笑顔を創りたいWeb屋の日常

某事業会社勤務のWebディレクター。つまり「なかのひと」やってます。Web業界からひょんなことで専門学校の先生に。そしてまたWeb現場に戻ったWebディレクターのブログ。情報デザインやWebの勉強をしています。

手法なんてだいたい糞食らえ。

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ブログ更新止めてるんだけど、これはいま書いておかないとなと思ったのでサクッと。

タイトル見た時点でわかる人はわかると思うけど今日?バズってるこれですね。

www.axismag.jp

言いたいことはとってもわかるし、僕も「人間中心設計!UX!デザイン思考!」とか言いながら、いざ実践すると"テンデアサッテ"なものつくるひとたくさん見てきたので、そうだろうなと思う。

だがしかし、

手法や思考法なんてどれもそんなもんじゃね?

っていう非常に投げやりなエントリです。

そんなわけで、うぇぶぎょうかいのむめいでぃれくたーのお時間です。



 

「なに言ってるんだ!Webサイトのレイアウトは逆L字だろ」と怒鳴られたそんなあの日

あったんすよ。ああこわい。まあ、たしかあれ2000年代後半なので、いまのようにワンカラムレイアウト全盛ではなかった時代です。なので多くのサイトが逆L字レイアウト(画面の脇にローカルナビゲーション置いたりするレイアウト)だったのは事実。

しかし、その時話していたのはそんなに深い階層のサイトではなく、グローバルナビだけでじゅうぶんさばける量のコンテンツしかないサイトで、サイト構造図をつくっても一目でそれが明らか。そんなサイトに逆L字レイアウト取り入れてどうすんだっつう話なんですが、日々HCD!UX!と叫んで研究しているそのオッサンは、なぜか考えもせず「いまのトレンドはそれだから」という理由でレイアウトを選定し、それ以外を認めないと怒鳴りちらす。

僕は思いました。

あなたはHCDやUXをなんだと捉えているんだ。

不思議な話ですね。

 

「UXやりたいんです」と言ってやらない人たち

僕はこんな↓スライドを出していたからなのか

www.slideshare.net

 

 「toksatoさん、UXを仕事で行うにはどうしたら良いでしょうか?」

 

って聞かれるんですよね。

どうしたら良いでしょうかって聞かれて、僕は思うんですよ。

 

え、やればいいじゃん。

 

でもね、やらないんですよそういう人は。本を読んだりセミナーに行ったりしてるんですよ。非常に勉強熱心なんです。

 

でもね、やらないんですよ。

 

おかしいじゃないですか。だって、もうセミナーで勉強してるんですよ。で、やりたいっていうんですよ。でもやらないんですよ。こういう人、たくさん見てきましたねぇ。

 

学ぶことが目的化している人たち

HCDとかUXを研究しながら結局できあがるものはトレンドに縛られているオッサンも、足しげくセミナーに通いながらいっこうに実務で実践しようとしない彼も、UXデザインやHCDとて手段に過ぎないということがわからず、学ぶことが目的化してるんですよね

研究をして知識をひけらかすだけひけらかして、その本質である"実践"ができない。

勉強熱心な彼も、「俺はUXをやるんだ」「学んでる俺かっこいい」で止まってしまって、本当にやる気はない。いや、あるのかもしれないけど、自らリスクを取って自身の実務やライフワークに取り入れるほどの気持ちはない。
彼のような人は、なぜかセミナーで勉強したり本を読んだりしたら、会社側が「よし、じゃあ君はその手法を実践してみよう。まずは大変だろうからそのために他の業務を巻き取ろう。失敗してもいいぞ」って言ってくれると思ってるんですよね。自分で勝手に勉強してるんだったら会社がそんなこと言うわけないじゃん。自分で勝手に行ってるんだから。

そもそも、HCDもデザインシンキングもより良いものをつくるための手法なんですよ。だったら、そのために使えばいい。でもその本質がわかってないから実践ができない。良いものをつくるためにセミナーに行ったんだから、良いものをつくるためにそれを取り入れればいいのに、やらない。やろうと思えば日常でだってできるんですよ。むしろ、UXデザインやデザインシンキングというのは手法そのものを覚えることが大事なのではなくて、その手法からユーザーの何を観察するのか、どういう風に分解して整理していくのかという姿勢や意識こそ重要で、それこそ日常に取り入れることに最も意味があるんですよ。手法を覚えて「おれはゆーえっくすでざいんをてにいれた」とか言ってるんじゃ全然ダメで。でも、それがわからない。

それは、その手法が何のためにあり、どう実践すべきなのかということを考えもせずに、「学べば俺は強くなれる」と勘違いしてるから

 

本をいくらたくさん読んでも全く身についてないおじさん

この↓エントリで、こんなことを書きました。

toksato.hatenablog.com

居酒屋にいって「お冷のグラスが綺麗じゃない店はサービスもそのレベルだ」と「俺はわかってる感」を出すオジサンは、そのくせ自分の仕事になると資料の細かいところで読む人のことを考えてない雑な資料を出したりするわけですが、それはたぶん「良い店、良いサービスを見分けるポイントはここだ!」とかいう本の受け売りなんでしょう。実は、その本の一番重要な内容は「だからあなたの仕事も、細部にこそこだわるべき」だったとしても

そう、本質がわからない。

もとい、本質を見ようとしない。理不尽でおバカさんな上司に多いけど、すぐに書籍や業界のトレンドに騙される。なぜそれが起きているのか、なぜそれが成功したのかを考えず、事例や手法を取り入れるからそうなる。

しかしまあ、世の中そんな人だらけじゃないですか?

だから、件のデザインシンキング糞食らえの講演も、実態としてそうだろうなとは思うけど、そんなものはべつにデザインシンキングだけに限ったことではないでしょう。あくまで手法でしかないものを鵜呑みにして、それを取り入れればあたかもすぐに成果が出ると慢心する。いやぁ、そこかしこにいると思いますけどね(笑)

 

とはいえ、僕らはやっぱり残念ながら天才ではない

UXデザインにしてもデザインシンキングにしても、手段に過ぎないわけだけど、あれらは「天才は自然にやっていることをフレームワーク化して凡人でもある程度の再現性を持たせる」ためにあるわけですよ。正直、ぶっちゃけてしまえばあんなもん、なぞらなくても良いものができて成果が出せるならやる必要はない。

ユーザー調査ひとつとったって、それはわからないから調査するし、わからないと失敗するからやるのであって、失敗しないなら別にユーザー調査だってやる必要はない。必要がないというか、むしろコストでしかない。

であるからにして、僕ら凡人はその手法から「どうしたら成果が出るのか」「この手法の意義はなんなのか」ということを学んで身につけなければならず、その観点から言えば手法が存在することや、確立する過程で研究者がいることも大事なことだとは思います。

 

手法を確立する側になれるかどうか

ある一定量のおバカさんがいるなんてのは、デザインシンキングに限った話でもないし、排除もできない。無論、せっかく提唱された手法が悪用されたり、廃れたりするのは防がなければならないけど、一個人がやるべきは僕はそこじゃないと思っていて(デザインシンキングと心中するつもりならそれでいいけど)。

僕はこれまで、職場で自身の手法を取り入れたり、ドキュメントやフレームワークをつくる側になってきました。もちろんゼロからじゃないけど、UXデザインの手法をWeb制作の中に取り込んでみたり、それを他のメンバーもできるようにフォーマット化したり。

で、そのフォーマット化したものを最初に逸脱するのもだいたい自分なんですよw
でも、それでいいんですよね。むしろそうじゃなきゃいけない。フォーマット化した時点でもうすでに時代に遅れたものになっていて、日々変化するインターネットやクライアントの要望に対して、柔軟に対応するためには、「あ、じゃあこのドキュメントはもう変えないとダメだな」とどんどん変えていかなければならない。そうして、新しく変えて、またフォーマット化して、それをまた他のメンバーが実践する。

こういうサイクルにいると「誰かがつくってくれたフォーマットにのっとって仕事をする」だけの人は絶対にこっち側にはこれないし、成長もそれなりだし、そもそも実はその人はデザインや問題解決をしていなかったりする。フォーマットをなぞってるだけだから。

結局、デザインシンキングに限らずこれからも新たな手法や思考法はいくらでも出てくるでしょう。そのときに重要なのは「手法をなぞる側にとどまらない」ことで、それこそが主体性を持ってデザインや問題解決にのぞむ人間のあるべき姿じゃないでしょうか。

 

手法をなぞることが目的化するおバカさんなんてどこにでもいるし、ある意味ではそういう人がいて社会が回ってるのも事実なんだから、そんな人は放っておいて自ら主体的に問題解決に進んでいけるか、が問われるところであって、「おバカがいる!だからダメだ!」っていうのはまあ、それこそ問題解決じゃないんじゃないかなぁと思います。