笑顔を創りたいWebディレクターの日常

某事業会社勤務のWebディレクター。つまり「なかのひと」やってます。Web業界からひょんなことで専門学校の先生に。そしてまたWeb現場に戻ったWebディレクターのブログ。

役職なんて無いに越したことはないよね。

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またあいたーまたこうこくがー。

広告だしちゃらめぇええええええええええって僕の脳内の大島優子が言ってましたうそです。

 

そういえばね、ワテクシ晴れて役職がつくことになったのです。

厳密には、ほとんど昨年から「ついているようなもんだろ」的な動きを求められ、それを受け入れて行動してきたつもりではあるのですけれども、とにかく明確に「役職」というものがついたのは今期になってからなのです。割と社歴の長い人たちが多い(割とじゃなくてかなりかも・・・)、弊社におきまして、たかだか入社1年半くらいの僕が役職をもつというのはまあ、なんというかまあ、まあまあ、まあなわけです(謎)

 

で、それをFacebookなり口頭なりで報告すると、これがまあいじられるいじられる。

それにものすごーーーーーーく違和感を感じるので、それについて書いてみるのです。

なんとなく書くのが楽だからw

 

そんなわけで、うぇぶぎょうかいのむめいディレクターのおじかんです。

 



 

役職と言うと主任とか課長とか部長とかマネージャーとかリーダーとかなんかそういうのになるんでしょうけど、まあ、名前はどうでもいい。名前すらどうでもいい、が正解か?w 

 

なんでしょうね、この、「おおー、おうおうーおうおうー(・∀・)ニヤニヤ」みたいな空気感。

諸手をあげて喜ばれる感じ。いや、喜ばしいことなのです。会社から信頼をされて権限を渡されているわけですから、それはそれはもう、お給料にもダイレクトに響いてきますし(明確な「役職手当て」みたいのとは実態はちょっと違うのですけども)。良いことなので、褒めていただいたり、お祝いの気持ちをいただいたりするのはとてもうれしいです。でもね、

 

 

「いや、そんなに喜ばしいことだらけでもないよな」

 

 

って思ったりするわけです。

何をもって「割に合う」かどうかによるんだけども、まあ、中間管理職と言うものはだいたい割に合わないよなと思っています。どう考えても責任、影響力の比重が大きくなる。いやもう、いっぱいお金とお休みもらえれば影響力なんてほとんどいらないのにねw

 

なんていうか、その、「偉くなる」ということに対する評価が強すぎるなぁとか思ったのです。いや、でもね、いま僕は誰かを責めているわけじゃないのです。たぶん僕もどなたかが昇進なされたら「うおー!おめでとうございますー!(・∀・)ヒャッホウ」とか言っちゃうので、同じなのですw

 

なんでしょうね、別に偉くはなってないのです。じゃあその偉いって何だっていう話になってきてもはやこれはこの一エントリーでは書ききれないし、そもそも僕まったくわからないので書きませんが、要するに組織における役割が変わっただけの話であって、人間的に誰かに勝っているわけでもないし、組織における貴重度は変わったとしても、だから何だという話なのですよね。将棋において飛車角は大事だけど、金だって重要だし、歩だって立派な一つの戦力なのは間違いないわけで、単純に役割が違うだけですよね。(超厳密にいうと、人として偉くなったわけではない、ですね)

 

 

力を持つって怖いよね

.

いやほんとにね、怖いのです。

役職が付くということは権限を持つということであり、それは組織において一定の強力な力を授けられるということなわけです。そりゃね、人間、力は誰だって欲しいと思いますよ。お金だって力の一つだし。でも、マンガでよくある「勇者が糾弾される」みたいなのが典型だけど、力は、それが必要とされる環境でない限り、迫害される可能性が非常に高いわけですよ。

 

「普通の人にはできなくても力のある人にはできてしまう」

と言うのは紛れもない真実であり、同時に誰もが理解してしまうことであり、それが一番怖い。

女性と男性が同じ空間にいて、互いに身体に傷跡があれば、パッと見ではおそらく100人中100人が「男が暴行を働いて女が正当防衛をした」と思うんですよね。それは、世間的に「男の方が力(筋力・体力)に優れている」という認識があるから。なければそんなことは思われない。

 

力がある、権限があるというのは、ときに圧倒的に不利な状況を生み出すわけですよ。

あーーこわいーこわいー!(結構本気です)

 

役職なんて、無いなら無い方が楽なんですよ。ぜったい無いほうが良い。

いや、もちろん、役職、権限を持たないとできないこともあるので、そういう意味ではあったほうが良いことも多いんだけど、その割にはリスクも大きい。同じ給料なら、役職が無い方が絶対良いです。だって周りに対する影響が少ないもの。いや、ちがう。周りに対する影響を考えることが仕事にならない、ということですね。役職が付いた時点でそれを考えるのも仕事になっちゃうから。(スペシャリストなのかジェネラリストなのか、みたいな話に通ずるものがあるかも?)

 

 

ハンコなんか押したくねー押したくねー

増えてくるわけです。押すタイミングが。

僕は、本気で押したくないです。

だって、押したら責任が出てくるじゃん。

ハンコなんてのはできる限り押さない状況を作るのがベストである!w

部下と呼ばれる人ができて、その人たちの有給休暇申請書とかを眺めて(眺めちゃだめだw)、ぽちっとなと言わんばかりの手軽さでハンコついちゃうわけです。その昔ワテクシの親父様が勤務なさっていた企業がつくっていた「ハンコください」というどう考えても「きのこの山」のパクリでこと足りるなら、あれで捺印してもいいですか?ダメなんですか?そうですかダメですかというラリーを3回ぐらい繰り返したいんですけどそうもいかず。押さなければならんわけです。

 

 

や だ。

 

.

 

押したくない。

いや、押しますよ。ガンガン押します。

この日本国において、有給申請は相当なことが無い限り拒否できないわけです。だから押すのです。ほとんどもう自動的に押すのです。それ(半自動的に押す)でそうそう間違いはないぐらいには日本国の労働法は整備されているのです。だがしかーし。「本当に"相当なこと"はないのか?」と大殿(誰)に問われれば「え・・・え・・・それはどうなんでしょう・・・そもそも相当な事由とは・・・(汗)」みたいなことになるわけです。はぁめんどくせぇ

 

「はあーーーもういいわー!べつにこの人のこの有給を承認したところで、案件に問題がなければいいんだろ!そんなのもう、この人休ませるためなら、僕がなんとかするわボケェ―!僕は誰に怒ってるんだボケェ―!」みたいなことにすればいいんです。そうすればなんとかまとまる。そいでその結果僕が二人とか三人分稼働するわけです。これはもう寝れないですね。「いやー、おれ3時間しか寝てないんだよね」っていうミサワを超える、徹夜とかがおきるわけです。

 

「お前なんで徹夜してんの?」

 

とか、今度は上から槍が飛んでくるわけです。

いや、そらそうですよ。ガンガン徹夜してたら持たないし、たぶん年齢的に通常業務にも影響出てくるし。うん、だから、その「すぐに自分が頑張ればいいやみたいな発想」は却下されるわけです。じゃあどうすれば良いのかと言うと、冷静に環境や状況を見て適切に(一人の負担が大きくなり過ぎないように)判断することを求められるわけですよね。っていうかそれじゃないとマネジメントじゃないし。

 

はぁーめんどくせぇw

 

いやもうこんなの、どう考えてもハンコ押さないほうがいいですよ。知らんぷりできるし。「え?あの人今日お休みなんですか?」って言えるほうが絶対楽ちん。同じお給料なら。上にも楽だし、部下と呼ばれる人たちにも楽なわけです。「時季変更権ってどういうときに行使できるんだっけ?」とか考えなくていいんだもん。でもハンコを押すということは、そういうこともちゃんと細かく把握していかないといかんわけです。ああ、やっぱりハンコ押す権利などいらんw

 

 

さらに孤独にもなる

力を持つということは、「力を持たない者から省かれる(可能性がある)」ということだと、僕は思っています。

いや、実際、部下と呼ばれる人たちから僕が迫害を受けているわけじゃないし、向こうだってそんなこと現時点では露ほども思ってないのかもしれない。でも、問題はそういうことじゃないんですよね。

 

こちらが人間である以上、向こうにライオンがいれば、そりゃみんな怖がりますよ。あれに飛び込んでいけるのはムツゴロウさんだけです。ムツゴロウさんが異常なんであって、普通の人はライオンがどんなにかわいく見えても、どんなに「ああ、あいつやっぱり猫なんだな」って思っても、やっぱりそう簡単に懐に入ることはできない。ライオンの甘噛みや、遊びのジャレつきだって、ひ弱な人間には肉をえぐられることになるのだから。

 

役職がつき、「上司」という存在になった瞬間に、相手はどうしたって気を使うし、お世辞だって言いますよね。いや、それはもしかしたらお世辞じゃないのかもしれない。でも、じゃあどれがお世辞で、どれが本音なのか、それを一瞬で見極められるほどに僕は優秀じゃないし、そもそもそれを見極めなければならなくなるということ自体が、もう何かを失っている。

お世辞だけじゃなくて、たとえば「一緒にランチにでも行こうか」といえば、そこに気を使うタイミングがでてくる。昼だろうが夜だろうが、お酒が入っていようがななかろうが、相手はやっぱり気を使うだろうし、使わなかったとしても、やっぱりそこには一つ壁がある。

 

同僚や先輩だったら、そこに利害関係が無い(もしくは少ない)。

だから、ある程度素直に受け入れられるけど、これが部下となればもう話は変わってくる。どんな良い評価だって、結局こちらの評価が相手の査定に響くという関係上、真に受けるわけにはいかなくなる。体感で言えば50%ぐらいは割り引いて聞かないといけないなと思ってるわけですけど、それっていろんな意味で寂しいことですよね。役職なんかつかなければそんなことならないのに(厳密には、役職だろうがなんだろうが組織内で力をつけたら同じことですけどね)。

 

本当に孤独なのは経営者であって、中間管理職なんてのは同じ組織の中に同じようにどこかで中間管理職として苦しんでいる同僚がいるので、本当は真に孤独ではないんですけど、ただ、役職が付いた時点で一気に「本当の意味での同僚」が減るということは理解しないといけないよね、と思うわけです。それは仕方がない。お金じゃなくて、権限と言う名の力を与えられているならば、もう避けようがない。部下や同僚がみんなムツゴロウさんなら別だけどw(それも違うか・・・)

 

 

だからほら、ぜんぜん良いことばかりじゃない

・・・と言う風にあげつらってきましたけど、べつに自分の将来のことを悲観してるわけではないのです。組織において重要な役割(と報酬)を与えてもらったことに変わりはないわけで、純粋にそれは嬉しいです。でも、どうも世間やまわりの評価がポジティブな方に偏り過ぎていて、それに違和感があるのですよね。ぜんぜん良いことばかりじゃないですよって。まあ、前述の通り、それがわかってる(つもり)の僕でも同じことを言うので、いってる方もそれは織り込み済みだという人も多いとは思うのですけども。でも、やっぱり、良いことばかりではないのです。っていうかむしろ、やっぱり、割に合わないのですw 

 

 

戒めたいのです。自分を。つまり備忘録ですね

やっぱり、力を持つと人間は勘違いしてしまうのです。

権力ではなく権限を与えられたということを、いつだって意識しなければならないと思うのです。

なぜなら、すぐにそれを忘れてしまうから。

 

”上司”と言うのはフェアに対応ができて初めてちゃんと名乗れると思うし、そして(組織内で)偉いからってふんぞり返っていればいいわけでも、そもそもふんぞり返る必要も権利もない。「権限」があるからこそ、それについて敏感になるべきであり、それを正しく行使することこそ僕の役目であって、一方的に思いを発信すればいいだけじゃない。

 

何度も書くけど役割の違いであってどっちが偉いわけでもない。部下と呼ばれる人にだって意見もあれば価値観も経験もあって、そのどれかは僕を凌駕しているかもしれない。僕がすべてにおいて凌駕していると断定できるはずがなくて、歩だろうが金銀だろうが飛車角だろうが、ともすれば王将だろうが、正しいことは正しいし、間違ってることは間違ってる。

 

僕がやるべきなのは、誰のどんな意見だろうと、それが新卒新人であろうと、正しい意見はきちんと組織に吸い上げ、そうじゃないものはきちんとそうじゃない理由がわかるように手配することであって、自分の意見を押し通す役割もなければ権限もない。所詮は組織の一つの駒に過ぎないのですよね。

 

だからこそ、部下や後輩に横柄に対応すべきではないし、立場の違いで畏怖させるのもやっぱり違う。

畏怖させるのであればそれは存在そのものではなくて「この人に軽々しく相談したら、時間や労力がもったいない」と思わせるほどのパフォーマンスで畏怖させることが大事であって、単純に地位で畏怖させるのは遠回りのパワハラでしかない。(いや、これも直属の上司なのかその上なのかにもよるのだけど)

 

 

まとめ

何のためにこのエントリを書いたかと言うと、やっぱり自分のためです。

 

 

ふんぞりかえってんじゃねぇぞ

 

権限を与えられるということはすごく怖いことなんだぞ

 

ばーかばーか(謎)

 

 

ということを自分に言うためです。

定期的に自分が見るためのエントリでしたw

 

 

理想の上司にはきっとなれないけど、毎日過剰なストレスを与えないで、相手のためになれる上司になりたいなぁ。