笑顔を創りたいWebディレクターの日常

某事業会社勤務のWebディレクター。つまり「なかのひと」やってます。Web業界からひょんなことで専門学校の先生に。そしてまたWeb現場に戻ったWebディレクターのブログ。

部下や後輩を褒めるタイミングは飛龍の拳。

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教育のお話が続きますねぇ。

やっぱり僕、人を育てるのが好きなんでしょうね。

僕は結構、人というか部下や後輩を褒める方だと思います。実際、いまの会社で割とそういわれること多いですし。まあ同時に、叱ることも多いんですけどね(笑)

で、そうやってると、大きく誤解されることがあるので、今日はそれを訂正する話(笑)

そんなわけで、うぇぶぎょうかいのむめいでぃれくたーのお時間です。



 

だいたい二つのことを言われますね。

  • toksatoさん(orくん)は人を褒める技術が優れているよねぇ
  • toksatoさん(orくん)はすぐ人を褒めて、心根が優しいですよねぇ

どっちも(自分の心情としては)半分正解で半分間違いです。僕はべつに打算、計画、テクニックだけで人を褒めたりはしない(というよりできない)し、一方で本当にきれいな心だけで人を褒めることもできてないです。そりゃ、計算もあるし、でもそれだけじゃない。半々って言いたいところだけど、4:6ぐらいで計算じゃないですw(4が計算)

僕がどういうメカニズムで人を、部下とか後輩とかいう「自分より能力的に劣る人」を褒めているかというのは、以下のエントリーで書いています。

toksato.hatenablog.com

読むのがめんどくさい人のために要約を書いておくと、こんな感じです。

  • 仕事の教育で褒めるなら、相手の顔色をうかがって褒めるとか愚の骨頂
  • 褒めて伸ばす、叱って伸ばすとかいう手法論が先に出ている時点でおかしい
  • 「その人に渡した期待」に応えてくれたら「褒める」
  • 「期待どころか"できなきゃいけないこと"」ができなかったら叱る
  • これがお仕事の教育にあるべき姿。 
  • そうすることで「この人はちゃんと見ている」と思ってもらえる
  • そうすることで「この人は気分で怒ってない」と思ってもらえる
  • そうすることで「この人が褒めた(or叱った)なら、きっと信じていいんだろう」と思ってもらえる
  • そのためには「相手に対するブレないハードル」が必要

 

まずもって、人を褒める、部下とか後輩とかいう「自分より能力的に劣る人」を褒めるのに最も大事なのは「相手に合わせた、適切なブレないハードル設定」だと思って疑わないです。これは絶対にないとだめ。
人はすぐに、自分ができることを他人もできると思ってしまう。けれどもそんなはずはないし、部下とか後輩とかいう人は自分が通ってきた道を後ろから追いかけているわけだから、むしろ「間違いなく自分と同じことはできない」人なのですよね。

そのときに一番大事なのは「正しい知識やスキルを伝えること」じゃない。ときにはそれすらどこかにしまっておくべき時すらある。幼稚園児に「"ただしい"は漢字で書くべきだ」なんて言わないですよね。まず「ただしい」という日本語の意味を覚えることの方が先です。そのときには、たとえそれば世間的に正しくても、控えておかなければならない知識があるわけです。

でもね、じゃあそのブレないハードル設定があるから「お、彼のハードルはこのへんだから」「いま、この対応はそれを超えているんじゃないか?」「超えてるな」「褒めよう」なんて、そんなこと思わないですよね。ほとんど反射というレベルに近いですね、人を褒める、なんてのは。

 

僕が部下とか後輩を褒めるときの感情は、(少なくとも自意識としては)そんなに計算されたものではないです。

 

「お!超えてきた!うれしい・・・(泣)」

 

 

ほとんどこれです。

うおお、超えてきたやん!やるやんけ!っていう感情が9割です。1割ぐらいは打算があるかなw

でね、もう一歩踏み込むとこう思ってます。

 

 

「おお!ハードル超えてきた!いま!いまだぞ!いま褒めると、グッと伸びるぞおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

 

もうね、メールなのか口頭なのかドキュメントなのか、そのときどきで違うけど、そのアウトプットが光輝いて見えます(笑)嘘じゃなくて本当に。うおお!きたー!っていう。

やっぱり、人は苦しい局面をくぐりぬけたときに成長します。でもそれって、正確には「苦しい局面を自分は乗り越えたと自覚するとき」なんですよね。「あ、わたし、いま苦しい局面を突破したじゃん」って思ったときに、モチベーションが上がる。モチベーションがあがると、次のトライに進める。

その自覚って、大半は目上の人、熟達者に褒められたときに発生すると思うんですよ。それが「褒める」なのか「労い」なのかはプロジェクトにもよるけど。できなくてできなくて苦しい思いをしていたあと、それができたことがわかるからうれしくなる。

そのタイミングが、ちゃんと見ていればあるわけです。

 

これね、なんかね、飛龍の拳みたいだなと思ってね(笑)

飛龍の拳 - Wikipedia

自身や敵の部位に丸印で攻撃や防御の位置を示す「心眼」と呼ばれるシステムを採用している。印は上段・中段・下段に現れ、十字キーとボタンを使用して相手の○を狙って攻撃をしたり、狙われている○を防いだりすることができる。印には通常の赤い○のほか、青い○、R(ラッシュ)、☆(秘孔)がある。青い○は相手に倍のダメージを与えられ、Rへの攻撃が成功すればラッシュ攻撃へと移行し、☆への攻撃が成功すれば秘孔を突いて一撃で倒せる。

むかーしのゲームで、女性はほとんど知らないと思うけど・・・。

まあ要するに、敵の体の一部に「〇」とか「☆」が数秒間表示されて、そこを攻撃するコマンドをささっと入れると、相手にダメージが与えられるっていうゲームです。

こういうやつですね。うん。

すごく、これの感覚に近いです。僕の感情としては。

 

「あ!いま!いまだー!!!伸びるポイント見えたー!いそいでー!的確に打ち抜くぞー!」

 

っていうそういう感じですw

まあべつに飛龍の拳じゃなくても、育成ゲーム全般にあることですよね。プロサッカークラブをつくろう!なら、「いま!ここで留学に出すとグーンと伸びる時期!」みたいな。でも、あれは若手の時期~みたいなすごくわかりやすくて比較的長い間、さらにほとんどの選手に同じ時期があるものだけど、それよりもっと瞬発的なものだなーと。だから、飛龍の拳が近い感じです(さらにいうと〇じゃなくて☆みたいな"いまここで打ち抜くと効果倍増!"みたいなのが近い)。

 

これを「打算」というのか「(計算無しの)感情」というのかはわかりません。というか、人間の行動に対して打算がないことを証明することはとても難しいし、打算が入っていていけないわけではないし。

でも、打算"だけ"ではないのは事実です。むしろやっぱりそんな計算抜きにした「わーい!きたー!ここまできた!すごい!」っていう感情の方が大きいです。

 

これはたぶん、僕のブログタイトルにもなっている「笑顔を創りたい」っていうのが根源にあるんだと思います。自分が教えた相手が成長するのはうれしいけど、それはべつに僕の自己顕示欲や、手柄にしたいわけじゃないし。

そういう意味では、僕は「有名トレーナー」になりたいわけじゃないんですよね。「すごい選手を育てたい」とはあんまり思いません。スタート地点がだいぶ後ろの人でも、僕が教えることによって何かが変わり、幸せになれるならそれでいいです。スーパースターをつくりたいわけじゃない。

 

実は、人を褒めるのに一番大事なのはそれなのかもしれません。

愛とか、思いやりとか、適切な言葉が浮かばないけど。