例のデザインの手戻りの話。
リスケになったのはまあ仕方がないとして、こちらに落ち度がないのに大幅な修正を要求されそうになりました。修正というか、あれはもう変更です。
・出してきた参考イメージが真逆
・テーマカラーも違う
・レイアウトも違う
これじゃどうしようもない。まともにビジネスができません。大きな案件でもないし、スタンスとしてはプロジェクト中止のリスクを買ってでも断固戦うべきだと思います。その後のリソース管理や企業としてのスタンスの確立を見れば結果的に利益につながると思うから。
でもまあ、会社の立ち位置や付き合いでそうはいかないこともある。それは仕方ない。付き合いの長い営業さんが戦うことを拒否していて、それだって気持ちはわかる。なんとか事態を鎮めたいのもわかる。
この案件はデザインを外部に投げています。パートナーというよりは下請けですが。言わば孫請けですね。
「AB社さんですよね?あそこ、叩けばまだまだ(価格)下がりますよ?もしアレなら、僕もケツ叩きますよ!」
そんなことして何の意味があるんですか?
僕らに落ち度がないなら、直接クライアントとやり取りをしてない下請けの制作会社にはもっと落ち度がないはずです。それなのに、クライアントの要望だからと下請けに無理をさせるというのは、僕には理解できません。
せめて、発注前に価格を下げて依頼するならまだわかります。どちらにも都合があるし、ダメなら他の方法を選ぶだけだし。
まずあるべきは真っ当なサービスをするということであって、それは何でもかんでも言うことを聞くということではないと思います。お金を出している側だから偉くて、貰っている側だから命令に従うべきだとは全く思わない。これは対クライアントにも、対外注にも言えることです。
筋を通した仕事ができないのなら、なぜそうなったのか、どこに破綻があったのかを見極めることは当然必要で、そしてまずそこを正すことが最優先事項じゃないでしょうか?クライアントだろうが外注だろうが社内だろうが、間違っていることは間違っているし、正しいことは正しい。その1番大事なものを度外視して仕事をすれば、いずれかならず利益が出なくなると思います。そりゃ理不尽なことを言われても反発できないのだから。
そもそも、そこで折れなければならないということは、自分達が質の低いサービスをしていると証明するようなものです。無用に安い価格で仕事をするということは、自分達の仕事の価値が低いと認めるようなものですから。
それに、僕は敢えて立場関係をわかりやすくするために外注制作会社のことを「下請け」と書きましたが、心ではそんなこと思っていません。一緒に良いWebサイトを創りあげる「パートナー」だと思っています(パートナーとしては不満も多々あるのですが・・・)。どちらが上でもなければ下でもないし、そして僕は案件のディレクターなのだから、時と場合によっては守らなければいけない存在だと思っています。僕のクライアントととのやり取り、判断は確実に彼らにも影響をおよぼすのだから。
クライアントが間違ったことを言ってるのに、これからも手を組んで仕事をしていかなければならないパートナーに不幸を押し付けてクライアントの信頼を勝ち取ることにどれほどの意味があるのでしょうか?そんなことをしていたら、きっとパートナー会社だって思うはずです。
「この会社はクライアントの言いなりなんだ」
「一緒に仕事をしたら不幸になる」
「いざというとき守ってくれないだろう」
そんな依頼者にクオリティの高いものを出そうという努力をするでしょうか?よりよいものを提供しようと思うでしょうか?いや、今後もパートナーとして仕事をしようと思うでしょうか?これが一企業としてどれほどの損害か、考えるだけで僕は恐ろしくなります。
クライアントではなくクリエイターの味方になれというわけではないです。敵・味方というならば、クライアントを含めたプロジェクトメンバー全員が味方だと僕は思っています。一つのゴールを目指して協力して頑張るのだから。クライアントだけが費用を捻出しているように見えますが、クライアントはユーザからお金を貰うわけで、そしてそれこそが1番大事なことですし。
そんな時に1番大事なのはクライアントの言いなりになることでもなければ、下請けを不幸にすることでもなく、真っ当なサービスをすることで価値を提供し、それに見合った適正な価格(高すぎてもダメ)で仕事をすることだと思います。
だって、クリエイターの仕事は0から何かを生み出し1にすることでしょ?
破綻が起きて、問題も解決せずに誰かを不幸にするなんて、そんなのただ単に不幸の分配をしてるだけじゃないですか。
誰も不幸にせずに、誰かの幸せを創る。
それがクリエイターの仕事じゃないでしょうか。
そのプライドがないのなら、ものづくりなんてやめるべきだと思います。
誰のためにもならないんだもの。
そして、その姿勢こそが誰かの不幸を生み出すんですから。