こんばんちは、スーパー太っちょWebディレクターです。
スーパーは太っちょにかかります。
手を出しちゃうよねぇ、この話題に。
ぶっちゃけ乗るまい!乗らないぞ乗らないぞ!と思ってたんだけども、ずーーーーーっとみてても自分と同じ観点の人が見当たらないので、とりあえず自分の考えとして吐き出しておくんよ。
ちなみに、ユニバーサルデザインの話はほとんどしない。
するだけ無駄というか、結論わかりきってるというか、なんだろうね、うんどうでもいいよそんなのって思ってるから。
まあなんてひどいことを!
いまユニバーサルデザインとかアクセシビリティを大切にしている人は怒っていい。ごめん、謝る。っていうか僕とてUXとかそういうの好きな人間としてユニバーサルデザインは大事だと思っている。でも、今回の件だとそこ深掘りしても大したもん出てこないと思ってて。
それより、あのデザインの本来の是非というか、そこが気になってしょうがない。ユニバーサルデザインはあくまで脇にあり、本線ではないはずで。
そんなわけで、うぇぶぎょうかいのむめいでぃれくたーのお時間です。
■目次
- 「ローソンPBにおけるユニバーサルデザイン」は3行で終わる
- そんなことより気になる本来の目的
- 「"これがいい"と選んでもらいたい」
- デザインの目的以前の話
- 無印良品はそもそもまったく真逆のアプローチ
- 選ばれるための「メッセージ」は、どこに行った
- ローソンの取り組みを否定したいわけじゃないんだ
「ローソンPBにおけるユニバーサルデザイン」は3行で終わる
ね。
んなわけねーだろっつうね。
- ローソンは超大企業で
- もはや事実上の社会インフラのひとつになっているので
- ユニバーサルデザインの意識が著しく欠如した商品は出さない方が良いと思います
あ、終わった。
ほら、3行で終わった。
いや、終わらないかもですよ、もちろん。
ただそれね、つまり「終わらないとしたら」ね、それって反論があるときでしょ?
いやー、これに反論ってそう出てこないと思うよねぇ。
まあ、もう少し付け加えましょうか。
まず、論点をちゃんと整理したい。
「ローソンはあくまで"イチ私企業"であってインフラ企業のようにユニバーサルデザインが実践されてないからといって、間違いだと責めるのはおかしい」
っていう意見もいくつか見て。
うん、正しい。
正しいんだけど、なんていうかその、うん、そらそんなの当たり前だよねって思うわけですよ。そりゃ私企業ですから。ユニバーサルデザインに限らず、儲かるとか経営に良い影響が出ると思ったら好きにすりゃ良い話で、外野がとやかくいうことじゃない。
では「ここまでユニバーサルデザインの意識が欠如した商品出しやがって!」と怒ってはいけないのかというと、それもちょっと違って。
要するに、
- 「ユニバーサルデザインの意識が欠如した商品を出すローソンは社会悪だ」
- 「ユニバーサルデザインの意識が欠如した商品を出すローソンはあんまりイケてないよね」
- 「ローソンにとって、これだけユニバーサルデザインの意識が欠如した商品を出すのは、経営戦略的に間違いだと思うな」
これはね、ぜんぶ別の話なんですよ。
1は社会的な是非の話。究極、犯罪とかそっちの方に向かっていく話。
2は個人の好き嫌いの話。
3は経営者の目線で思考してみたっていうロジックとか仮説の話。
ね、全然違う。
3の話をしている人に1の話をしてもしょうがない。誰も「社会悪だ!」と言ってるわけじゃないから。
いや、1の話をしている人もいるかもしれない。「ローソンは悪だ!」と。でもそれに対して反論をするなら「私企業なんだから許される」ではなくて。「私企業である以上、基準がないので判断のしようがない」が本来の反論で。
いや、あのね、善悪というのは基本的に基準が必要なのですよ。なぜなら我々は全員が全員、別の脳みそを持って別の景色をみて別の価値観を持って生きてるから。そこを、統一した善悪で判断するためには、もうこれは基準がないと無理。じゃないとただの主観になるので。
※ちなみにこれは某献血ポスターの是非にも言えると思っている。エロいかエロくないかなんてのはおよそ感覚的なものなので、基準の無いいま現在でお互い喧嘩腰で話してもしゃーない。基準がないんだから。話し合うしか無いのさ
だから、今回のデザインでローソンの企業的責任を問うというのはたぶんほとんど無理でしょうね。
うん、だから、そんなに興味がないというか。
そりゃ、ローソンほどのデカい企業は接触する人も相応に莫大なので、そりゃもうユニバーサルデザインをガン無視したら消費者から嫌われるよね、っていう。そりゃ無視しない方がいいよねっていうね。これに反論する人いるのかな?(しらんけど)。
そっから先はさ、もうどこまで意識するかっつうバランスの話でしかないわけでして。それはもう経営とか戦略のなかでバランスを決めたらよろしいがな、としか言えないというか。
まあつまり、ローソンさんの好きにしたらええがなー、がんばってなー?応援してるぜー?というか。
もっと端的にいうと
しらんがなっていうことなんだけども(ひどい)
そんなことより気になる本来の目的
あのね、デザインには目的があるわけです。
目的がないデザインなんてなくて、それはもうただのお絵かきで。
目的が定まってないのにデザインがあるとしたら、それはまず目的を決めるところからやり直しなさいと。先生、ローソンくんがもう一回目的と向き合うまで、ちゃんと待っててあげるから。考えてるあいだに残った牛乳飲んでもいいから、先生しょくいんしつで待ってるから、ちゃんと考えるのよ?ってね
ワッシ、小学生のとき本当に先生にそう言われたことがあるんやけどもね。*1*2
ワッシ、その目的が気になる。
正確には、その目的に対して適切なアプローチだったのか、が気になる。
ここも2つの論点があって(というか手前の論点かな)
- 目的対して適切なアプローチ(デザイン)なのか
- そもそもその目的を選択して良いのか
2の方がいまみんな騒いでる論点だと思うわけ。
ローソンは「可愛い」とか「オシャレ」とかいう感じのデザインを選択したわけだけど、その結果としてわかりづらくなったり、探しにくくなったりするという、つまり「その目的を選択した結果(正確には"寄りすぎた結果")、問題が起きてしまった」と。
ワテクシは1の話をしたいと。
ぜんぜんそっちの話が出てこないから(だからいまこれ書いてるんだけど)。
「"これがいい"と選んでもらいたい」
と、いうことが目的らしい。
これみたんだけどもね。
まああの、これ見なくてもそうだろうなとは思ってたんだけどもね。「可愛い」とか「オシャレ」なデザイン採用するときってだいたいそうだから。
僕は、この目的に対するアプローチに違和感があるのですよ。
目的はいい。というか多くの企業が目指す先であり、ある意味ブランドが目指す理想の姿と言ってもいい。
では、「これがいい」と選んでもらうために、このデザインは適切だったのか?という形で論点が進む。
結論、僕は「絶対間違いということはないけど、このデザインだとしたらアプローチ全体としてなんかちょっと違うんじゃないの?」と思っているんでありまして。
「これがいいと選んでもらう」とか「ローソンのあれがいいよね」と思って欲しい、ということなんだけど、これはつまり商品やブランドを購入するときの比較検討をすっ飛ばす、ということ。
さらに、その手法が価格(安さ)でもNo.1品質でもない。見た目やコンセプトを気に入ってもらいたいと。
つまり、こういうことやんな?
- 最も安いわけじゃない
- 最も(質が)高いわけじゃない
- 最も愛されたい
と、こういうこと。
うん、見た。
これ、もうめっちゃ見てきたやつ。たぶん知ってる人は知ってる。
もうね、ほんと言われてたのよこれ。
- 最安でもなく
- 最高でもなく
- 最愛になろう
っちゅうね。そういうやつ。最愛戦略っていうやつね。ワッシが提唱したわけじゃないよ。ワッシは提唱者から聞いただけ。
これね。
言ってることまんまこれ・・・・ではない。
ぜんぜんこうはなってないんだけど、ローソンがなりたいと言っていた姿はまさしくこれだなーとか思ったり。
デザインの目的以前の話
あのー、なんちゅーかそのー、ちぐはぐさを感じてしまうのですよ。
今回の一連の流れに?いや、ちがうな。目的と採用されたデザインに。
いや、愛されるため、(主に)女性の部屋や生活になじむように、そうやって気に入られるためのデザインという意味で大外しはしてないとは思う。
だけどさ、
見た目だけでそんなことできるわけないじゃん
っていうさ。
さすがにパッケージデザインがオシャレになったぐらいで「もうずっとこれで♪」にはどう考えてもならんと思うわけです。
これはね、パッケージデザインに限らず、Webサイトのトップページでも同じようなことを言ってる。
雰囲気でモノを言うWebディレクターがよく言うんよ。
「トップページのメインビジュアルに○○な画像とコピーを置いてブランディングを」
とか。
そんなもんでブランディングになんかなるわけねーだろっていうね。
いや、ブランディングの小さな小さな一助にはなるかもしれない。だからまったくの無駄ではないかもしれない。でもそれは、サイト・・・ではなくそのもっと奥底にある企業としてのコンセプト、行動指針というものがあり、それがすべてのタッチポイントで実現されていて、お客様が出会う全ての場所でそのコンセプトに基づいたサービスができていて初めて成り立つんですよ(ディズニーランドとかその典型かもしれない)。
どこの世界にTOPページのかっこいい絵を見ただけて「アタイ、この企業のファンになる!」なんてやつがいるんだと。
僕はよくマクドナルドの話を出すんだけど、あれも立派なブランドで、全国どのお店でも非常に安い価格でハンバーガーを提供してくれる。さらに、子供向けのセットも大変豊富で、おそらく小さなお子さんがいるご家庭には大変信頼されているんだろうと思う。
でもそれは、あのMのマークとか赤と黄色のカラーデザインで信頼してるわけじゃない。たしかに赤は美味しそうなイメージを持たせる効果はあるだろうけど、深層心理に少し語りかける程度の効果しかないはずで(たぶんね)。それより、マクドナルドがもう何年も何年もずっと、子供達が喜ぶ商品を提供してきたから、あのMのロゴに人は安心する。
これはアマゾンだってユニクロだって同じ。アマゾンなんてあーた、20年前は一体どれたけの人が「巨大な書店の名前」と認知していたんだって話で。アマゾンつったら、南米の熱帯雨林でしょうが笑わせるなよってね。そういう話で。
僕は「ブランディングといったらそれは体験の連続による信頼獲得のことだ」と言う派閥の人です。だから体験に寄りがちなんだけど、とはいえサービスを体験する前の見た目やデザインってのもじつは立派な体験(UX)で、だから見た目によるブランディングを真っ向から否定するわけじゃない。ただ、それにはそれでやり方っちゅうもんがあるんじゃないの?と思うわけなんですよ。
無印良品はそもそもまったく真逆のアプローチ
今回のローソンPBデザインが無印良品のそれととても似ているということから比較する人が大勢いたんだけど、まあ、たしかに似ている。少なからず意識はしてるんではないか?と思ってもいる。
だけどね「無印はそうはいってもちゃんと選びやすいからローソンの負け」とか、はたまた「無印良品のようにそれのシンプルさがオシャレになって選ばれることもある(だから今回みたいにデザイン先行も悪くない)」みたいな論説をちょいちょい見かける。
いや、違うんよ。
無印良品を例に出すのはあまり得策じゃない。
なぜなら、無印良品こそ今回のアプローチの真逆を選択している企業だから。
無印良品はブランドではありません。無印良品は個性や流行を商品にはせず、商標の人気を価格に反映させません。無印良品は地球規模の消費の未来を見とおす視点から商品を生み出してきました。それは「これがいい」「これでなくてはいけない」というような強い嗜好性を誘う商品づくりではありません。無印良品が目指しているのは「これがいい」ではなく「これでいい」という理性的な満足感をお客さまに持っていただくこと。つまり「が」ではなく「で」なのです。
「ブランドではありません」と堂々と言い切っちゃう潔さ(笑)男前やん・・・。
無印良品はむしろ「これがいい」と選ばれることを否定してる。・・・んだが、僕はここを強調したいわけじゃない。「これがいい」を否定しているからまったく逆のアプローチ、と言いたいわけじゃないんよ。なぜなら、結果として無印良品は(本人たちが望むが望まざるが)立派なブランドになってるわけで。
「これがいい」じゃなく「これでいい」を追求した結果、「"これでいい"を提供してくれる無印良品という"これがいい"」になったというなんとも皮肉な話なんだけども。
真逆なのはブランドになる/ならないということではなくて(まあ、結果的にブランドになってるし)、そのアプローチが真逆だ、という話なんよ。
無印良品は「これでいい」を突き進めるために、あらゆる無駄な装飾を排除して、それを商品の質に注ぎ込むという質実剛健的なコンセプトで展開してるわけですよ。つまり、その結果としてあのシンプルなデザインになっているのであって、今回のローソンのようにデザインを変えることで選ばれようとしたわけではないんよ。
そう、完全に真逆。デザイン(見栄え)によって選ばれることを完全否定しているのが無印良品で、今回の話の土俵にあげるのは本当に筋が良くないと思うわけ。
選ばれるための「メッセージ」は、どこに行った
とはいえ、僕はデザインを独自にすることで選ばれる、ということは否定しないんよ。実際「可愛い」や「オシャレ」は強い。とくに女性には圧倒的に支持される。
これはきっちり、時代の変遷からもそう言う流れはずっと前からできていて、いまやAppleの圧倒的な勝利な気がするけど、PC(ファンからPCじゃないとか怒られそうw)をデザインで選ぶっていうおおよそ本質的じゃない選ばれ方をしてきた流れがある。昔ね、やたらカラフルなやつとかね。あったよね(懐かしい)。
掃除機なんかもそういう傾向ありますね。一人暮らしの部屋に映える!みたいな。
だから、見栄えで選ばれようとすること自体は全く否定しない。だが、ローソンPBブランドのような消耗品はそれが大変難しい。基本的にパッケージは捨てられるものだから。掃除機とか、コーヒーメーカー(話題がコンビニだけにね)とか、自分で買って長く部屋に置かれるもの(もしくは身に付けるもの)なら、たしかにデザインで選ばれやすくなるんだけど、食品などはなかなかそれが難しい。
とすると、さらに強いメッセージが必要なはずなんよ。
ただオシャレなだけではない、何か、選ぶ理由が。
「ローソンセレクトは、こういう理由でこういうことを大事にしているから、そしてだからこのデザインで、だから私は好きなの」
と、言わせないといけないはずで。
にもかかわらず、ですよ。
あんなシンプルなデザインにしたら伝わらないんじゃないの?と。
無印良品にすごく似てるんだけど、無印良品はむしろ「パッケージにメッセージなど不要」という信念のもと、ああいうどシンプルなデザインになってるわけじゃないですか。彼らは、デザインにおけるメッセージを否定してるわけですよ。
デザインで選ばれたいと行ってるブランドがそこを追従しちゃダメなんじゃね?と思うわけでしてね。
だから、せめて(逆に)もっと凝ったデザインならよかったんでは?とも思う。もっともっと凝って、オシャレで可愛くて、それでいて上質な雰囲気を感じさせるデザインならよかったんではないかと思う。もっともっと、女性の生活に馴染むような、そんなデザインね。
でも、それを選択しなかった。
余計な要素を排除して、シンプルで可愛くてオシャレなデザイン、を選択した。
であれば、なぜそのデザインなのか、なぜそういうコミュニケーションを選択したのかを、ローソンはもっと熱く語るべきなんじゃないか?と。いや、だってそうしてくれないとわからないから。
つまりね、これがわからん。
あの、"ローソンセレクト"って結局なんなのですか?
ね。
これ割と本気でわからない。
たとえばドがつくほどの競合であり、コンビニ界のトップを走り続けるセブンイレブンには「セブンプレミアム」っちゅうPBがありますやね。
セブンプレミアムも僕は詳しくは知らないけど、もともと良質&高品質思考の強いセブンイレブンですから。「そのなかでもさらに良いシリーズなんやろな?」と思っている(これぞまさしくセブンイレブンの"ブランド"なんだけど)。で、実際調べてみるじゃないですか。
セブンプレミアムとは | セブンプレミアム公式 セブンプレミアム向上委員会
セブンプレミアムは、セブン&アイグループ独自の商品として2007年5月に誕生いたしました。
グループ各社の開発担当者が結集しそれまで価格中心に作られることが多かったプライベートブランドの常識をくつがえし、お客様に提供する価値を重視した安全・安心な「プライドブランド」です。生活を「より豊かに・楽しく・便利に」することを目標に、たった49アイテムからスタートしたセブンプレミアムは、多くのお客様に支えられ、現在では4つのブランドに4000以上のアイテムをそろえるまでに成長いたしました。
うん、ほんとにそんな感じだった。
で、ローソンセレクトって具体的になんなの?って調べてみるとね。
おーい
メッセージどこいったー?!
メッセージが迷子やでー!
いや、まあ実際はこのページにあるんだけど。
「ローソンセレクト」とは?|ローソンセレクト|商品・おトク情報|ローソン
ページがっつり崩れてるっていうね。このページはもう公式には使ってないページってことでね。
ちなみに↑にスクショ貼り付けた公式サイトのどっかにリンクあるかな?と思ってソースを「とは」で検索してみたら「Pontaカードとは」っていうリンクがあった。そっちじゃないだろ。
というか、デザインにメッセージ性を排除した(っていうメッセージなんだけど)無印良品ですら、↑のリンク先のように熱く語ってるわけですよ。
さすがにもうちょっとローソンセレクトもメッセージを発信っていうか、熱く語っていいんじゃないの?と思う。
ローソンの取り組みを否定したいわけじゃないんだ
今回の挑戦、それそのものは悪くないと思うし、多少の調整をすれば「探しづらい」という問題もじゅうぶん解決すると思ってる。そのうえで「生活に馴染むブランド」を目指すためにああいうデザインをするのもぜんぜんいい。僕はおっさんだから選ばないけど、それはそれでいいというか、そういう姿勢こそ僕は好き。
そして、商品そのものの体験ではなく文字を中心としたメッセージでブランドの体験を補助していくというのは、ある意味ダサい対応だというのもわかってる。多くを語る時点でちょっとダサいというのは、あるにはある。
でも、別にそれだっていい。
すべてが視覚を含めた商品体験で語らなくてもいいし、たくさんのコミュニケーションによって、背景や想いなどを理解して商品やブランドを選ぶというのはむしろ現代的で。
だからこそ、ローソンにはもっと熱く語ってほしいなーと思うんだけどね。
ま、熱く語られてもおっさんの僕にはたぶん1ミリも響かないんだけどw
みんな叩くばっかりってのもあるんだけど、それ以上に、このパッケージデザインの本来の目的の方をぜんぜん議論してないみたいだったから、書いてみました。
いつも以上に長くてごめんよ。
「長文で語っておまえがいちばんだせーな」って、いまもう一人の僕が言ってるよ!