笑顔を創りたいWebディレクターの日常

某事業会社勤務のWebディレクター。つまり「なかのひと」やってます。Web業界からひょんなことで専門学校の先生に。そしてまたWeb現場に戻ったWebディレクターのブログ。

コンテンツマーケティングとて売り上げから逃げてはいけない。

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こんなことをFacebookページで書いたんですけどね。

ブログでもう少し書いておこうかなと。一ヶ月以上空いちゃったので補足する形で広げられるかなっていうそういうね(謎)



 

 

他にもこんな記事を見つけたり。

marketing.itmedia.co.jp

 そういえば、書いてて思い出しましたけど、Facebookページでサイボウズ式についても書いてました。

 

 

 

ええ、Facebookページの宣伝です

 

 

うそですじょうだんです。

サイボウズ式の成果?

上記『「コンテンツマーケティングの成果はまだか?」 上司のプレッシャーをはねのけ取り組みを持続させるには』の記事でもサイボウズ式のことが取り上げられているんですが、

 「サイボウズ式」は、グループウェアを提供するサイボウズが2012年から続けている、オウンドメディアの代表格だ。編集長の藤村能光氏は2016年4月2日に「Web担当者フォーラム」に掲載された記事の中で、4年間これを続けてきた成果として、次の4つを挙げている。

  1. 認知度向上
  2. インナーブランディング
  3. 採用
  4. マーケティングのR&D

 特に2~4については、通常の広告施策では得られない成果だといえるだろう。

僕はこれはちょっと取り上げ方として違うと思うんですよね。

「Web担当者フォーラム」の元記事の方も読んだけど(ちなみに「2016年4月2日」と書いてあるけど「2016年4月27日」の記事だと思う)、「製品購入者における認知経路の4.4%がサイボウズ式だった」だけしかなくて、それだけで「1.認知度向上」に貢献したと語るのは危険だと思うんですよね。だって、他の施策がいくらの予算をかけたのか、サイボウズ式がいくらの予算がかかっているのか、がないと。そのぶんの投資を広告費に回した方がさっさと認知が広がったかもしれないし。

これは2~4の成果にもいえて「2015年新卒入社22人中3人が『サイボウズ式を見たことがある』と言ってくれた」と記載があるんだけれども、果たして3人というそれは多いのか少ないのか。むしろコーポレートサイトにデカデカと載っていてサイボウズさんの考え方なんかも出ているだろうに、学生諸君はそんだけしか見てないんかい、とか思ってしまう。いや、もしかすると応募者全体でみたらもっと割合的に多いのかもしれないけれど、そうなったらそうなったで今度は「サイボウズ式を読んで応募してきた学生は使えない」という方に話が転がってしまう

サイボウズさんを批判したいわけじゃないです

って書くと、サイボウズさんを批判しているみたいですが、その意図は全くないです。っていうかサイボウズ式、素晴らしいと思います。成果が見えなかろうがなんだろうが本人が「採用やインナーブランディングに成果があった」と感じてるならそれは成果があったんだろうし、そう思ってやるべきだと思うならやればいいし、外部の人間がとやかく言うことじゃないです。

僕がここで警鐘を鳴らしたいのは本人ではなく、その話を鵜呑みにして称賛している周りの人達のほう。たとえばライオンの生活情報メディア「Lidea」についてもいろんなところで成功事例として語られているんですが、その内容が「マイスターと呼ばれる専門家がいるから良質な記事が書ける」とか、「DMPを使ったユーザーごとの記事のレコメンド」とか、それは「良質なオウンドメディア運営の成功事例」であって、「オウンドメディア(を採用したことによる)成功事例」ではないはずなんですよね。だってどれだけ儲かったかみたいなことが無いのだから。

専門家を使って良質な記事を書いているって言ったって、それで読者が満足したとしても「で、大赤字になって倒産しちゃいました」じゃ話にならんわけですよ。それただのボランティアじゃねぇかと。

企業の活動である以上、すべての施策は売り上げから逃げちゃいけないと思うんですよ。そりゃ大事な従業員への給料を削ってでも投資しているのだから。いや、正確にはその施策がすぐに売り上げに直結しなきゃいけないかというとさすがにそんなことはないですが、たとえばそれが将来の売り上げに貢献する施策だとか、会社を維持していくためには必要な施策であるとか、つまり経営に貢献するものでなければいけないですよね、と。

コンテンツマーケティングとて手段に過ぎない

コンテンツマーケティングの成果が出てくるには時間がかかるというのはその通りだとは思うんですが、かといってだから何の指標もなくやるのは違うと思うし、そもそも直近だろうが3年後だろうが成果(≠売り上げ)が出ないものには手を出すべきではない。よしんば高確率で成果が出る施策だったとしても、それだけ長い時間投資をしつづける体力があるのかというのはちゃんと考えないとダメでしょう。

であるにも関わらず、なんか最近はコンテンツマーケティングが唯一にして絶対の正解みたいな流れになっているような気がしていて、上記のようなことを考えればむしろだいぶ難しい施策のはずなのに・・・と思うわけです。そこにそんなに投資するぐらいならさっさと広告出した方が良いかもしれないし、直接お客様とやり取りするスタッフがアウトプットするもの(=接客とか窓口対応とか)も「コンテンツ」と捉えるならば、費用をかけるべきはWebとかメディアではなく従業員教育なのかもしれない

なんか偉そうなこと言ってますが、仮にコンテンツマーケティングの目的を「支持されること」とするなら、その途中経過で成果を測る指標というのはこれは大変難しくて、「購入以外でどうやって”支持されていること”を数値化、可視化するのか」という本当に難しい問題が待っています。けれども、そういう観点ぬきに他社事例をみて鵜呑みにしてしまう、オウンドメディアを運営して良質な記事を発信しているだけで称賛してしまうというのはだいぶおかしな観点ですよねぇ。

商店街の面白ポスター展の話

そういう意味では僕は面白ポスターで商店街に人を呼ぶという施策もあまり好きじゃないんですよね。

matome.naver.jp

abeno.keizai.biz

ボランティアで商店街を助けようという心意気はとても素敵だと思うし、結果として来客数が増えたのならそれも素晴らしいと思うんですけど、しかし中身が

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 ※ 商店街ポスター展Facebookページより

ってこれじゃ、大喜利と変わらないんじゃないの?と思ってしまう

こういう施策に対して、「一時でもこれだけの注目を集めたんだから、その時点でプロモーションとしては成功。批判する奴は広告というものがわかってない」なんて言う意見もよく見かけたんですけど、それは本当に乱暴な評価だと思うんですよね。

じゃあその結果として、これを読んでる皆さんは3年たったいま、この商店街の名前を覚えてましたか?という話で。海外も含め観光客が増えたらしいのですけど、果たして街の商店街に、一生に一度か二度ぐらいしか訪れない観光客が増えることにどれほどの意味があるんでしょうか。観光地としてそのあともずっと名前が売れ続けるならそれもありかもしれないですけどそうじゃない。となると、もしかすると普段使いしていた一番大切にすべきお客さんには、突然観光客が大挙しておしよせてしまってとても迷惑だったかもしれません

いまはどうなってるんだろ?と思って調べてみましたが、その後のニュースはちょっと探した程度では出てきませんでした。仕方ないのでためしにGoogleストリートビューで見てみました。

 

文の里商店街ストリートビュー (ここで合ってるのかな)

 

どうなんでしょうね。奥の方はまだシャッターが閉まっているようにも見えますけど、でもわかりません。元の状態を知らないし。ただ、来場者が倍増したまま維持しているようには見えないなぁ・・・。いや、それもわかんないですけどね。ストリートビューの写真は平日のもので、土日はわんさかにぎわっているのかもしれないですし。ただやっぱり、街の商店街に観光客を呼び寄せるというのは本当に良い施策なんだろうか、と思ってしまいます(正確には「呼び続けられる施策なのだろうか」ですね)。

期間限定のイベントに使うなら良い施策だと思うし(それがバズるかわからんけど)、例えば毎年この文の里商店街だけでポスター展をやるなら、もはやそれがこの商店街の個性になるので、そこまでやるならいいと思うんですけど、ただ一回だけやるっていうのは僕は本質的な問題解決じゃないと思うんですよね。・・・まあ、「もう終わりゆく身と割り切って最後に盛大な花火を・・・」っていうんだったらそれはそれでありなのかもしれませんが。

逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ

僕は仕事柄、Webの施策を提案することが多々ありますし、逆にクライアントから「こういうことやりたいんだけど」と相談されることも多いです。そのとき、どんな施策であろうと、どんな形になろうと経営に貢献するということから目をそらしてはいけないと思うんですよね。ついつい、面白いと思うものに走りたくなる欲求を、なかのひとも、提案をする人も、一旦はおさえて冷静にならなければいけないと思います。

端的に言えば「で、それ儲かるの?」から逃げてはいけないと思うんですよ。明日でもいいし、遠い未来でも良い。どんな形にせよ、それが考えられない施策は愚策だと思います。

なにもね、すべてを効果測定しろ、やる前に検証しろってことではないです。

toksato.hatenablog.com

で前にも書いた通り、世の中には調べるまでもなくやった方がいいことなんていくらでもあります。「あれやこれや調べるよりさっさとやった方が良い」と思うならやればいいんですよね。事前検証も効果測定も判断するための材料に過ぎないのだから、判断ができるならそれでいい話で。

ただ、「だからなんでもやればいい」ってのはまた別の話で、数字にしようがしまいが「これってやる意味あるんだっけ?」「で、いつか儲かるんだっけ?」ってのは絶対に忘れてはならない意識で、それなしに他社事例を見て、あくまで手段に過ぎないものを称賛するというのは、やっぱり違うと思うんですよね。

 

うん。

まとまんなくなってきた。この辺で終わります。我ながら突然すぎるw