笑顔を創りたいWebディレクターの日常

某事業会社勤務のWebディレクター。つまり「なかのひと」やってます。Web業界からひょんなことで専門学校の先生に。そしてまたWeb現場に戻ったWebディレクターのブログ。

語彙と仕事とサッカー。

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DESIGN IT! w/LOVEのhirokiさん「語彙が少ないと仕事の能率もわるい?」というエントリを以前に読みました。

■理解と語彙とクリエイティブ

なるほど、言われてみればそうかもなぁ、なんて思ったものです。

確かに「理解している」ということの深度は「語彙の広さ」である程度把握できるし、人にものを教える、伝える時に語彙の広さは直接的に影響してきます。ゆえに「伝えるのが上手な人は、しっかりとそのものを理解している証拠」ということになります。

すると、クリエイティブな作業や、作業の効率化ということを考える場合(作業の効率化というのも広い意味でいえばクリエイティブですが)、目に見えない、はっきりとしていない新しいものに、適切なボキャブラリを与えるという作業がうまければうまいほど、クオリティがあがるというのも頷けます。

■意外に近くにいた教材

なるほど~ふむふむ~そうか~という風に納得していたのですが、

ふと自分の身近な題材?にうってつけの教材がいることに気づきました。

サッカーです。

オシム監督。ああ、言われてみれば、この人は物凄く語彙が広く、愛される部分の一つじゃないかと。今頃になって気づきました。「ウィットに富んだ言葉」なんてよく取り上げられますが、この人の発言はとても斬新で、適確に物事を指し、しかし同時に与えられた側に考えさせる行為、いや、その意義を与えてくれる。

彼の指導を受けた選手は押しなべて同じような感想を抱きます。

「ともかく、考えさせられる」

「わかりやすいんだけど、同時にサッカー真髄、走ることの意義を考えるようになった」

「いつ何時でも、自分でやるんだ、同時に考えるんだということを忘れない」

彼の語彙の広さ、そして適確さのなせる業ですね。

なぜ、彼がそれが成しえるのかというと、きっと誰よりもサッカーのこと、監督業のことを熟知しているからでしょう。より深く「理解」しているから、選手に「教える」だけじゃなく、経験として「伝える」ことができる。

そう考えてみると、世界的な名将というのはいつも僕らに、刺激的でクリエイティブな言葉を発していたと思います。ベンゲルしかり、ヒディングしかり、モウリーニョしかり。古くは、クライフとか。「ボールは汗をかかない」とか「1-0で勝つぐらいなら4-5で負ける試合をしろ」なんて、ほんとに斬新ですよね。

■逆を考えてみる

うーん。

確かに、前任者ジーコの語彙ってお世辞にも広いとは感じませんでしたね。

トルシエも、ジーコに比べれば新しい発想だった気もしますが、ただエキセントリックだっただけという気もします。たとえばジーコは、選手時代には素晴らしい言葉をたくさん残していたりもします。ということは、実績もそれを指し示していますが、彼はサッカー選手としては「素晴らしい理解度」を維持していたということなんでしょうか。

教育という立場に携わっている自分は、モノづくりという意味では「プレイヤー」ではなく、学生を指導して経験をつくる「プロデューサー」に近い。サッカー監督というのも、充分お手本になるんだと、思います。