笑顔を創りたいWebディレクターの日常

某事業会社勤務のWebディレクター。つまり「なかのひと」やってます。Web業界からひょんなことで専門学校の先生に。そしてまたWeb現場に戻ったWebディレクターのブログ。

”データをみんなが触れる”はそんなに良いことではない。

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最近、ディレクションについて考えたり設計したりすると、ふと思うことがあって。

 

”クラウド時代になってデータが共有できて良いよねー”

 

ってのは、少なくともディレクションにおいては危険なこともあるよなぁと。

もちろん、単純に機密漏洩、セキュリティの問題はあるんですけど、ここではそういうことではなくて。



Webをはじめとするモノづくりのディレクション、とくにデジタルが強く絡むものの場合(=紙の出版物でも印刷するまではデジタルデータなので、それらも含みます)、データの最新管理とその共有って凄く大事だよなぁと。なぜなら、人間は基本的に忘れるから。

 

”だいたいのことは忘れる”

 

と思ってディレクションすべきだと思います。

 

・クラウドだからみんな見れるしいいよね

 

っていうのは、情報共有としては決して間違いではないんですけど、使い方を間違えると結局炎上すると思うんですよね。履歴管理ができなかったりするから。最新のデータだけあればそれでいいってのは、コンピューター相手の話であって、両側に人間が介在する場合、一番大事なのは合意形成のはずです。その合意形成だって、「だいたいのことは忘れる」の範疇だと思います。つまり、「これなんでこうなったんだっけ?」はいつ何時だって起こりうるということです。

データにコメントを残しておけば良いのでしょうけど、そうすると今度は修正や変更をするたびにコメントが増えて、いったいいつの誰のコメントなのかまでわかりづらくなるだけでなく、コメントが溢れすぎて肝心のコンテンツそのものが見えなくなる、見栄えが変わるのは本末転倒というものです。

 

 ・完成形(を目指している最新版)

 ・合意形成の履歴

 

は、本来べつのものであって、これを一つのデータに混在させるから無理が生じるわけですよね。

最新のデータは最新のデータであるべきで、これは「うん、これだよね」というためのものであり、「どうしてそうなったのか」は別のデータやメディアで管理すべきだと思います。

 

で、そもそも論なんですが、その管理をする上で「同じデータを皆が触れる(修正/変更できる)」というのは、少なくともモノづくりのビジネスにおいては非常に危険だと思います。一見すると「たった一つのデータを、いつでも誰でもアクセス出来てすぐに更新ができる」というのはとても良い機能に見えますが、誰でも変更できるということは、そのぶん管理や共有漏れのリスクが上がるということです。よく、「一人より二人」みたいな安直な話を聞くんですけど、一人でやったほうが良いことはいっぱいあって、わかりやすく言えばリレーなんかは距離が合わないと無駄ですよね。たとえば30mを4人で走ればいいのかという。これはもう誰でもわかると思うけど、おそらく大概の人は一人で30m走ったほうが早いんですよね。そこには「バトンタッチ」というマイナスのコストが発生するから。

 

「誰でもいつでも触れる」というのは「誰がいつ触ったかの管理が発生する」と同義で、上記の通り当然履歴管理も難しくなってきます。仮に、ログインしてデータを触った人の名前が時間ごとに表示されたとしても同じことです。

 

 ・履歴がちゃんと見える

 ・履歴を管理できる

 

は全然違うんですよね。

ミステリーでよくある閉じられた施設の事件で、「入出管理が全て履歴として残っている」ということと「犯人を特定しやすい」は全然別の話ですよね。履歴が残ってたって100人とかいたら目も当てられないわけで。だったら、初めから数人しか入れない部屋だったという方が特定しやすい。

これはUIのユーザビリティーにも言えることですけど「自由がある」ということは「迷う・混乱する危険がある」ってことなんですよね。皆が触るということは、本来触るべき時で無い時も触れてしまう危険があるわけで、それを避けるには「いついつ以外は触らないでください」とアナウンスしなければいけないし、”だいたいのことは忘れる”のですから、それもまた情報としていつでもアクセスできるようなところに共有しておかなければいけない。だったら、管理はこちらで行なって、相手は閲覧出来るだけのほうが楽だと思います。

 

その辺の、「制限と自由」のバランスをうまくつくりあげて、クライアントやパートナーとやりとりするのがディレクターの仕事じゃないかなと思います。

 

「プロジェクトのコミュニケーション設計」ですかね。