても良いのかもしれません。
逆に言えば、日本にそれだけの映画文化が根付けば良いのかもしれませんね。
・・・という風に考えると、ジモコロのインタビュー記事の最後にこう書いてあるんですけども。
「ただ、映画の広報がパターン化してきているのも事実。そこで提案です! ここらで映画ファンの方に映画配給業界に入ってきていただきたいなと!」
これ、「みんなおいでよ!」っていう口調ですけど、実は「そんなに言うんだったらこっち来てやってみろよ!」「日本の映画文化を変えないとはじまらねぇんだぞ!」って言ってるんじゃないかなと思っちゃいました。
どうなんでしょうね。
真相は本人のみぞ知る、ですね。
ではでは、すげー突然だけどこのへんで。