笑顔を創りたいWebディレクターの日常

某事業会社勤務のWebディレクター。つまり「なかのひと」やってます。Web業界からひょんなことで専門学校の先生に。そしてまたWeb現場に戻ったWebディレクターのブログ。

会社に教育など存在しない。

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こんばんちは、スーパー太っちょWebディレクターです。
スーパーは太っちょにかかります。

これを読んで。

blog.tinect.jp

ちなみに記事内でリンクされているまなめさんの記事も以前に読んでる。

とくに内容には異論ないのだけど、そもそも「教育」というのが企業には無いよなぁと思ったわけですよ。

おまえ、ただのWebディレクターのくせに教育のなにがわかるんじゃい!といわれるだろうけど、僕は一時期、専門学校の講師をやっていたのよ。それも非常勤ではなく常勤講師であり、Web学科の学科長として。

この専門学校での体験は本当に貴重なもので、僕は本当にここで「教育とは何か」ということを教えられたんよ。本当にびっくりした。自分は今まで何をやっていたのだ?というぐらいにはびっくりした。

それを、Web制作の現場に戻ったときに実践したら、これがもう本当に効果テキメンだった。自分の目の前で伸びていく人を何人みてきたか(自画自賛)。

しかし、教育業界から離れて一般企業に戻ってから、僕と同じ思想を持ってる人にはいまだに一人も出会ったことが無い。ジョブホッパーの僕なのに。Web業界だけじゃなく、印刷、出版、SIer、人材、不動産TECHなど、規模も5~6人の会社から数十人、数百人、数万人の会社まで在籍経験があるけど、誰一人おなじ考えを持ってる人に出会ったことが無い。

今日はそんな教育の話。

■目次

そんなわけで、うぇぶぎょうかいのむめいでぃれくたーのお時間です。



 

研修、セミナー、オンライン講座・・・そんなものは教育ではない!

ないんじゃぁ!(突然)

社員教育というとやれ研修だ、やれセミナーに行かせるだ、偉い人はすぐにそんなことを言う。極めつけは、口癖のようにこんなことを言う。

 

「え?その件、ちゃんと教えたはずだけどなぁ」

 

ええい、だまらっしゃいこんバカチンが!!!

そんなものは教育ではない

 

どうも偉い人、有能な人というのは相手に対して与えることばかり考えて、そして自分ができるもんだから相手も同じことができると思い込む。結果、何かを教えることしかしない。

いいですか?

「教育」という字をちゃんと読むべき。

 

教育。

 

です。
改めて読んでみて。
もう一回出す。

 

 

教育。

 

 

もう一回。

 

 

教育。

 

 

 

角度を変えてみよう。

 

 



 

 

 



 

 

教育。

 

 

 

教 育 。

 

 

 

 

さあ、どうですか?

ゲシュタルト崩壊の荒波が来ましたね?

 

戻ってきて。なんとかがんばって戻ってきて欲しい。教育なんて単語、もう何度も見てきているだろうから。

 

ええ、教育という言葉は「教」えて「育」てると書いて「教育」なんよ。

自分の知識やスキルを教えたり、研修をしたりセミナーに行かせたりなんてのは「教えている」だけで、それだけでは教育にはなってない。でも多くのえらい人はそれに気づいてない。なんともあほらしい話だけど、できる人は「教えたんだからできるようになる」と思ってる。

おい、そんなわけねーだろ。

 

専門学校の講師になって言われた「おまえがやるべきは、わかりやすい授業じゃない」

こういうブログを書いていることからも、僕は「人にわかりやすく説明する」ということには多少の自信がある。ゆえに、人前でしゃべる(プレゼン)もまあまあ自信がある。なので、授業をやることにもそれなりに自信があったし、実際に生徒からも「わかりやすい」というアンケートをもらったこともある。でも、それじゃダメなんよ。

あるとき、先輩講師にこういわれた。 

「お前がやってるのはただ単に"なんとなくわかった気になる"授業だ。学科長のお前がやるべきことはそんなことじゃない。わかりやすい授業、説得力のある解説なんてのは外部講師に任せておけばいい。お前はいまはもう現場のプロじゃないんだから」

ええ?!なんで?
教えるのが仕事の人間が、教えるのをうまくやることを目指すべきじゃないってなんで?と、当時本当に驚いた。

でも、たしかに今ならわかる。
実際に僕はWeb業界から離れて専門学校の教員になったわけで、もうその時点で現場のプロじゃない。そんな奴が話す業界の話なんてどんどん廃れていく。じゃあ、専門学校の教員は何で戦うべきなのか。それはじつに簡単な話。「教育力」で戦えばいい。だって教育のプロとしてそこに存在しているのだから。

そしてふたたび先輩の話。

「おまえがやらなければならないのは、2年という決まった期間のなかで生徒をどうやって、どのレベルの人材に到達させるのか。カリキュラム、テスト、イベントすべてを組み合わせてプロデュースするのがお前の仕事だ。そのなかで一番重要なのは、"イベント"だ

 

専門学校の教育は「座学」「演習」「実践」

「座学」というのは、そのまま。教室で先生の講義を聞いたり教科書を読んでお勉強する時間。

「演習」というのは、座学で学んだことを練習問題などを解くことで実際に自分で行ってみること。

「実践」というのは、座学や演習で身につけたことを本当の現場でやってみること。

 

「教育」には基本的にこのすべてがあることが望ましい。
たとえば自動車の教習所もこれに近い形になっていて、「座学」というのが教室で行われる学科教習で、「演習」が敷地内での技能教習*1。そして「実践」が実際に公道に出て行う路上教習。

改めて考えてみれば至極当たり前の話で

  • まず授業や教科書で知識を得る(座学)
  • それを擬似でやってみる(演習)
  • 実際にリアルな現場でやってみる(実践)

というのが理想的なのは、改めて説明する必要もないかと。

そのなかで前述の先輩が言う「イベント」というのは「実践」のことを指す。

なぜこれが一番重要なのかというと、専門学校の仕事においてこれが一番難しいうえに、最終的にそれまでのすべてが結実するフェーズだから。サッカーでいえば得点にいたるプロセスにおける最後の「シュート」に近い。

 

人は、いつ成長するのか

みなさん自分が成長したときのことを思い出してほしいのよ。

どう考えても、セミナーや研修を受けたそのときじゃないはず。

おそらく、非常に難しい状況を突破したとき、それもいままで経験の無いことをやってみたときじゃないかと。

つまり、そういうことです。

人は、人に何かを教えられたぐらいでそれがすぐに身についたりしないし、擬似の演習を続けたってそれが本当の自分のスキルにはならない。

それは、セミナー行ってばかりの人や、ただただ本をいっぱい読むだけの人をみていればわかるでしょう?そんなことだけ繰り返したって成長しないんよ。

専門学校の講師をやっていたときもそれは何度も痛感させられて。どんなにわかりやすく教えたところで、生徒がその知識やスキルを身につけるなんてのは幻想だった。ぜんぜん。まったく身につかない。

もちろんその場では理解するんだけど、話を理解することと、同じ話を人前でできるようになることはまったく違う次元の話で、「教育」とは後者を実現させるアプローチのはず。だって育てなきゃいけないわけだから。

先輩の言う「イベントが大事」というのは、つまり「座学」「演習」で学んできたことのすべてを総動員して、リアルな現場で発揮させる機会をつくることこそが大事だ、という話だったわけ。

たとえばそれは、外部企業と実際にお仕事をしてプレゼンをする場を設けたり、外部と組んでコンテストを開いて入賞や落選する場を設けたり。

そういうとき、生徒は本当にがんばる。いままで授業や演習で学んできたことを総動員して、どうしたらその場を切り抜けられるだろう、どうすればクライアントに納得してもらえるだろう、どうしたら明日のプレゼンで恥をかかずにほめてもらえるだろう、と。そのプレッシャーや未来の歓喜があるからこそ、人はがんばるし、そしてがんばるから伸びるんですやね。

座学も演習も大事だけど、それはサッカーにおいて「ディフェンスもパスも大事だけど、最後の最後、きっちりシュートを決めないとすべてが無駄になる」のと同じで。座学や演習、それらすべてを結実させる「(プレッシャーのかかる)実践の場」を節目節目でどう設けることができるかが、専門学校の学科長の腕の見せ所だってわけなんよ。

そして、クライアントにほめられてうれしくなったり、コンテストで落選して落胆したりをすることで、スキルとモチベーションの両方が育つ。

大事なことは単純に「教える」ことじゃない。教えながら、それを自身の能力として身につけさせ「育てる」ために何をすべきなのか。どういう知識を伝え、どういう体験(イベント)を仕込んで成長させるのか。それが「教育」なんよ。

 

企業では何をすべきなのか

だから、自分の知識を伝えるだけだったり、ともすればひけらかすなんてのは愚の骨頂で、それは「教育」じゃないんだわ。それはただ「教えてる」だけ。その場では理解するかもしれないけど、相手の成長にはならない。

かといって「座学」「演習」「実践」をすべて取り揃えるなんてのは一般企業には無理で。そりゃ、社員教育ですら手段でしかなく、一般企業にはそれぞれ本業がありそれに邁進することこそ最重要なのだから。

 

「適切なハードル設定」

 

これが重要だと思っていて。

「座学」「演習」「実践」すべてを取り揃えるのが難しい企業において、結果として主たる機能は「実践」の場になることでしょう。「実践」に限って言えば企業こそその現場であり、いくらでも存在する。実践を中心に育てることを「OJT」というわけだけど、そうじゃなくて手前に研修などがあったとしても、最後の「実践」は必ず自社での話になるはず。

その「実践」は専門学校における「イベント設計」になるわけだけど、つまりそれは「その生徒(達)にあったレベル」でなければいけない。まだ入学して半年の生徒にいきなり外部企業のサイトつくらせるなんて無理なわけで、これじゃあ逆に失敗しても本人の気づきにならない。

これは企業でもまったく同じはずで、OJTだったとしてもそれが本人のレベルに対して適切なのか、そしてそのフィードバックをちゃんとやれるのかを考えなきゃいけない。

えらい人はなぜか「魅力的な仕事を渡せば成長する」と思い込んでるんだけどそんなことはない。あるとしたらそれは本人が勝手に成長してるだけであって、それは「教育」ではないんよ。

フィードバックにしても、優秀な人はついついいろんなことを教えたくなり、一度にたくさんのことを伝えようとしたり、せっかく本人ががんばったのにそれをほめることなく、自分の理想を基準にあれがダメだこれがだめだ、こうすべきだ、という話ばかりしたがる。やっぱり与えることしか考えてない・・・。

 

つまり失敗体験のコントロールと、適切なフィードバックこそ重要で

企業における「実践」の場の提供というのは、つまりどういう仕事を渡すのかということとイコールなわけだけども。

教育的な観点で言えば「その"実践"で何を学んでもらうのか」ということが大事で、それをもっと突き詰めると「どういうプレッシャーを受け取り、どういう失敗や成功体験を積んでもらうのか」になるわけですよ。

それが前述の"適切なハードル設定"になる。

世の中には「褒めて伸ばす」とか「叱ることで伸びる」とか言いたがる人がたくさんいるんだけど、僕にはそれはとても短絡的な思考にしかみえなくて。
だいたい、褒めて伸ばすとか、たいしてできてもいないのに褒めるばかりの先輩や上司なんて信頼できないよねぇ。「あのひとはどうせいつでも褒める」となるから(そういう人もありがたいけどね)。

大事なことは褒めるか叱るかという一義的なことではなくて。
ちゃんとできたなら褒めるべきだし、著しくできなかったら叱るべきだし。

そうすることで「ああ、この人はちゃんと自分を見て評価を下している」と思ってもらえる。それはつまり、言い換えれば「毎日のやり取りが実践の場になる」ということでもあるんだけど。

いまから渡す仕事でどういう失敗や成功をするのか。そこから何を学んでもらうのか。そのためにどういうフォローをすべきなのか。しかし、人は失敗したら落ち込みます。入社1年の人に1億円の損失が出るような仕事を渡したらダメでしょう。仮に会社が大丈夫でも、その子がつぶれる。

だから、仕事を渡すだけでOJTだと思っているえらい人はマジでくたばったらいい。そんなのは教育でもトレーニングでもない。ただ仕事を渡したら優秀な奴が勝手に育っただけ。

 

具体的な実践例

じゃあおまえはどうしてきたんや、という話。

ひとつは、実践した結果、当人が失敗したときの話
ひとつは、当人が成功したときの話。

2つの話をする。

 

■失敗したときの話

これは事業会社側にいたときの話なんだけど、とあるツールを導入していました。で、そのツールを使ってうまいことできないかとチームで話していて。結局、ツールベンダーに聞いてみないとできるかどうかわからんねぇ、という話に落ち着いて。

そして、若手でありそのツールベンダーとの担当窓口であったAくんが電話で問い合わせることになりました。

問い合わせた結果、Aくんはこう報告してくれました。

「その機能はまだ無いそうです!」

うん。ありがとう。
でも、これじゃダメなんですよ。だってべつに機能が知りたかったわけじゃないから。いや、機能が知りたいんです。僕らがやりたいことが実現できる機能があるのか知りたい。しかし、機能は手段でしかなく、結局ぼくらが知りたいのは「どうしたら自分たちがやりたいことをこのツールでできるのか」なわけなんよ。そのために、そのツールのプロとして問い合わせてるわけで。

でも、こんなのは若い子はほぼ100%の確率でできない。

「なるほど、こういう機能があればできるはず!」となれば、電話で「この機能ってありますか?」と聞いて終わってしまう。僕にしてみればそんなのはやる前からわかってることなんだけど、だからといってはじめにそれを言ってしまったらダメで。

こう言わないといけない。

「おお、おお。そうやな。まあそんな都合の良い機能は無いんだろうね。でもそれ、"こういう機能ありますか?"って聞いたでしょ。でも、僕らのやりたいことはその機能があるかないかじゃないよね?その先にあるあれがやりたいわけじゃん。その目的があって、どうしたらそれが実現できるのかを知るために、そのツールのプロに聞いてる。

 

でもプロは"機能ありますか?"って聞かれるとあるか無いかで答えちゃう。だから、そう聞いちゃいけないんだ。"こういうことがやりたいんだけど、御社のツールでどうやったらできる?"と聞かなきゃいけない。

 

でもさ、これは難しい。僕だって若いときはできなかった。正直に言うけどAくんはこういう聞き方になるだろうなと思ってたんだけどさ、でも、それを聞く前に僕が言ったらダメじゃん。だからいまはそれでいいんだわ。まず最年少なのに堂々とツールベンダーと渡り合っただけですばらしい。だから、いずれ覚えてくれればいい。目的に対してどういうコミュニケーションが最適なのか。それを考えて適切な選択ができる、というのが大事だからさ」

 ただただ失敗させるだけじゃダメで、どうして失敗したのか、どうしたらよかったのか、そして何より「いまの自分がどうなのか」を伝えないと、ただ単に仕事を渡すだけじゃ伸びない。

 

■成功したときの話

Web制作会社時代に、経験の浅い部下ディレクターがプロデューサーを連れて自分でクライアントとのミーティングを仕切らなければならない、というときがあった。

いや、もう少し正確に言うと本人の成長のためにそうしたんだけども。

OJT教育のなかでやはり難しいのが、クライアントやお客様に迷惑をかけるかもしれないところ。社内でおさまるなら楽なんだけど、しかしそれは本当の意味で「実践」にはならないわけで。

一方で、僕はエースディレクターとして出て行くことが多かったんだけど、これが教育の妨げになる。僕が居ると「何かあってもこの人がいたらなんとかしてくれるだろう」と思ってしまって、本人のプレッシャーにならない。

僕がいないとなると「会議で詰まったらどうしたらいいだろう」「あれを聞かれたらどうしよう」と考えるようになり、それが結果として本人の実力になっていくわけですよ。

ということは、つまり僕がいない=本人がどうにかするしかないという場を作ることこそが教育になるということなわけなんよ。

自分がメインディレクターとして会議に出て行くことになったB子さんは、それはそうれはもう、ガッツリ恐怖を感じていました。
え?なんで?この案件どう考えてもtoksatoさん同席するでしょ?しないの?はぁ?どうして?無理でしょ?私にできるわけないじゃん!ぐらいの感じでした。

でも、ここで僕が出たら本人のためにならんわけです。
なので「わかった。できる限りの手法、知識、策は事前に与えるから」「君なら絶対できるから」「もし本当にクライアントと揉める結果になったら、そのときは僕が出て行くから安心していい」ということを伝えて納得してもらったんですねぇ。なつかしい。

結果、B子さんは見事にそのミーティングを切り抜けてきました。

ただ、同席したプロデューサーによると僕が伝授したことの6~7割ぐらいしかできていなかったそうです。

「いいんすか?!」ってプロデューサーに聞かれたんだけど、

 

うん、そんなことどうでもいいんですよ。

 

B子さんは帰社後に「もう、ほんとに、これこれこういうことで大変でした!(プンプン)」と、僕に報告をくれました。まあ、上司なので報告をもらうのは当たり前なんだけど。

B子さんのプンプン怒っている顔を見ながら、僕は思ったんよ。

「ああ、うまくいったんだなぁ。ひとつ自信をつけてきたなぁ」

と。
クライアントとのミーティングをはじめて仕切る彼女にとって、そしてそれを任せた僕にとって、最も重要なのはクライアントからの信頼と合意を取ってくることであって、それ以外は手段に過ぎない。

いや、理想を言えばもっと相手を圧倒して信頼をとってきてくれたらよかったけど、それはできたとしてもボーナス的な話で、不慣れな子に不慣れなことを任せて、結果がついてきたのだから、それはもうそれでいいんよ。

だから、僕はそのときB子さんを一言も責めなかったし、お小言ひとつも言いませんでした。むしろ逆に「おお!そうなんかー大変だったけど良かったなぁ。すごいやん!」といって席に帰しました。

僕が教えたことを全部できる必要は無いんですよ。というかできると思うほうが驕りで。超えるべきハードルは「クライアントとうまくやってくる」であり、それを超えたなら褒めればよいのです。「そうはいっても教えたこれができてないなー」とかクソどうでもいいのです。

これが「適切なハードル設定」と「その後のフィードバック」だと僕は思うんよ。

 

だから、企業に教育など存在しないけど、それでもできることがあると思うんよ

いや、教育が存在しないというのはさすがに言いすぎですやね。

でも、教育本来の機能は企業にはなかなか存在し得ないというのは、間違ってないと思う。なぜなら、一般企業の目的は教育ではないから。

とはいえ、一般企業の人間でもできることはあると思うんよ。
人が成長するというのはどういうことか、それに対して何を提供すればいいのか、自社に足りないのは何か。そういうことはやっぱり考えるべきで、それは決してセミナーや研修をすればいいわけでもないし、優秀な人が知識を伝えるだけで成長するなんて、そんなことあるはずがない。

そういうことは、やっぱり歳を重ねた人間は考えるべきなんじゃないかなーと思います。

 

*1:実際にそこまで完全に連動はしてないけど