笑顔を創りたいWeb屋の日常

某事業会社勤務のWebディレクター。つまり「なかのひと」やってます。Web業界からひょんなことで専門学校の先生に。そしてまたWeb現場に戻ったWebディレクターのブログ。情報デザインやWebの勉強をしています。

サッカー漫画にならって"夢を語る個人面談"とかいう恥ずかしいことをやってました。

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安定の月一更新。

元Web制作会社ディレクター、現在はとある事業会社でWebマーケティングとかオウンドメディアウンタラとかそんなことやってるtoksatoですこんにちは。

anond.hatelabo.jp

これを見ていて、いろいろ問題があるんだろうなぁと思いつつ、基本的にはマネジメントの問題であり経営の問題だよなと思いました。

それもう会社をまわすぜんぶじゃねぇかと思ったけど。

そういうことを考えていたら、「そういえばある意味で逆のアプローチをしていたな」と思いだしたので、今日はそのお話。

 

そんなわけで、うぇぶぎょうかいのむめいでぃれくたーのお時間です。

 



 

増田の記事のなかで気になるところがあって。

そしたらとある部下か

「そういうのは上司の仕事です。なぜ○○先輩より給料の安い僕らが業務改善について考えて、意見を言わないと行けないのですが?」

「もし僕らが考えたとしても、業務時間は、業務に当てたいので、提案を考えるのは、業務時間外の家、出勤中、帰宅中、休日なども考える事になると思いますが、それに関しては手当、残業代等を出して頂けますか?」

と言われてしまった。

これはそもそも反論になってないよなぁと。

業務改善を考えることは誰がやってもいいし、そもそもどんな仕事だって誰がやってもいい

こういうところで「それは役員の仕事だから」と凝り固まってしまう人は結構多い。とくに"はてな(ブックマーク)"にはそういう人が多いと思う。なんでしょうね、「とにかく反体制な人」が多いイメージ。

世の中に決まりきったことなんてそう多くなくて、どんな会社があってもそれで良いならそれで良いんですよねぇ。

社長が経営をしてない会社だってあっても良いわけだし。

社長がトップセールスマン、とか珍しい話ではないですね。
「間違い」という判定ができることがあるとすれば、それは給料や役職と見合っているかどうかでしょうね。しかし、それとて「この仕事は役職者が担当するのが適切である」というそれ以前の定義付けがあってはじめて成り立つもので、そうじゃなければ厳密には言えないんですよね(もちろん、明確にそう定義されてなくても誰が見ても事実上そうなっていれば、言える)。

とくに今回のこの話の場合は「業務改善の案を考えて決定し実践して成果を出せ」と言ってるわけではなく「意見をくれ」と言ってるだけなので、これを「私の仕事じゃない」というためには、割とどこにでもありそうな「いつでも自己の仕事を振り返り、改善する意識を持つ」みたいな標語やスローガン的ななにかにサインをしない、承諾しないという行為が必要になる。正社員(正規雇用)においてはなかなかそういうことはないでしょうねぇ。

自分の業務を勝手に決めてはいけない

「もし僕らが考えたとしても、業務時間は、業務に当てたいので、提案を考えるのは、業務時間外の家、出勤中、帰宅中、休日なども考える事になると思いますが、それに関しては手当、残業代等を出して頂けますか?」

これはもう、ぜんぜん違うよなぁと。

なんで社長でもない人が勝手に自分の業務を「これに当てたいので~」と決めるのだ、というですね。そういう話ですね。

もしこれが反論として使える状況があるとすれば「通常業務は減らすな」「通常業務のノルマはそのままだ」という指示がセットで出ていたときでしょうね。そうだとしたら、会社がリスクのすべてを現場社員に渡して得られるメリットやベネフィットだけ受け取ろうとしているクズ会社ってことになるので(そういう会社や上司もたくさんあるけど・・・)、そのときはこの反論も有効かなと思います。

もちろん会社側が一方的に業務内容を決めて良いかというとそんなことは無いとは思うけど、とはいえ基本的な図式としては

  • 「会社側がやってほしいことを定め」
  • 「従業員がそれを達成し」
  • 「会社から従業員に対価が支払われる」

という形であり、自分(従業員)の業務というのは概ね会社が決めるものですね。少なくとも勝手に自分で決めてはいけない。

とはいえ、人は理屈では動かない

「雇用主と従業員の正しい権利関係」という話では、上の話は間違ってはいないと思います。ただ、人間がそれで動いてくれるかどうかはまた(ぜんぜん)別の話。理屈として正しくても、人は恐怖脅迫か(魅力的に映る)利益便益がないと動かない、というのが持論です。

どんなに必要性を説き、業務時間内にきちんと時間を取って改善案を出してくれと言ったところで、「べつにそんなのどうでもいいや」と思われていたらまともな意見は出てこないんですよね。そのとき「理屈」なんてものはまるで役に立たない。

これは今の会社ではなく別の会社の話ですが、毎年、各人に目標設定をしてそれを年度の初めの方で面談とともに渡し、どんなことをやってほしいか、今年度はどういうことにチャレンジしてほしいか、ということをドキュメントにして渡していました。

僕がチームリーダーになってから「そもそも目標の項目自体を覚えてない」という問題があり、その解決のために自分も含め毎月、各目標項目に対して進捗を報告してもらうタイミングをつくりました。つまり、少なくとも12回は思い出すタイミングをつくったわけですね。

結果として、以前よりは達成度が良くなったように思います(正確に数字を取ったわけじゃないのでわかりませんが)。達成度はわからんけど「忘れていた」という人が激減した、というのは事実です。

 

しかしその翌年度、チームリーダーだった僕はどうにもおかしいな、なにかがおかしい・・・と思うようになります。

リスクは双方が持つべきだと思う

これはあくまで僕の持論ですが

「新しいチャレンジに対しては会社と従業員の双方がリスクを持つべき」

と思っています。

まだできないことを丸投げしてなんとかしろ、成果を出せ、現在の業務はそのままやれ、というのはブラック企業の典型で、こういう会社はぶっ潰れればいいと思ってます。わざわざできない人をそれなりの給料で雇っておいて、自身は残業代や設備投資などのリスクを全く負わずに成果だけ得ようなんてのは虫のよすぎる話だし、もはやそんなものは経営でもマネジメントでもない。

しかし「教えられてないからできません」とすぐに言ってしまうような本人も大変問題があるというか、社会の仕組みがわかってないんじゃないでしょうか、とも思います。営利組織である企業に属しておきながら「私を教育してください。できるようになったらそれでお仕事します」とかいうのは「なにかを学んでそれを仕事にする」というまでのプロセス、いうなれば生みの苦しみやリスクをすべて会社側に丸投げしていて、本質的には前述のブラック企業と何ら変わらないと思うわけです。そんなにご丁寧に教育が受けたければ自分でお金払って学校に行きましょうね

というわけで、リスクというのは会社と従業員の双方が持つべきだと思うんですね。できないことをやらせようとしているわけだから、ちゃんとできなかったときのリスクを会社は覚悟しておくべきだし、できないことにチャレンジさせてもらって自分のスキルにしようと思うのだから、多少のワークライフバランスが崩れることや、一人でそれができるようになるまでは給料が据え置きになるという部分は従業員側が受け入れるべきでは?(それが嫌なら自分で金払って学校に行くべき)と思うわけです。

思ったような"能動的"な動きが見られない

と、そういう持論を持っている僕にしてみれば、会社側からわざわざ「こういうことにチャレンジして行こう」と提示してくれて、それに対する機会も与えてくれるというのは、ある意味で「給料アップ、キャリアアップがかなえられるニンジン」をぶら下げられているようなもので、「よっしゃー!やったるぜー!!」と思うようなスタイルでした。

しかし、現場を見ていると多くの人がそうでは無さそうでした。いや、それも問題を正確にとらえていたわけではなく、なんだかモヤっとしたまま

「自分のマネジメントワークには何かが足りない気がする・・・」

と、しばらくの間モヤモヤと、問題があるのかないのかすら良くわからん状態で何かを抱えていました。

そう考えながら日々を過ごすうちに、一つ、問題を把握するための突破口を見つけます。それは、自分以外の(そして自分が主催じゃない)年度ごとの査定面談でした。

 

 

「あれ?なんだろうこれ・・・?なにか自分(と上司と)の面談となんかちょっと違う?面談ってこんなんだっけ?」

 

 

お手本は、サッカー漫画にあった

「GIANT KILLING」というサッカー漫画をご存知でしょうか。サッカーファンには結構有名なマンガですね。

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サッカー漫画にはめずらしく、監督が主人公のお話です。
主人公の達海 猛(たつみ たけし)は現役時代に背番号7をつけ、次期日本代表のエースと呼ばれるほどに日本国内で活躍し、期待され欧州に移籍。しかし日本在籍時代から抱えていたヒザの怪我が爆発して選手生命を絶たれ、そこから監督として再起した、という新進気鋭の若手監督の話です。

達海は古巣のイースト・トーキョー・ユナイテッド(ETU)の依頼で、新シーズンから監督の座に就任し、前シーズンで2部降格をぎりぎり免れたレベルの弱小であるETUを立て直し、優勝戦線に入り込んでいくようなお話です。

そのなかで、ちょうど夏季中断期間キャンプの話が出てきて、達海のことをよく知るGMの笠野さんが、さらっとこんな話をします。

「どうしたらそいつはのびるか。何がそいつに足りないのか。一人一人時間をかけて丁寧にそれを伝えてやがったよ」

キャンプ中に全選手と個人面談をしたんですね。

コミックの中では、この部分は詳細には語られてはいません。笠野さんの上記のセリフ一つで終えられています。

しかし、その後のリーグ再開後の描写で、選手たちがチームコンセプトを理解し、「達海さんなら今のプレーを見てくれている」と監督に全幅の信頼をおいて生き生きとサッカーをしている姿が描かれています。

また、同じ中断期間にとある選手へ別クラブの、しかも実力的には残留争いのライバルともいえるクラブから移籍のオファーがきました。そのときも主人公の達海は、いかに自分が考えるサッカーにその選手が必要かということを本人に説きながら、最後には

「さて
最後にフットボーラー同士の話をしようか」

という一言を皮切りに、本人の移籍を促すような発言をします。

これは、選手本人のことを考えているということと、(おそらく)きちんと自身で残りたいと決断した選手以外は不要だという部分もあるのだろうと思います。そうだったとしても、ここまでちゃんと選手と向き合う達海において、中断期間の個人面談が一方的な場だったとは思えないですよね。

完全なる推測ですが、きっとこんな話をしたんだろうなと思います。

「いま俺たちのクラブは何位にいる」
「中位でくすぶっているが、ここから巻き返したい」
「そのためにはこういうサッカーをして、Jリーグに旋風を巻き起こす!」「こんな独創的なサッカーをやる」
「お前にはここのポジションでこういうプレーを期待している!」
「お前のドリブルはうちの強力な武器なんだよ」
「次のステップとして、スタミナを鍛えてくれ。それでムラがなくなればチームも強くなれる」
「3年、あと3年で守備力も身につけるといい。そのときにはお前は無敵のサイドバックになってる」
「日本代表、目指せるぜ。目指せよな!」

これを想像したとき、これだ、と思いました。

自分に足りなかったのはこれだ、と。

 

"夢を語る個人面談"

自分は、与えるばかりだったと強く反省しました。

人が能動的に動くときはどんな時か。それは、環境や条件に対して自らが選択して行動したときであろうと。もっと簡単に言えば「自分ごと」だと思った時だろうと。

果たして僕は、みんながそう思えるように行動したか、アプローチしたか。達海の姿を見ていて、なんてダメなリーダーだったんだろうと、思い知らされました。

いまみんながどういうところにいるのか、この先にはどんな世界が広がっているのか、先に見てきた自分が話せることはもっとたくさんあるし、それが相手に「自分のことだ」と思ってもらえるようにアプローチしなければならない。

そう思った時、もう根本から間違えているんだと思いました。

 

「自分がやるべきことは、まず話すことじゃない。
聞くことだ」

 

もちろん、そこから自分も話さなければならないのだけれども、それはあくまでリアクションであるべきだと思いました。まず、相手の話を聞かなければならない。いま何を考え、どういうことにモチベーションを感じ、どういう不安があるのか。それを聞いてはじめて「こういう未来があると思うぜ」ということを、相手に合わせて的確に言えるんだろうと思いました。

 

だから、当時のチームメンバーにこういう約束をしました

  • 月に一回、みんなの話を聞く時間が欲しい
  • いままではマネジメント側から与えることばかり考えてた
  • みんながどうしたら毎日楽しく、未来にも希望を持って仕事ができるのか、そのためにはもっとみんなの話を聞かなければならないと思った
  • だから、月に一度15~30分でいい。話をしよう
  • 当日はこちらからネガティヴなことは一切言わないと約束する
  • 言ったとしても「こういうことができると、さらにこんな風なスーパーな人材になれるぜ」という将来に向かっての夢を話し合うような形でしか言わない
  • だから肩ひじ張らずに、構えずに、雑談するつもりで来てほしい
  • そのために、会社の会議室は使わない。近所のカフェでダラダラ話そう

あくまでも「リーダーである僕がみんなの話を聞く場である」ということを強調しました。そして、個人面談ならば本来はネガティヴなことも言わなければならないんだろうけども、それは年度のまとめや定期の面談で行っていたので、もうこの場では必要ないだろうと思って、それすらも外しました。

実際にどんな話をしたかというと、割とスキルアップやキャリアアップに貪欲なメンバーに対しては、期待していること、どういうことができればどうなれるか、それこそ今の会社だけじゃないぞ、外の世界だってじゅうぶんいけるぞ、というような(本来ではあるまじき)話もしていました。これはもちろん、脳内に達海がいてのことですねw

全員が全員、仕事にまい進したいわけではないので、たとえばとある女の子には「そうか、料理教室な。いいね。じゃあそれがいけるようにこうしよう。ときには僕に仕事を丸投げしてくれてもかまわない」みたいな話をしたり、キャリアアップにそれなりに強い想いを持ちながらも、まだ自分が何に向いていて何をして良いのかわからないという若手には「いったい何をしているときが楽しいのか」というプライベートも含めた興味についての話をしていました。

 

「目上のひと」はもっと話を聞く姿勢を持つべきだと思う

結果どうなったかというと、これもまた個人的な体感の域を出ない話だけど、多少は目標の達成度が良くなったように思います。でもそれ以上に、普段からメンバーが何を考え、一人一人のキャリア(のアップがすべてではなく)について把握しながらコミュニケーションが取れるようになったと思いました。

そこは僕自身の中で自覚的に、そして如実に変わったことです。

「ほら、この前話したこんなこともあるし、これどう?やってみてほしいな」

 

どうも、これは日本人がそうなのか"経験ある者"の性なのかはわかりませんが、「与えること」ばかり考えてしまう風潮があるように思います。

でも、人間に上も下もないし、役職者とて組織の中の機能の一つにすぎません。

僕らマネジメントをする人の対象は現場のメンバーであり、そういう意味では相手はお客様だとすら思います。

そのとき、やっぱり「マネージャー」や「管理職」の人はもう少し、いやもうだいぶ「相手の話に耳を傾ける姿勢」が必要なんじゃないかと思います。

 

相手が動いてくれなければすべては始まらないわけですから、それがプレッシャーなのか希望なのかはわからないけど、そのどちらにしても相手のことがわからなければ、適切な対応ができません。

だから、もっともっと、謙虚な姿勢で、「相手は別の人間であり、相手に動いてもらわなければならない」という大前提を意識して、相手の話を聞くスタンスが必要だよなと、強く思います。

 

いまの会社でも、ポジティヴなコミュニケーションに個人面談、やろうかなと思います