笑顔を創りたいWebディレクターの日常

某事業会社勤務のWebディレクター。つまり「なかのひと」やってます。Web業界からひょんなことで専門学校の先生に。そしてまたWeb現場に戻ったWebディレクターのブログ。

元Webディレクターが「わたし、定時で帰ります。」第2話みたよ。

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うん、みた。また面白かった。

だからまたなんか書くんよ。またとりとめもない散文を書くんよ。よろしくだよ(謎)

第1話の感想はこちらね。
もうこれ感想じゃない気がするけど、そんなことは気にしない。

toksato.hatenablog.com

ワテクシこんな文章書いてる場合じゃないんですけど、ブログを書いている暇がないときほどブログを書け、と、そういう名言があるわけです。

ええ10年前の僕が言ってました。(実は本当に言ってた)

類似するものに「ウイイレをしている暇がないときほどウイイレは楽しい」という格言があります。ええ、もちろんワテクシのワテクシによる格言でございます。*1

さて、今回もまた示唆に富んだ会でございましたねぇ。いろいろ思うところありますので、前述のとおりものっすごくまとまりのない形でいくつかのシーンに対して元Webディレクターの私見を垂れ流してまいりましょう。

 

そんなわけで、うぇぶぎょうかいのむめいでぃれくたーのお時間です。



 

実績がモノをいうのは仕方ない

話は、産休から復帰した賤ヶ岳さんを中心に進む。
第1話で問題を起こしつつドラマストーリーの中心になりつつそんな三谷さんががんばった「ファイヤーストロング社」のPRサイトが、コンペで勝って受注が決まったと。

だがしかーし、クライアントからの要望で「産休から復帰した賤ヶ岳さんがいるなら、賤ヶ岳さんが担当が良い」という一言で、三谷さんはメイン担当から外れることに。

部長(福原)「うん。コンペに勝てたのは種田君と三谷さんのおかげ。でもクライアントがさぁ、復帰するならチーフディレクター、賤ヶ岳さんに頼みたいって言うんだよ」

三谷「あの・・・私に何が足りなかったんでしょうか?」

部長「実績?(ニコニコ)」

これはまあ、しょうがない。

僕は2005年にWebディレクターになったのでもう14年もやってるわけだけど、直近の2年は制作会社ではなく、事業会社側にいる。つまり発注者。
発注者になるとドラマ内のクライアントの気持ちがめっちゃわかる・・・。

結局、こういう仕事は"人"なんよ。
とくにWeb制作とか広告代理店とかになると、担当者の力量におーーーーーーーーきく左右される。それはやる気という意味でも、地頭(ジアタマ)の良さという意味でも。どんなに会社が優秀でも、担当者がダメだとすべてがダメになる
どんなにエンジニアが優秀でも、間に立つディレクターがまるでアホの子だと機能しないでしょ?かといって、それは金額の高い低いに必ずしも一致しないんよ。残念ながら、単価が安い会社にも優秀な人はいるし、高い会社にもひどい人はたくさんいる。

さらに、僕がWebの仕事を発注するならまだ専門的な知識があるから良い方で、普通はわからない。なんなら、Webをはずれると僕にもわからない。わからない業界について発注しなきゃいけない。そうなるともう、相手を査定する術が限られてくる。

そういうとき過去に実績を持ってたり、過去にやり取りがあって信頼できる相手というのはもう本当に助かる。発注したい。めっちゃ発注したい

実績というのは、クリエイティブやオーダーメイドにおいて本当に高い信頼性を発揮する。それは、どう発注して良いのか、どこをどう信頼して良いのかわからないから。形のないものを発注/受注する場合、これはもうしょうがない。三谷さんが仕事を奪われて悔しいなら、三谷さんも実績をつくればいいのです。

そのうちきっと「コンペは良かったけど、三谷さんが出てくれるならお願いしたい」と言われるはずだから。

 

プロモーション変更だって成果のため

三谷さんと賤ヶ岳さんの会議中の争い。

賤ヶ岳「だから、クライアントがこっちの方向でって言ってるの。担当者も私を信頼してそう言ってくれてるし」

三谷「私は信頼されてないってことですか」

賤ヶ岳「いやそんなこと言ってないでしょう」

三谷「ぜんぶお一人で仕切ろうとしなくたっていいじゃないですか。おうちに小さいお子さんもいて大変でしょうし」

賤ヶ岳「なにそれ!小さい子供がいると、仕事がいい加減だって言いたいの?!」

三谷「そんなこと、いつ言いました?」

いやー、現発注者としても、元同業者としてもウンザリする議論。なぜなら、誰もプロジェクトの成果に向かって話をしていない。クライアントが言っているからそれが正しいわけではないし、担当者として信頼されているからその人の言うことを聞くべきなわけでもない。

すべてはWebのプロとしてビジネスにどう貢献できるかについて話をすべきで、その結果としてクライアントの意見を否定すべきならそれはしたらいい。少なくとも僕はそうやってWebディレクターをやってきた。

ドラマに出てくるこの二人の議論にはそれがまったくない。クライアントが言ってるかどうか、信頼されているかどうか、一人で仕切ろうとしているかどうか、子供がいるかどうか。ゴメン、クソどうでもいい。

二人の議論のスタートである「クライアントとのキックオフミーティング」においても、クライアントの方針変更に対して「変更に対応することも仕事のうち」と、賤ケ岳さんが三谷さんをなだめるわけだけど、これもおかしい。

変更は明らかに工数の増加で、それを受け入れるにしても限度がある。ただそれを、「なんで一度出して受け入れたコンセプトを変えるんですか」と感情で訴えるのも全く違う
発注側にいるとわかるけど、変化や変更はしょうがない。だって、世の中がすぐに変化するんだから。未来は誰にも読めないわけで(それをある程度予測するのが経営者の仕事だというのはわかるけど)。その変化のリスクやデメリットを誰がどれだけ受け入れるかという話で、それが制作会社なら「変更(修正)回数」というものになる。

さっさとそれを定義すればいいし、その範疇ならやればいいし、その範疇を超えても会社の利益になると思うなら受ければいい。

感情で話すことではないんですよ。変更した方が成果が出るならそうすべきだし、それが自社の赤字になるなら追加で費用をもらえばいい。感情で判断してる時点でディレクターとして才能が低い。それは同時に「クライアントの変更なんだから~」という側にも言えるけど。

 

ディレクションの本当の実績は「明日の味方をつくれたか」

もちろん、クライアントからの信頼だって大事。
でも、しかし信頼をなぜ得られたのかというと、プロジェクトを円滑に進め、クライアントを不安にしなかったから。なおいえば、それで成果が出たから。ただ、実は最も大事なのは「成果」ではないんですよ。なぜなら世の中の発注がそこまで成果だけに寄ってないから。
とにかく良いサイトを作ってほしい、とにかく煩雑なやり取りを受け持って円滑に終わらせてほしい、なんて話もそこかしこにある。

担当者が大量なタスクを抱えていて、でもそれが単純作業じゃない。ということは、ある程度まとめて受けて考えてくれる人が欲しい。でも、そんな人はそうそう入社しない。そういうとき「この人にまるっと投げておけば悪いことにはならない」という、それだけでも成果と関係なく信頼されるわけで。

つまり、実は成果も絶対的な指標じゃないんですよ。成果も含めて「この人に渡しておけば大丈夫」と思えるかどうか。でもね、そのためにはディレクター一人じゃ成り立たんわけです。だって、ディレクター一人じゃ何もつくれないから

クライアントから「この人なら!」って思わせるのが大事なんだけど、ではそのために必要なものは?となると、どうしたってディレクターの裏で動いてくれるデザイナーやエンジニアが必要になる。むしろ彼らがつくったものを納品することで信頼されるわけだし。

結局、ディレクションなんてのはそのまわりにいる「職人たち」の仕事をどう最大化するかでしかない。もともとが1とか2程度の力しかないメンバーなら届くレベルも限界があるわけで。しかしそれもまだ良い方で、だれも協力してくれなければ0(ゼロ)なんですよ。ずーっとゼロ。

周りの職人たちに忖度しすぎてもいけないけど、職人たちが居なきゃ何も生みだせない。ということは、その職人たちが「こいつの言うことならやってやるよ」と思えるかどうかが、ディレクターの勝負ポイントなわけです。

僕がWebディレクターになりたての頃に貰った、宝物のような言葉をここに記しておきましょう。これがすべてだとすら思います。

―ピンチになったとき、おまえの一言でどれだけの人が助けてくれるか。それがディレクターの財産だー

「どんなに緻密にプロジェクトをまわしても、いつか必ず想定外、ピンチな場面は訪れる。なぜなら人間がやってることだから。こちらに全く非がなくてもクライアント側の組織変更だとか、要因はいくらでもある。
そんなとき、すまん!たのむ!の一言で"しょうがねーなー、今日は徹夜だ!"と助けてくれるエンジニアやデザイナーが何人いるか。そういうことだ。だから、おまえらはピンチのときだけ頑張ればいいんじゃない。むしろピンチじゃないときに、平常時にいかに丁寧にディレクションができるかが大事なんだ。その日頃のやりとりが"こいつが言うんじゃ助けざるを得ないわな"という信頼になる」

だから、賤ケ岳さんも三谷さんもディレクターとしては本当にダメなんですよ。すべてを駒だとしか見ていないし、自分の正義ばかりを押し通す。その点、主人公の東山は素晴らしいし、この話にのっとってる。すばらしい。そんなに仕事やる気ないみたいだけど。

 

「仕事」と「恋人」は比較すべきもの

実は、このことをめっちゃ書きたかった。
過去の回想シーンでこんなのがあった。

東山(主人公)「仕事とアタシと結婚、どっちが大事なの・・・」

種田「仕事だよ」

この話がTwitterでも盛り上がってたように思う。
世間的にもこれまで何度も繰り返されてきた会話でね。

僕の持論ですが「仕事」と「恋人」は比較せざるを得ないものです。

そりゃね、仕事と恋人は全然違う。一概には言えないし、比較項目がそもそも並ばない。ぜんぜん要素が違うものだから。

でも、「時間の使い方」ではじゅうぶん比較対象なんよねぇ。

たとえばラーメンとカレーは比較するものじゃないと言われれば、そのとおり。全然違うもんだもん。でも、胃袋の満たし方としては比較対象なんですよ。そりゃ、日ごとに気分は違うしラーメンとカレーは全然違うし、細部にいたるまで比較する必要はない。けれども、10日間あるうち7日間カレーを食べてたら、それはラーメンが負けてるんだよね。「人生という時間の中で、どれだけそれに時間を使えるか」というのは取捨選択の話であって、その時点ですべての時間の使い方は比較対象になる。

「仕事と恋人」も論点も本来そこにあって「今日は仕事だけど明日は恋人と~」だったらきっと怒らない。「今日も明日も明後日も一週間後も仕事で、恋人とは二週間後の1時間だけ会う」だったらそりゃだいたい相手は怒る。

  1. 何を問われていて
  2. 何が自分と相手の判断基準になり
  3. 相手が求めているのは、そのなかでのどこのラインなのか

これをちゃんと整理すべきで、比較するのは違う!というのはおかしいと思うわけです。だって比較した結果、そこに時間の使い方が表れているのだから。質問に対して逃げなわけですよ。

 

「キャリアパス」というのは"上に登る"だけではない

そういう意味では、そもそもの「キャリアパス」というものも考えなければならんと思うわけです。今日のドラマもそういう話だったし。

「キャリアパス」というのは「キャリアアップ」とは違うのですよ。(たぶん)

「キャリアアップ」はそもそもビジネスの世界における"アップ"の話だと思っていて、ルート(パス)の話ではない。そういう意味ではアップする必要もないはずなのです。アップしたい人がすればいいわけで。

僕は前職でこんなブログを書いてきたんだけど

www.ini.co.jp

ドラクエの世界で言えば、勇者になる(なり続ける)ことだけがキャリアパスではないんですよ。勇者がいる国をおさめる人、勇者を育てる人、勇者を支える人もいて世界は成り立ってるわけで、みんなが勇者として有能になることがすべてじゃない。キャリアというのはそういうのを含めて語るべきで、自分がいますぐGDPに貢献できていなくとも、未来の子供がそれに大貢献するかもしれない。

だから、主婦だから・産休明けだから、と仕事を奪われるべきではないし、かといって産休明けの方々が同じキャリアパスを目指す必要もない。

良き母親になることも、夫婦における「100点な嫁」になることも、キャリアとしては間違いではないわけで。どっちも素晴らしいことなのに、なぜかキャリアウーマン(バリキャリ女子?)ばかりもてはやされる。それはおかしい。だからどんな母親、ワーママでも良いわけですよ。
みんなちがくてみんないい、な世界が目指すべき理想だと思うわけですよ。

 

「その人しかできない仕事」を問われる厳しい時代でもある

たとえば工場のライン工だった人が産休で抜けて、復帰したときに時短勤務にになるとする。その人が「同じ給料で時短で!」っていうのは無理だと思うんですよ。基本的には(まあ大企業ならそれもできるかもしれないけど)。

ドラマで出てきた賤ヶ岳さんも、拘束時間の長いディレクターじゃなくてアドバイザーやレビュアーとか頭脳を貸す仕事をすればいいと思うんですよ。もちろん、時短ディレクターでも働けるような会社が理想だし、在宅で対応できるようにすることもできる。

けれども、向き不向きでいうと各所とのコミュニケーションやクライアントとの対話が中心であるディレクター職は(どこにいようが)拘束時間が長いので、時短勤務にはあんまり向いてない。

だったら、経験も才能もある賤ヶ岳さんは現場に出るんじゃなくて、各アウトプットのレビューをするとか、コンセプトワーク専門になるとか、その能力をいかして短い時間で効率的に働く方が良い。
これは「そうしろ」ということではなく、それでもどうしてもディレクターでいたいという人には、がんばってその道を用意したらいいけど、本来はそうじゃない選択肢がある方がいい。時短には時短の、その人にはその人にあった仕事が理想で。

ただね、そうなるとこれ、つまり「あなたは何ができますか?」ということをより一層問われていくんですよ。
産休とりました。→復帰しました。→子育てがあるので時短勤務希望です。→いいね!→さて、では何をして会社の経営に貢献しようか?→きみ、何ができるっけ?となるわけで。

で、これは女性だけの問題ではないはずで。

子育ては女性だけがするわけじゃない。男性だって時短勤務をすればいいしすべきですよね。長時間拘束が必要なことは僕みたいなプロ独身に任せればいい。つまりこれは子育てをする人たちみんなの問題だし、国全体として子育て世代が楽にならないと死んでしまうので僕のような独身にも重要な話だったりする。

さらに、働き方改革で労働時間や日数もかなり厳しくなります。すると、これは(今迄に比べたら)全員が時短勤務になるようなもんで、働く人全員が「で、きみ、なにができるんだっけ?」を問われていると思うんですやね。

ちなみにこれは、みんながみんな「自分の能力を問え、生産性を考えろ」ということではなくて。「働く時間が短くなったけどそのぶんだけ給与も減っていいので、安定して働きたいです」という人はそれはそれでいい。そういう人も守られるべき。

 

だからこそ大事なのは「自分は仕事とどうやって向き合っていきたいのか」という主体性だと、僕は思います。前回のブログエントリでも書いたとおり。

稼ぎたけりゃ稼げばいい。しかし、これまでのように無駄に残業を増やして稼ぐということはできない。そもそも、それは仕事としてもおかしい話で

「あなたは何ができるのか」を問われていくということは、そのもう一歩手前に「どういう働き方をしたいのか」があるはずで。

ディレクションの話も、すべてこれに繋がるんじゃないかなと思っています。

そんなことを思った第2話でした。

 

 

 

*1:彼氏や夫に対して「この人、なんでこう時間が無いっていうときこそウイニングイレブンやるの?!」と思ってる奥様、許してあげてくださいそういうことなのですその時間が楽しいのです。