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笑顔を創りたいWeb屋の日常

某事業会社勤務のWebディレクター。つまり「なかのひと」やってます。Web業界からひょんなことで専門学校の先生に。そしてまたWeb現場に戻ったWebディレクターのブログ。情報デザインやWebの勉強をしています。

投票する側の問題。

プランニング・デザイン

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前回の記事で政治家先生達をこき下ろしましたが、投票するこちら側にも問題はあるんですよね。

投票しない人(若者?)はまず問題外として、投票率が高いと言われる年配、ご老人の方々にもかなり問題があると思います。

国をデザインする人が一番肝心なことがわかってない件について。」の反響や、「太田光の私が総理大臣になったら」の中でもありましたが、

「お年寄りの方々は知る術が無い。だから選挙カーは有効」

「街を出歩いて握手をしたりすると、本当に喜んでくれる」

「今投票率を支えているのはお年寄りの方々。だから、ここでの新しい案を聞いてもピンとこない」(byガッツ石松

ガッツ石松のお粗末過ぎるコメントは問題外として(そんな意見がまかり通るなら、選挙権を60歳以上にすればいい)、両者に問題があると思うんですよね。

お年寄りには有効だからっていうのは、それは言い訳に過ぎないし、「認知する(してもらう)こと」と「より深く知ってもらうこと」「サービスを体験してもらうこと」の違いが全くわかってない証拠です。「知らない人に認知させること」は、それ相応の場所があるはずだし、そこでやらないでどこでもかんでもやるから苦情が出る。それが=TVCMであるべきということではないですよ。別に新聞だって雑誌だって、街中の掲示板だって良いと思います。ただ、どこでもかんでもやってよいわけじゃない。どこでもかんでもやって受け入れられるわけじゃない。

TVCMというのは、あれは紛れも無く押し付けです。

ですが、それが許される場所なのです。特に内容に問題が無い限り、「SONYのCMなんか流すんじゃねぇよ!」っていうクレームは出ない。出たとしても、それはむしろクレームを出すほうが間違っていて、それならTVを見なければ良いだけの話。雑誌も、新聞も同じですね。企業側や提供側が用意したスペースで、そこで人目に触れてほしい、名前を知ってほしいメーカーやブランドが広告を出す。いまさらながら当たり前の話ですね。その「バカみたいに自分たちのことをアピールしてよい枠」を皆ほしがるから、広告枠に大金を払うんでしょ?

政治家の先生方も、名前を認知してほしいならそれなりの場、チャネルでやるべきなんですよ。それを無視して、自分たちのやりたいように、自分たちがやりたい相手に許可もなくやるから、おもいっきりアホな認知手法になる。世間のメーカや企業は、ユーザにどうやってアプローチするか、それを四苦八苦して悩んで悩んでサービスを打ち出しているというのに・・・。

■でも、投票する側にもその意識が無いと・・・

ポスターの写真が良かったり、自転車乗ってやってきたり、子供に手を振ったり、丁寧に挨拶してくれたり、握手してくれたり、そんなもんで判断してしまう側にも問題があると思うんですよね。そういう人が本当に良い政治をしてくれるならいいんですけど、そこは必ずしもイコールではないですから。むしろ、それだけならバカでもできるし、だますことも出来る。天下の宣伝会議編集室長が「ポスターがあった方が、投票するときに選べるからいいじゃないですか」なんて言ってるのを聞いたときには、本当にビックリさせられました。いくらなんでもそれはないだろう。写真うつりで政治をするわけじゃないんだからさ

ポスター一つにやっきになり、肝心の政治に関する情報が抜け落ちたまま、選挙カーで名前だけ叫んだり、サラリーマンの大半がいない時間に街頭演説したり、子供もいないのにあたかもそこに子供がいるかのようなマイクパフォーマンスをしたり、ファッションに走る政治家も政治家ですが、それで選ぶ国民も国民だということです。そんな基準で選んでいたら、政治家はそれに躍起になるのはある意味自然なことだし、それに忙殺されて肝心の政治について吟味しないということは、本当に良い活動をしてくださっている政治家先生を見逃す可能性が高いということです。本来、もっと他にやるべきことはあるはずだし、アピールする場所、方法もあるはずなのに、それを見ずして外見的なものでしか判断しなければ、”本物の政治家”はどこへ行ってしまうのか。

投票に行かない若者を否定する向きがありますが、こうやってよく考えると、きちんと政治の中身を見ないで政治家を判断するお年寄りの方も同じくらい罪なんじゃないかと思います。「自分たちの国を良くするために、きちんと考えて相手を選ぶ」ということが一番大事なことだとするなら、それに対して全く動こうとしない若者も悪いのですが、「きちんと考えていないお年寄り」も同じくらい悪いのでは?と思うわけです。むしろ、投票に行かなければ政治家にとってはプラスにもマイナスにもなりませんが、ファッション的要素だけで判断をして投票に行けば、正しい政治をしている人の妨げになりかねません。(注:ファッション的要素を打ち出している政治家が皆悪いというわけではないですよ。)

政治家なんだから、まずは政治で判断すべき、ということです。

もっと簡単に言うと、「外見だけで判断するな」ということです。

外見を無視しろ、ということではなくて、優先順位をちゃんとつけて総合的に判断すべきだと思います。

サッカー選手は、まずサッカーのプレーを最優先に判断すべきで、街中で握手してくれたからとか、カッコイイからとか、子供に優しいからとか、それは二次的要素。そこも魅力の一つになるべきだけど、少なくとも経営者や監督はまずサッカーのプレーから判断しなきゃだめ。どんなに人柄が良くても点が取れないFWはダメだし、守れないDFもダメ。経営者や監督は、はたまたサポータにも、きちんと評価して、クラブを強く、健全に経営する義務がある。そのために、選手を選ぶことが大事ですよね。

選手=政治家です。

だから、中村俊輔中田英寿が言っていたように「海外のサポーターはきちんとしたプレーをすると点に繋がらなくても拍手してくれる」っていうことなんですよ。良いプレーをしない、観客を魅了するプレーをしない選手は確かに良くないですが、逆に言えばそれを促すような評価をしないサポータや監督だって悪いんです。良いプレー、良い行動にはきちんと評価する。きちんとサッカーを観る、ということです。

政治も同じだと思うんです。

ポスターの顔映りや、その場限りの言動、意味も無い優しさに振り回されるんじゃなく、本当に良い活動、本当に改革を行える資質に裏打ちされた行動を、きちんと国民が評価しなきゃ、国なんかいつまでたっても変わらない。良い政治家を、きちんと評価して、その人に投票をする。ひいては、それが国の文化になると思うんです。中村俊輔がインタビューで言ってました。「スコットランドとイタリアの声援は違う。ほめるポイントが違う」と。そういうことだと思うんです。

ともすれば、それは勝利よりも大事なものになるのかもしれません。Jリーグを観ていると、選手の怪我でチームメイトや敵チームの選手が自己判断でボールを外に出して試合が中断したとき、日本人は、ボールを相手に返します。それが礼儀なんです。でも、そのボールを奪えば大チャンスになることを知っているブラジル人選手の中には、その礼儀を無視してボールを掻っ攫う選手がいます。それが良いとか悪いとかそういう話ではありません。勝利を貪欲に目指すという意味では、ブラジル人プレーヤの方が正しいのかもしれません。しかし、日本人として、それを許さないのは、それはそれで良いと思うんです。この国の文化として根付いた、礼儀や相手を思いやる心、相手に敬意を払うという姿勢。それがサッカーに表現されている、ある意味で武士道精神に繋がるものなんだと思います。「そんなことをするぐらいなら負けたほうがマシだ」というJリーグサポータの姿があったとして、僕はそれをすばらしいと思います。

つまり、そのものをきちんと観て、自分たちの価値観なりに評価をするということをもっと意識すべきだと思うんです。

そうでなければ、この国では何も育たなくなる。

なーんで昼休み使ってこんな長々と政治についてかいているのかというと・・・w

デザインやプロダクト、サービスも同じだからです。

そのものを適正価格でやりとりし、良いものをきちんと自分の目、感覚で評価する。

そうしないと、本当に良いものが廃れていってしまうんです。

すると、たぶんこの国はどんどんものづくりができなくなり、文化が廃れます。

例えば大女優を何人もCMに起用して、結局商品そのものがお粗末なものになっているという某シャンプーとか。それのおかげで、本当に良い商品、開発者やクリエイターが四苦八苦して生み出した良質で価格の良いもの埋もれさせちゃいかんのです。それができないと、本当に良いものはこの国で作れなくなります。プロダクトも、サービスも、Webも。

表面的なことや、安直なブランド志向、言葉歩きに揚げ足取り。

そういうものに流されない、自己を確立することが大事だと思います。