笑顔を創りたいWebディレクターの日常

某事業会社勤務のWebディレクター。つまり「なかのひと」やってます。Web業界からひょんなことで専門学校の先生に。そしてまたWeb現場に戻ったWebディレクターのブログ。

「スクール!!」第一話をみました。

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「スクール!!」

http://www.fujitv.co.jp/school1/index.html

 

面白かったなぁー。

僕は一瞬ですが教育に携わったこともあるので、やはり教育のドラマは気になります。

ちなみに僕が一番好きな先生キャラクター(というのか?)はROOKIESの川藤先生です。

金八も鬼塚も嫌いじゃないですけど、どうもねぇ。

あの、「なんでも見透かしている感」が好きじゃないです。絵空事過ぎるというか。

なんでもお見通しで、その人のやることが絶対正しい結末になるってのがどうも。

それ、もはや人間じゃないよーって。



川藤先生はそうじゃないんですよね。

とりあえず、ひとことで言うと暑苦しいだけw

でも、ともかく愚直に勇気を持って突っ走るっていうその人間性が好きです。

川藤先生はなんでもお見通しでではないのでw、ミスもするしやり過ぎることもあるし、悪い結末になることもあるんですけど、ともかく背伸びせずに等身大の自分を生徒に投げ出して、真っ裸の心で勝負して信頼を得るじゃないですか。あの、信頼を大切にするということをバカ正直にやる姿に憧れます。僕のリーダーとか先輩とか上司とかそういう部類の人で言えば理想像ですね。(そういえば昔、教え子に「ROOKIESの川藤先生みるとまるで先生みたい」って言われて嬉しかったなぁ。)

 

スクール!!の成瀬校長も何かそんな感じ(川藤側)っぽくて、いいなぁと思いました。

まあ、所詮ドラマなんですけどもね。

 

でその、ドラマ自体大変面白かったのですけども、これ日曜の夜ってどうなんだと思ったりもw

ちょっと重すぎるような・・・・・。

でも、よくよく考えると敢えてあの時間なのかなぁとも思ったりするんですけどね。

 

というか、どうなんですかね?

僕は小学校の現場を知らないのでわからないんですけど、あれ、どれくらいデフォルメされてるんですかねぇ。気になるなぁ。授業中に騒いで全く先生の話を聞かないとか、学習の進度が遅い子をハブにして授業をするとか、生徒を呼び捨てにしてはいけなくて、君付けもダメで、全員苗字に「さん付け」という話とか、ちょっとした頭グリグリも体罰とみなされるとか。給食費払わない親もそのうち出てくるのかなwまあ、ドラマだから、多分世の中にあるああいう話を一つの学校に集めて話作ってるんでしょうね。ってことは一個一個はどこかに存在するエピソードなのかなぁ。だとしたら、ひどい話ですねぇ。

 

・・・ってそんなおばちゃんの井戸端会議みたいなことを言いたいわけじゃなくてwww

最近、熱い魂を持つ某ケンタロウさん(誰)や、実父とWeb論やビジネス論的なことを話すと、だいたい行き着く先は同じなんですよね。それは、教育。いっつも同じ話になるんですけど、Webにせよビジネスにせよ、だいたいが問題は「手段が目的化している人達」なんですよね。twitterでどうしましょうとか、ブログでどうしましょうとかが先に出てくるような提案屋(なんだそれw)とか、技術を取り入れることが目的になってしまう商品開発とか。

 

で、そういう人になんとか分かってもらおうといろいろと手を尽くすわけですが、もう発想の根本が技術ありき、見栄えありきで無意識に押し付けることしか考えてない、そういう文化の人にはなかなか伝わらないんですよね。それはもう、ビジネスがどうとかWeb論じゃなくて、もっともっと深いところの価値観がそうだから。そんでもってそれって、つまるところこの国の国民性というか、世論の形成のされ方とか、もはやそこですらそうなんですよね。自分がない、というか。すぐにマスコミに流されるし、人が良いと言ったものは自分にも良いと思い込んで、ちょっとHITするだけでものすごい人がそっちに移動して爆発的に売れたりする(で、すぐに飽きるw)。どうもこう、表面とか目新しさとかそういうのばかりに偏っている価値観があると思います。

 

で、自分で考えない。全てにおいて、最終的には自分で考えるしか無いのに、それを放棄して周りに責任を求める事が多い。総理大臣にしてもそうで、悲しいかなこの国は政治が「自分ごと」ではなく「他人ごと」になってる。誰かが変えてくれると思っていて、変えてくれなければそれはその人のせい。ヒーローを自分達から探すのではなく、他から出てくるのを待つ。だから、すぐに叩く。仲間じゃないから。で、また違うヒーローが出てくるのを待つ。

 

ちゃんと自分で考えるオーナーでない限り売れ続けるネットショップなんて無いし、自分で一生懸命考えた結果として話す人、語る人でなければ他人から本当の意味でモテることもないし、誰かに好かれたいなら誰かに嫌われることは受け入れなければいけないし。でも、それがないし、それを許さない社会だったりもするわけで、ともかく自分が無い。世間体を気にし、「そういうことすると○○と言われるから」とか、だからなんだよ、そんなことどうでもいいでしょうよ、大事なのはまず自分がどう在りたいかでしょ?っていう風に思っている人はかなり少ないと思います。

 

でも、しょうがないんですよね。

そういう教育してるんだもん。

皆一人ひとり違っていいんですけど、それは裏を返せば皆一人ひとり自分を持って、自分ってなんなんだろう?って考える必要があるってことなんですけど、教育では全然そういうことを伝えてきてない。「一人ひとり違っていい」=「権利を主張していい」&「否定してはいけない」になる。いやいや、一人ひとり違うから、否定も肯定もされるわけじゃないですか。否定が無いってことは肯定も無いってことです。勉強の仕方、教育の仕方、価値観の伝え方全てにおいて「皆一緒」っていうスタイルなんですよね。だから、相手を尊重できない。皆が自分と同じだと思ってるから、違う価値観の人を見ると受け入れられない。あれはおかしい、あんなことするのはおかしい、みたいな。

 

だから、いきなり大学になって就職っていうハードルが向かってきて「コミュニケーション能力が大事」とか「問題解決能力が必要」とか言い出しても遅いでしょそれって僕なんかは思うわけです。コミュニケーション能力っていうのは、1.相手が誰で 2.自分は何を伝えたくて 3.それをどうやって表現するかという話なわけで、そもそも根底に自己が確立できてないと僕はできないと思うんですよね。相手は何を知りたいんだろう、相手は何を伝えたいんだろうっていうのは、まず「相手と自分が違うこと」ということを意識するのが初めのステップで、そこから「自分がどんな人」「相手はどんな人」ということがわかると思うんですよ。それ、相手と比較されなきゃ、比較しなきゃ出てこないし、そこで認める、認められる教育をしないと出てこない発想です。子供の頃から「皆そうなんだからそうしなさい」っていう教育でそんな発想が出てくるわけがない。

 

「呼び捨て、君付けがだめ」というのも「体罰がダメ」というのも、根源はそこだと思うんですよね。人を罵るような呼び捨てはダメだけど、愛情があれば呼び捨てだって良いと思うし、体罰だってそこに愛情があり節度があれば良い話です。それを全て禁止するというのは、そもそも「何のために教育をするのか」「成熟した大人とは」っていうことがわかってない、ゴールをちゃんと考えてないからそうなるんですよね。目先の見栄えしか見えてない。そうそう、だから、結局そういうことを要求する親も、そういう対応を打ち出す学校も、根本にあるのは皆同じそういう教育を受けてきたからそうなるんじゃないかとも思います。

 

そういう現状を、このドラマで気づかせたいのかなぁと思ったりして。

だから、日曜のこんな時間にやるのかなぁとも。

でも、そうだとしたら、見る側がもっと「自分ごと」として見ないとわからないと思います。

「これだからゆとりはw」とか「最近の小学校ひどいねw」とか、その程度の目線ではわからない。このドラマに映る小学校の問題は、この日本社会が持つ根源的な問題と全くイコールだと僕は思います。見栄え主義、目的を忘れる、そして他人の価値観を認められない文化。全部、現れていると思います。自分達のこととしてみるべきだなぁと僕は思います。

 

あ、そうそう、だから、こういう教育が僕は嫌いなんですよ。

きちんと物事や相手を考える。(スマスマ道徳より)