笑顔を創りたいWebディレクターの日常

某事業会社勤務のWebディレクター。つまり「なかのひと」やってます。Web業界からひょんなことで専門学校の先生に。そしてまたWeb現場に戻ったWebディレクターのブログ。

著作権は「どこまでがシロでどこからクロか」という文脈で話すべきではない。

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こんばんちは、スーパー太っちょWebディレクターです。
スーパーは太っちょにかかります。

 

times.abema.tv

これを読んだんだけどどうにも違和感しか感じなくて。

というわけで、今日はWebディレクターが考える著作権やパクリ問題について。

 

番組の動画もみた。
内容として間違ってないとは思うけど、そもそもそこなの?という。話の展開が「どこまでがOKなのか」とか「模倣必ずしも悪いことではない」とか「そもそもいま完全にオリジナルなんてものがあるのか」とか、大事なのはそこじゃないだろうと思うわけですよ。

法律のお勉強をする番組なら良い。むしろそれならどこまでがシロでどこからがクロか、ちゃんと調べて学んだ方が良い。しかし、今回のこの話題は「パクリ」の話であり、それを取り締まるのが著作権法だというだけで、法律の話じゃないし、そもそもクリエイターについて語るならば法律の話に終始すべきじゃない。

 

そんなわけで、うぇぶぎょうかいのむめいでぃれくたーのお時間です。

 

■目次

 



 

モラルやマナーの話ではないし、感情論でもない

パクリを禁止するのが著作権法だから、著作権の話になるのはわかるんだけど、そもそも問題は法律がどうこうじゃないんですよ。

かといってモラルとかマナーでもない。

あくまで僕が捉えている著作権についての考えだけど、これはまことに合理の話なのですよ。まったくもって合理。言い方を変えれば、それがないと世の中が壊れるから、世の中が悪くなるから、存在している。

そう、著作権法がないと世の中が悪くなっていくんですよ。

なぜなら、新しいものが生まれなくなるから。

 

ドラえもんってさ、描けるんでしょ(謎)

ほら、絵が上手い人ってさカカロットとかドラえもんとかサクッと描くじゃん。

ね?描けるんでしょ?

ほら、描けちゃうんでしょ?

 

僕だってほら、すこーーーーーしはデザインかじってますからね。

ドラえもんぐらいだったら描けちゃう。

Webディレクターだけど、サイトデザインとかバナーデザインやってたこともあるんですよ僕は。だからまあ、それぐらいは描ける。

たぶん、ディレクターでもそれぐらいは描けるひとたくさんいるだろうし、技術系あがりじゃないディレクターは図解してクライアントに説明することもあるだろうし、最低限それぐらいはできた方がいい。

まあだから、ドラえもんって、そう難しくはないんですよ。アニメでやってるあのドラえもんを描くぐらいならね。

 

だから、

 

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って描けねぇよクソがっ!!©️ガンバレルーヤよしこ

 

なんでだよー、なんで絵心ある人ってサクッとドラえもん描けちゃうんだよー、ほんとわけわかんねぇよーなんで描けるんだよー

ええ、ワテクシまじで絵心ないんですよ。

ほら、こんなさ、盗みに入ったら引っ越した実家だったときの泥棒みたいなさ、そんな絵しか描けない僕でもできるんだから、絵心なくてもインターネットの仕事したい人はWebディレクターになろう。たぶん向いてるよ!

まあでも、本当に絵心ある人ってマジでドラえもん描けるじゃん。サクッと。なんやねんそれ、いまにも動きだしそうじゃんっていう。

でも全くの無から、のび太くんの親友としてそこに本当にいるかのように呼吸させられることができるのは藤子・F・不二雄先生だけなんよ。それは絵を真似られるだけではできないんだから。

 

パクリの問題は、法律に違反するとかそんな話じゃない

違うんよ。

そういうことじゃない。

もちろん法律は守らないといけないし、ちゃんとそれに沿ってモノを創る・生み出すのは大事だけど、でも問題の根本は法律に違反することじゃない。

もし、苦労して苦労して藤子先生が生み出したドラえもんを、生み出されたその姿形だけをパクった奴がいたとして。

 

「ドラえもん」の報酬がそのパクった奴に入るようになってしまったら?

 

藤子先生は食っていけなくなる。

姿形だけでなく、どういう性格で、どんな風にのび太くんの横にいて、何を喋らせ、何に怒らせるのか。そうやって一生懸命、きっと寝る間も惜しんで藤子先生がつくってきたからこそ、あのドラえもんの造形にみんなは愛着を持つわけで。それがなきゃ、あんな赤いきつねと緑のたぬきの間みたいなやつ、誰からも愛されるキャラクターになんかならない。

にも関わらず、そうやって生み出した、おそらく真似るには簡単な姿形の部分だけをパクって、報酬を得る奴が出てきたら。そいつを取り締まる法律がなかったら。

考えるだけで恐ろしい。

この世に、もしかしたらコロ助はいなかったかもしれない。

いや、もっと前、オバケのQ太郎がそうやってパクられて、藤子先生がマンガで食ってけなくなっていたら。

いま、ドラえもんは存在しなかったかもしれない。

 

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話少し変わるけど。

 

本を出版したら、一番に名前が出されるのは著者なんですよ。

でもこれ、おかしいと思わない?

だって、その本をデザインしたのは装丁デザイナーだし、

その文字を流し込んでレイアウトしたのはDTPオペレーターだし、

そもそもその本を手に取れる形にして生み出したのは印刷工場で働く人だし。

でも、本を出版したら、名前が載るのは著者なんよ。

 

それは、その本を生み出すのに最も苦労し、最も稀有な才能を持っているのが著者だからに他ならない。 

 

オリジナルを守る、オリジナルを生み出した人こそを守る、それだろ?

パクリの問題、著作権法の意義は、モラルとかマナーとかそういうことじゃない。

自分の経験や知識をもとにゼロから生み出したやつを守る、そいつがちゃんと食っていけて、本当にすごいことをしたやつには巨万の富を得られるぐらいの報酬を与えないといけない。

そうじゃないと、この国に、新しいものが一切生まれなくなってしまう。

だから、法律家はともかくクリエイターが著作権について「どこまでやったらアウト?」なんてことを言い出すこと自体がおかしいんよ

それって子供みたいだし、もしくは仕事において考えることを放棄し、どうしたら良いかの結論ばかり求めるダメビジネスマンそのもので。問題は法律がどうのこうのじゃないだろ、と。

 

いやもうね、

汚い言葉使って申し訳ないけど、

 

 

ふざけんなよと。

 

問題は法律の存在を知っていたか、その中身を知っていたかじゃない。

オリジナルを生み出した先人たちに敬意を払えるかだろうよ、と。

自分の作ったこれは、オリジナルを生み出した人の報酬や名声を奪ったりしないか、傷つけたりしないか。

考えるべきはそういうことであって、法律に触れるかどうかではない。

 

そして何よりも、自分はゼロから何かを生み出せたか?

自分のオリジナルと言えるか?どこかに、その魂がこもっているか?

 

クリエイターとして考えるべきはそういうことであって、法律に触れるかどうかじゃないし、そうやって考えて生み出していれば著作権法に触れるなんてことは絶対にあり得ない

だから、違和感があるのですよ。リンク先の番組の話の流れに。

「どこまでがシロでどこまでがクロか」とか、大事なのはそこじゃないだろうと。

「模倣は必ずしも悪じゃない」なんて、そんな小手先の話じゃないだろうと。それが模倣かどうかが問題なんじゃない。模倣したとして、それはクリエイターとして生み出したものだと言えるのか、それが大事なんであって、模倣かどうかではないんよ。

 

再出発する人を責めたいわけじゃない

はい、そういうことじゃない。

失敗した人だって、再チャレンジできるべきだし、それだけクリエイティブが好きなんだから、それこそがんばってほしい。応援してます(マジで)。

 

でもね、パクリや著作権の話ってそういうことじゃない、ということだけ言いたいのだ。言いたいのだ!

 

だから、僕が言いたいのは本当にそれだけで。

著作権法はね、このためにあると、僕は思ってるんですよ。

その一言だけ、最後に置いておきます。

 

 

 

「いつかまた、ドラえもんがこの世界に生まれてくるために」

 

 

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だいぶ上手くなったわ!(異論は認めない)