笑顔を創りたいWebディレクターの日常

某事業会社勤務のWebディレクター。つまり「なかのひと」やってます。Web業界からひょんなことで専門学校の先生に。そしてまたWeb現場に戻ったWebディレクターのブログ。

「新しいディレクターが来て会議を変えた話」にあんまり賛同できない件。

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これね、これ。

togetter.com


僕も元受託制作のWebディレクターとして「ディレクター」と名のつく人であったり、プロジェクトなり(社内組織的な意味の)チームの「リーダー」をやっていた身としては、どーも違和感があるというか。少なくとも僕は件(クダン)のまとめのような会議を基本とする会社にはいたくないなと思います。

っていうかぶっちゃけると、みんな怒られたくない、責任を背負いたくないだけじゃないの?

とか思っちゃう。

そんなわけで、うぇぶぎょうかいのむめいでぃれくたーのお時間です。

 



 

件のまとめの核はたぶんここに詰まってると思うんだけど、正直、こんな甘っちょろいことやってて組織として成果出せるんかいな?と思うわけです。

「責任を取る」ってどういうこと?

「俺が責任とるからお前ら自由にやれ」ってのはカッコいいとは思うけど、実際どうやって責任取るんだ?という。

仮に部下や現場の人が自分の判断でやったとして。その結果が悪かったとして。その「責任」ってなんぞや???という。

  • 結果が悪かったので(さらに)上の役職の人に謝る
  • 結果が悪かったのでマイナス査定になる
  • 結果が悪かったので減給になる
  • 結果が悪かったので退職を余儀なくされる

こんなところですかねぇ。
まあ、これができる人はカッコいいんだろうと思いますよ。プレイヤーとしてはね。
でも、上記のような責任というものを「上司」とか「プロジェクトを仕切る人」がすべて受けるということは、裏を返せば・・・

  • 君がどんな判断をくだしてもいいよ
  • その結果が悪くても君にはおとがめ一切なし
  • 謝罪もいらない
  • マイナス査定もない
  • (どんなひどい結果になっても)減給なんてない

となるわけですよ。

これは、会社や組織としてはその人(現場で動く人)に期待してない証左ですよ。だって赤ちゃんとか子供と同じ扱いだもの。「何してもいいよ」「失敗しても仕方ないよ」っていうのは聞こえはいいけど、相手に責任を求めないということは期待をしてないのと同じですよ。

いや、こんなの視点を一つあげればすぐにわかる話で、じゃあ「責任は俺が取る」といったその上司は、そのまた上の上司に同じことを言われているのか?というと言われてないはずなんですよ。っていうか、言われてたらその人も責任取ってないし、そしていったい最終的には誰が責任取るんだよ、責任追及されるの社長一人だけかい、なんてことになるし。

会社というのは自らリスクを取って判断し一定以上の勝率を誇る人に高い給料が出るもので、そのリスクのことを「責任」というわけですよね。

裏を返せば「責任」と「報酬」というのは表裏一体のもので、どちらかだけなんてのは組織が腐って来ている証拠。(だから責任ばかり大きいのもダメな組織だと思う)

そういう意味で言えば「責任は俺が取るから自由にやれ」というのは、実は「お前らにはまだ責任も報酬も渡せないよ」と言ってるのと同じなんですけど、賞賛してる人はそれに気づいているの???というのが疑問なわけですねぇ。

適切なタイミングで適切に叱らないと組織は腐る

「問題の犯人探しをやめます。時間の無駄。解決方法だけでいい」
という内容もあったけど、そんなリーダー、僕は信用できないなぁ、と。僕自身もそんなリーダーにはなりたくないです。
これも具体例を出せばわかりやすいと思うんだけど、

  • 著しく作業効率の悪いメンバーZさんがいて
  • その人のおかげでスケジュールが遅延している
  • だがZさんも他のメンバーもみんな給料は同じ

というときに「解決方法だけでいい」となると、

  • 作業効率の良い(つまり優秀な)Aさんがいて
  • Aさんはまだ余裕がある
  • AさんにZさんの作業の何割かを担当してもらう

となりますよね。

そんなもん、Aさん納得できんわ(笑)
そして、Aさんだけじゃない。「普通の作業効率で普通に結果を出してる人」も不満を持ちますよねぇ。

「なんでZさんは同じ給料なんだ?」

となるのが自然な感情というものでしょう。
やっている作業のすべてが数値化されて、さらにそのすべてが白日のもとに晒され、メンバー全員の査定と年収までがオープンになってる組織ならいいでしょうね。わざわざ指摘や言及をしなくても周りにもわかるから。おのずとZさんの年収や等級が低くて、周りにもそれが見えていて、Zさんが効率悪くても不満も持たないでしょう。そのぶんの給料と責任しか与えられてないから。

もちろん(大概の組織でも)すべての査定が見えていないことはなくて、管理職や役職というのは「見えている査定」の最たるものだと思います。ただそれとて、それより前の段階でプロセスとしてある程度査定が周りに見えてなきゃいけなくて、こと日本の組織というのはそれを避けたがるんだけど、査定のプロセスや評価が見えていないと結果として(よほどずば抜けた能力を本人が見せつけてないかぎり)「なんであいつに役職がつくんだ?」という周りに疑問を抱かせことになるわけですね。

要するに、リーダーや管理職というものは(ディレクターもそうか)、できてないことはできてないときちんと指摘するべきで、そこをうやむやにしたままチームの政を進めるのは、現場と上の板挟みにあうことや現場から嫌われるリスクから逃げているだけじゃないかと思います。日々のやりとりで「できていること/できていないこと」をちゃんと言うから周りも理解するわけで。

ダメなことはダメだと然るべきタイミングを逃さず言うからこそ「あー、さすがにあれは指摘されるわなー」と本人以外の周りも思うわけで、なんならそのおかげで「やっぱりちゃんとやらないとダメだ」となるし「ダメな時はちゃんと指摘するし、ちゃんとやればきちんと評価してくれる」と思ってもらえると思うんですよね。僕は、リーダーとかディレクターに大事なのは、それだと信じて疑いません。

「男は人前で叱るな 女は人前で褒めるな」

こんなことを本で読んだことがありますが、まあ、半分はその通りだと思います。男女なんて本来仕事の成果や評価には関係ないんだけど、各々が持つコミュニティのなかで生き抜いくとなれば、上司側だってそれに配慮するのは大事なことだと思ってます。(ちなみに男を人前で叱っていけないのはプライドの問題、女を人前で褒めていけないのは嫉妬心の問題です)

ただ、それを超えて何かを言わなければならないことはあるんですよね。たとえば会社のブランドから著しく反するような行動をした後輩や部下には、やっぱり言わないといけない。無論、それが個人的だったり1対1の相談だったときにはわざわざ公にすることはないけれど、遅かれ早かれ公にならざるを得ない時や、そもそもその報告がチームミーティングなどの公の場だったときに、そこで「そうか、大変だったね、では解決策を練ろう」なんてことを言ったら、一瞬にして信頼を失うと僕は思っています。そこは、たぶん嫌われるだろうけど、リーダーとかディレクターとか言う人は逃げちゃいけない場所だと思うんですよ。その分だけの裁量や責任ををもらってるんだから。

やるべきことをやっていなかった人にはやっぱり叱るなり、責任追及するなりは必要なことで、もちろんそれとて「程度による」んですよね。なんでもかんでもミスや過失をあげつらうべきではないです。でも、まったくしなくていいなんてのは、そんなのは僕にはやっぱり「上に立つもの」「チームを統べるもの」として逃げているだけじゃないかと思います。

ダメなことはダメだと、ちゃんと叱るリーダーがいるからこそ、チームのみんなはついてきて、そして自身が成長しようと思ってくれると、僕は信じてます。

 

【あとがき】

ながなが書いてきたけど、まとめでつぶやいていた人を批判するつもりはまったくありません。あのまとめにあるようなディレクターが活躍する場面は必ずあるし、悲しいかなその局面は実際に多いと思います。

でも、それは現場があまりに環境が悪い、クソみたいなリーダーやマネージャーやクライアントがいるから起きてるんですよ。そっちが正常になったら、必ず破たんすると思ってます。だって、社会主義みたいなもんだもん。優秀な人が評価されない会議も組織も僕はクソだと思う。

「そういう局面では確かにそういう優秀なディレクターがいたらいいよね。でも、それはそのときだけで、そして評価されるのはその優秀なディレクターだけで実際は現場のメンバーのがんばりは正当には評価されない。それでいいの?」

って思ったのがこのエントリを書こうと思った発端です。

だから、やっぱり、僕は嫌です。

現場のヤル気ある人たちも引き上げられる、そんなディレクターやリーダーになりたいです。