笑顔を創りたいWebディレクターの日常

某事業会社勤務のWebディレクター。つまり「なかのひと」やってます。Web業界からひょんなことで専門学校の先生に。そしてまたWeb現場に戻ったWebディレクターのブログ。

元Webディレクターが「わたし、定時で帰ります。」最終話っていうか全話みたよ。

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5話で止まってたんですけども。

toksato.hatenablog.com

録画はしてあったのよ。たまってたのよ。そんで見たのよ、6話から最終話まで。で、思いました。

ああ、6話~はブログで書くことないな、と。

なぜかというと、6話以降は制作会社や仕事の話というより、そこで描かれる恋愛や仲間、上司部下といった人間関係の話だったので。書くとしたらもう「あー、おもしろかったー」と。

ただ、最終回まで見てこのドラマ全体に対して、僕が書かねばならんことがあるなと。そう思いました。おまえはいったい誰なんだ

とりあえずね、結論じみたこと先に書くとね、みんな、もっと仕事に対して自由に考えていこうよ。やっぱり凝り固まりすぎだとおもうんよ、多くの人は。

 

そんなわけで、うぇぶぎょうかいのむめいでぃれくたーのお時間です。

 



 

僕らは、何のために働くのか

この問いに対し、吉高由里子演じる主人公が、こう答えてた。

わかんない・・・。わかんないけど、よく飲んでよく食べてぐっすり寝て、これからもみんなと元気に働きたい。

いや、そんなの簡単でしょ。

 

 

 

 

幸せになるために決まってんじゃん(ドヤァ)

 

 

いや、冗談じゃなくてね。

絶対そうだと思うんよ。本来は。

っていうか、いまそうじゃない人は一刻も早く転職した方が良いと思う。あなたもぼくも、自分が幸せになるために働いてるんだよ。そうじゃないならやめるべき。

 

いや「幸せになるため」って言ったって「うっひょー!夢の仕事やで!超楽しいわー!」っていうことじゃないですよ。もちろんそれも一つの形ではあるけど、そういうことを言いたいわけじゃないんだわさ。

それが自己実現のためでもいいし、当然お金のためでもいい。っていうか大半の人はお金のためだと思う。僕らは、生きていくためにお金が必要で、「幸せ」の一番下の土台は「まず生きていけること」なのだから。

 

どんな働き方だっていい。そしてすべては手段に過ぎない。

幸せになるために働くんよ。

では幸せとは何か?

それが、人によって違う。

バリバリ働いてキャリアアップしまくって仕事で輝きまくりたい人もいれば、家族との時間を大切にしたい人もいるし、「仕事はべつにテキトーでいいっす。生きていける程度のお金を貰って9時17時で帰れればおっけーっす」っていう人もいる。

全員、それでいいというか、むしろそれこそが大事で。

家族を養い、家族との時間を大切にして生きていく。それが幸せならば、仕事はそれを叶えるためのひとつの手段でしかない。

もちろん、だからといって「だからどんな仕事でもかまわない」ということにはならないよね。仕事は仕事としてできるかぎり自分に合ったものの方が良い。家族のためだからと言って過大なストレスを抱える仕事を選ぶ必要はない。

このへんは妥協とも言えるし、現実との折り合いをつけると言ってもいい。自分が求める幸せがあるからと言って自分の思うとおりにすべてが繋がるはずもなく。現実と向き合いながら、取捨選択をしていくわけよね。

ただ、そうであっても、根底は変わらないはずなんよ。

僕らは、幸せになるために仕事をするんだって。絶対そうなんだって。

「そんなの当たり前だろ」って思った人がたくさんいるんじゃないかと思うけど、でも、実は無意識のうちにそれを忘れてる人が多いと、僕は思っている。ちなみにドラマに出てくる人たちもみんなそれを忘れている

 

「仕事だからやらなきゃいけない」なんてバカげたことを言ってはいけない

部下だったり後輩だったり、プライベートの友人だったり。

僕は何かと相談を受けたり、愚痴を聞いたりすることが多いのだけど、もう何度このフレーズを聞いてきたか。

 

「だって、仕事だからやらなきゃいけないじゃないですか」

 

 

断言する。

 

 

んーなことはないっ!

 

 

いやね、もちろん、仕事はちゃんとやるべき。

でも、できないことはできないし、仕事だからってなんでも絶対にやらなきゃいけないわけじゃない。というか、そもそも仕事にそんな絶大な拘束力はない

 

Q.仕事でやるべきことをやらないとどうなるか。

A.まあ、まず上司に怒られますね。

Q.では、それが続くとどうなるでしょうか

A.お給料が下がりますね。

Q.それでも改善が見られない場合にはどうなるでしょうか。

A.(最悪の場合)解雇されますね

 

解雇はあんまりうれしくないですねぇ。

 

でもさ、

 

 

はて、それのなにが問題なんでしょうか?

 

 

解雇されたら別の会社で働けばいいじゃーん(たりらりらーん)

 

いや、ふざけてみたけど、そうじゃなくてね(じゃあふざけるなよ)。

仕事がちゃんとできなかったからって殺されるわけじゃないし、人権侵害をされる筋合いも無い。

仕事なんてのは、結局"ただの契約"なんよ。

契約は絶対ではない。
契約不履行だったら即座に殺されるなんて、あってはならないしあるはずもない。

契約不履行だったら、「契約不履行ですね」って言われるだけ。そしてなにかのペナルティを受けるだけ。合わないなら、そのペナルティを受け入れればいいだけ。ただそれだけの話なんよ。

サッカーの世界でよく「移籍金●●億!」という報道が出るけど、あれは実質的には「違約金」なんよね。複数年契約を結んでいる選手が、その契約年の途中で移籍、つまり「契約解除」をするのでそのお金が発生する。なので、たとえばレアルマドリードに移籍することになった(元)FC東京の久保選手は、18歳になる自身の誕生日である6月4日までの契約だったので、移籍金が発生していないらしい。

契約というのはそういうもので、良いとか悪いとかいうものではないんよ。そんなもんは個々人なり組織が感情としてそう思っておけばいいだけで、絶対的な善とか悪があるわけではないんだわさ。契約違反だろうが、両者がその後合意したのならそれでいい。

仕事だって契約なんだから、どうしてもやりたくなかったりやれないなら、やらなければいい。結果として給料が下がるかもしれないけど、だからそれも踏まえて自身で選択すればいい話で、「仕事なんだからやらなきゃいけない」なんてことはないんよ。

さらにいえば、(一定以上の)能力がある人が「これは仕事だからやらなきゃいけない」なんて言い出した日にゃ、経営者はもうウッハウハなんよ。だって反発されずに、勝手に膨大な仕事してくれるんだから。ただの契約でしかないのに。

だから、たとえば仕事のできない人や、毎日、やるべき仕事をほっぽり出してでも定時で帰る人がいたとして、それとて契約でしかない。別にその人が悪いわけじゃないんよ。会社がそれでいいって言ってるんだから。
※仮に上司が怒っていたとしてもそれで給料が変わらないのなら「それでOK」と言ってるのと同じことよね。

是正すべきはその公平性の低い評価であって、戦うならそれは上司や経営者なんよ。「あの人、あんなに仕事放り投げて帰ってるのに自分たちと同じ給料なのは納得いきません」って。なのに、それをなぜか同僚にぶつけてしまう。経営者にとってこれほど楽なことはないんよ。本来それは経営者やマネージャーの怠慢なのに、勝手にお互いで仕事を強制しあってくれるんだから。そういうのを社畜というんだけど。

 

実は「仕事だからやらないといけない」という方が楽だったりする

判断が一つ減るし、何より、取捨選択を会社に依存できるから。

「もしかしたらクビになるかもしれない」という選択を、したくないんよね。

でも、それが会社への依存を発生させることになる。

 

たしかに楽なんよ。「これは仕事だから~」って自分に思い込ませた方が。考えなくていいし、リスクも無い。やっておけばとりあえずクビにはならないから。しかしそれは、人生をハンドリングすることを会社に委ねているのと変わらないんよ。つまり、「仕事だからやらないといけない」という精神こそが、社畜のスタートなんよ

 

ドラマの主人公たちも、部長の福永があり得ない低い価格で大きな仕事を持ってきて、それに付き合わされて残業や休日出勤が肥大化してた。あのね、やらなきゃいいんだよ。だって、プライベート大事じゃん。そのために仕事してるんじゃん。そして定時はちゃんと仕事してるんじゃん。最低限の契約事項は守ってるわけじゃん。じゃあ帰ればいいじゃん

 

やらないとどうなるか?
会社が困るでしょうね。そして上司からの評価も下がるでしょうね。

ふむ。

で、それで何が困るんだっけ?

評価が下がったら給料が下がりかねないですね。

うん、それはイヤだけどさ、では、プライベートを完全に潰して、恋人との関係も悪くなってまで、それでもその給料を維持したいの?

アナタの幸せがそうなら、そうすればいい。そうじゃないなら、べつに多少給料さがってもいいじゃん。給料維持するためだけに仕事してるんじゃないんだから。

 なのに、「仕事だから」「会社が困るから」といって残業したり徹夜したりする。そして過労死なんて最もバカげた結末を迎えたりもする。

 

何度でも言う。僕らは、自分の幸せのために仕事をするんよ。

それに繋がらない仕事はすべきじゃない。しなくていい。もちろん、なんでもかんでも杓子定規に「これは幸せにつながらないからやりません」なんて言っていたら仕事がなくなってしまう。けれども、それとて「仕事が無くなってしまう」から避けるわけで、無くならない範囲ならそれを選択すればいいし、なおいえば、無くなっても困らないならそうすればいい。

 

実は、この考え方のほうがシビアな世界だったりする

薄々感づいている人もいるかもだけど、僕が今している話の方が実はシビアな世界なんよ

「仕事だから~」とその部分について考えるのをやめて仕事に没頭した方が安全です。そりゃクビにならないから。

「自分の幸せのために仕事をしてるんだから」「自身で取捨選択をすればいい」というのは、裏を返せばこういうことになる。

 

あなたは(自分は)、なにで会社に貢献するのかを強く問われる

 

会社が言ったことを会社が言ったとおりに、どんなに厳しい状況でもこなしていればそんなことは問われないんよ。だって会社の言うとおりにしているのだから。

しかしこれを「いえ、それは私はやりません」「私は残業せずに帰ります」と突っぱねるということは、「では、どうやって会社に(給与に見合う)貢献をする?」ということを自分自身が(orも)考えなければならないということ。

 

でも、本来の契約というのはそういうもののはずなんだよね。

だって、企業同士の契約だって、僕らがプライベートでサービスを利用するときだってそうでしょ。こういう契約で、こういうことをお願いします、お金は●●円払いますね、と。労働契約だってそれと何ひとつ変わらない。

それが、これまでの日本は終身雇用という文化で「能力があろうがなかろうが定年まで雇う」という、およそ合理的ではない仕組みだったゆえにないがしろにされてきたわけですよ。結果として、能力の低い人に相応の評価を渡せず、そうなると能力の高い人にも相応の評価を渡せず、そうなると本来上げるべき成果に目が向かなくなり(だって成果出しても給料あがらないんだから)、企業全体の生産性が下がる。

いま、我が国の生産性の低さが問題視されているけれども、解決策の一つは「きちんと合理的な判断のもとに正しい査定をする」ことだと、僕は思ってるんよ。そしてそれはつまり、労働者側も「自身の契約にシビアになる」ということであり、「仕事だからやらなければならない」という誤った思い込みを捨てることだと思ってる。

そうなると、能力の低い人にはそれなりの給与しか払われなくなる。これはとてもシビア。でも、本来はそうじゃなきゃおかしいんよ。そりゃ、いっぱい成果を出せる人にお金がまわるようにしないと、誰もがんばらなくなってしまう。もちろん、能力の低い人が生きていけない世界は絶対にイヤだし(そもそも僕がいつそうなるかもわからないわけで)、セーフティーネットだって絶対必要。

大事なのは「能力の低い人も、高い人も自らが働き方や報酬を選択して、みんなが不安なく生きられるようにすること」で、そのためにはまず「正当な評価をする」ということが守られないと、そもそも実現しない。選択肢が無いんだから。*1

 

できる人ほどさっさと帰れよな

そのためには、会社側の働き方改革を待ってるだけじゃダメで、僕ら労働者側だって自分で戦っていかないとダメだと思うんよ。だって、そりゃ経営者は基本的には自社の利益を最優先に行動するわけで、そりゃ言わんでもたくさん働いてくれる従業員の方がうれしいのは当たり前で(もちろん法律は守らないといけないけどね)。

そもそも、「仕事だからやらなきゃいけない」と、自身でリスクをとって判断することから逃げて、会社に依存してる時点で文句は言えないんよね。

「だって仕事なんだからやらなきゃいけないじゃん」とか「だってそうしないと会社や周りが困るじゃん」とかいう人に限って、後になって文句を言ったりする。だったらやるなよって言う話で(笑)。周りが困ると思うから、助けたいと思うんだったらやればいい。そりゃただの自分の判断であって。

日本人は真面目だとよく言われる。それはたしかに仕事に対してはそうなのかもしれないけど、同時にそれは「自分の人生を自分で考えること」に対して不真面目なんよね。

自分の人生なんだから、ちゃんと自分で考えて決めないと。

会社や経営者は、あちらの都合で動くのは自然なことで、だからこそこちら側だって自分たちの都合をちゃんと主張して戦わないといけないんよ。私の幸せはそれではないので、そこまではできません、と。

クビになる?

ダイジョーブダイジョーブ。

 

 

この国、解雇するのめっちゃ厳しいから(笑)

 

 

そう簡単に解雇なんてできませんよ。よほど労働意欲が低いとかでない限り。与えられた仕事に対して人並みにやってりゃ、解雇なんてそう簡単にできない。そういう意味で、日本は労働者を守る方に法律が向いていて、本来は主張さえすればすごく強い立場になれるはずなのに、どうしても会社の言うことを聞いてしまう。

だいたいね、「優秀な人がいなくなったら困る」よね。だからそういう人は強気に出れるのは間違いない。でもね、たとえば現場のイチ平社員でもその人たちが全員いなくなったら経営者は困るんですよ。めっちゃ困る。なんなら集めるのが大変なぶん「優秀な一人」よりよっぽど困る。

だから、能力の高い人も低い人も、みんながちゃんと自分の幸せを考え、主体性をもって働き方を選択していれば今みたいなことにはならないはずなんよ。でも、いまは多くの人が「仕事なんだから~」と主体性なく動いちゃってるおかげで、そうじゃない人が非常に目立ってしまう。結果、必要以上に評価を下げられてしまうリスクがあったり、あろうことか仲間であるはずの同僚がその人を責めたりしちゃう。バカバカしいね、ほんとに。

 

だから、能力の高い人ほど戦う姿を見せなきゃいけないと思うんよ。

 

能力の高い人に、会社は厳しく出づらいから。
そういう人こそが「あ、了解っす。そこまではできないので、ここで帰りますね」と、当然の主張をすべきなんよ。すると会社は「ぐ、ぐぬぬ・・・」となり、そしてそれを見ている(階級の)下の人たちは「あ、そうか。仕事ってそうやっていいんだ」となるはずで。

実際、僕はこのブログでも前に書いたけどスカウトメールもそれなりの量きますし、いまの会社でも他にいないスキルで戦えてます。まあつまり「そうそう食いっぱぐれない人」であります。

そんな僕は、Jリーグや日本代表などサッカーの試合があれば「うぃっす。今日は定時で帰ります。じゃっす!」って帰ります。ぶっちゃけね、職場によっては良い顔されないところもありましたよ。でもね、んなもんしるかと。「クビにできるもんならしてみろ」と思ってます。

誤解しないで欲しいのは、僕はたぶんまあまあワーカホリックな人ですw まあそりゃ、何年もこんな仕事関連のブログ書いてるぐらいですから。過去に徹夜連発してたこともあるし、毎日終電だったこともあるし(そりゃまあ、Web制作業界はね・・・)。まあ、仕事好きなんでしょうね、根本は。ぶっちゃけ割と会社には従順だしw。

でもそれも、僕自身が主体的に選んだ結果であって、それでずっと良いとは一度も思ったことなかったし、そういう環境ですら帰るときはビシっと帰ってましたし。

僕は、それを部下や後輩に見せたかったんよ。

「みんな、ちがうぞ。仕事だからって絶対残業しなきゃいけないわけじゃないんぞ」

って。

 

主体性をもって仕事をしていこう

結局、やっぱり言いたいのはこれです。

1話からずっと変わらない。

みんな、仕事だからって思考停止するのやめよう。

ちゃらんぽらんにやる仕事があってもいいし、定時で帰ったっていいし、会社の言うことだから聞かなきゃいけないなんてことは絶対にない。それすら、自分で選べばいいんよ。

 

これから、どうあがいてもシビアな世界が来ると思います。

生き残るためには能力を身につけなきゃいけない世界になりつつある。

できるだけがんばって、もっと楽に毎日のんびりしてても楽しく生きていける世界にしなければならないけどさ、でも、どうしたって能力主義の世界が来てるんよ、もう。転職する人もひと昔前より圧倒的に増えたしね。会社が助けてくれる時代でもない。

だからこそ、仕事はもっと自由でいいんよ。

いろんな働き方があっていい。できない人はできないなりにやれる仕事をすればいいし、もっと向いてる仕事を探してもいいし、もういっそ働かなくてもいいならそれでもいい。

 

僕らは、幸せになるために仕事をするんよ。

自分の幸せ最優先で動くことは現実的にはできないけど、でも、その大目的を忘れちゃダメさ。それを忘れるからおかしな労働形態になり、おかしな同僚批判になり、生産性もどんどん下がって行く。悪いことしかない。

だから、自分の幸せとは何なのかを、まず考えなきゃいけない。

その幸せに対して、仕事はどう貢献するのか。

それをもとに、働き方や職種を選び、会社と共に戦いながら、ときに権利を主張していくべき。

 

主体性をもって仕事をしよう。

 

*1:いやまあ、そうは言ってもひと昔前に比べればありますけどね、選択肢。