笑顔を創りたいWeb屋の日常

某事業会社勤務のWebディレクター。つまり「なかのひと」やってます。Web業界からひょんなことで専門学校の先生に。そしてまたWeb現場に戻ったWebディレクターのブログ。情報デザインやWebの勉強をしています。

「UX」なんて言葉どうでもいいじゃん。

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いやまあ良くはないんですけど(どっちなんだ)。

いや、言葉というのはきちんと定義してこそだし、かといってその定義することばかりに目が行ってしまって、肝心の「ちゃんと(そのスキルを)使う」ということが離れてしまってもいけない(おそらくこれがすべてな気がする・・・)。

UXデザインのエキスパートであるフジタジュンコさんのこのエントリを読んで。

さまよえる銀の弾丸|べらんめえセブン

全文良い感じなんですけど(あえて言えばいつもの面白フジタさんが見えなくて残念、こういう感じとか)、あえてとくに良いなと思うところピックアップするとココ。

さて、私が当日言い忘れたことというのは、セッションが「巷にはびこる間違ったUX論を批判し、本来のありかたを議論する」というものだったため、登壇者にも参加者にも「暗黙の了解」としてあったせいで、当日もその後の議論でもすぽっと抜け落ちていたようにも思うのですが、「UXD(ユーザーエクスペリエンスデザイン)をなんのために実践するのか」ということについては、「よりよいプロダクト・サービスを顧客に(あるいはステークホルダーに)届けるため」以外に理由はありません。

そんなわけで、うぇぶぎょうかいのむめいディレクターのおじかんです。

 



とりあえずまず一つ言えることはワテクシ、件の

XP祭り2016:巷にはびこる間違ったUX論へのヘイトをぶつける集い (滝川 陽一さん)

というイベントもまるで知らなかったですし、そこからいろんな議論が発展していることもまるで知らず、とりあえずUXの人ではないというか、だいぶダメなやつではないかと。ダメなやーつ(謎)※まあ僕はHCDの専門家でもないし、そんなにUXばかり信条にしてるわけじゃなくて普通に大規模WebシステムのPMとかもやってたりするので、一応UXとかIAとかが一番強いけどでも全体的には何やってるかよくわからないヤーツなんですけども。一番わかりやすいのは「むめいうぇぶでぃれくたー」です(謎)

 さて、そのなんというか上記のイベントから議論がいろいろと発展して?UXDの範疇に法律は入るのかとか、UXは金儲けの道具になってるんじゃないかとか、まあそういう話があるようなんですが、ぶっちゃけ、お仕事でUX設計とかペルソナとかUXフローとかIAとかなんかそういうことをやる僕としましては、

 

「んなことどうだっていーじゃん」

 

と思っておりますそうなんですなにがでしょうか。

法律のことまで考えなきゃいけないなら考えればいいし、金儲けの道具に使いたいなら使えば良いんですよ。そのあとユーザー、ひいては社会からゴッツリ怒られても知らないけど。いや、所詮はスキル、ツールでしかないんだから、そりゃ悪いことに使おうと思えば使えるのは当たり前で「包丁は料理の道具じゃなくて人殺しの道具になってるんじゃないか」っていわれたらそりゃそういう悪い人もいますよね、としか思わなくて。※もちろん、そういう使われ方をしないような仕組み、啓蒙は大事ですよ。

 

ときどき「あなたにとってのUXとは?」みたいな質問をされるんですが、それほどどうでもいいなーって思う質問もなくて、「え・・・ユーザー(の)体験としか思ってないです」なんですよね。ぼくにとっては。

 

そういう意味では、「たまたまではなく続けられる仕組みがなければそれはUXDとは言わない」と思ってる(っていうか偉い人が言ってた)んですが、それはつまり「会社として存続すること」もそこに含まれるはずであって、っていうことは適度に儲けることだって大事だと思うわけです。短期にせよ長期的な投資回収になるにせよ儲けないUX(D)などいらん。

そして、UXDとかHCDというものはより良い体験や価値を届けるための手法なわけですけど、それとて手法でしかないわけで、手法をなぞったから必ず良いものができるわけでもないし、なにより、HCDプロセスには競合調査みたいなものは入ってないんですよね

http://www.hcdnet.org/images/hcd_column_090814_06.gif

いや、広義なとらえ方をすれば入っているととらえることもできるんだけど、少なくとも文字面だけをみれば、「特定の誰かに対して利用状況や要求を把握して」「それを設計して」「それを評価して」という話しかない。実際、入らないことだってたくさんあるし。既存のサービスの改善、とか。

でも、UXというものを、というか「ユーザーに価値を届ける」と考えたときに、「ほかでも簡単に手に入るものは要らない(というかその時点で大した価値はない)」ということは往々にしてあるわけで、本来ちゃんとモノづくりを考えたら周辺にある競合プロダクトは調べるべきなわけです、大概の場合は。

 

何が言いたいかというと、繰り返しになるけどUXDにある様々な手法はやっぱり手法に過ぎないわけで、そんなもん、ほかの手法を組み合わせて使うのは当然のことだし、べつにやらんで良いものができるならそれで良いんですよね。

きちんとアカデミックな部分で言葉や手法を定義、確立するというのはとても大事なことで、僕はそこを軽視するつもりは毛頭ないんですけども、「UXなんていらん」とか「時代遅れ」とか、そんな議論どうでもいいじゃんとしか思えないわけです。

「いらん」なら使わなければいいし「時代遅れかどうか」なんて適合するときに使えばいいわけで、ほんとに時代遅れならなくなるだろうし。

「金儲けの道具」かどうかなんてどうでもよくて、というか、実際金儲けの道具という側面もあるし、それだけのためにUXの手法を使ってはたぶんいけないのだろうし、それは結局、相手のことを考えずに儲けることだけ考えてもいけないし、全く儲けることができなくてサービスを存続できないのも大変な罪だし、「要はバランス」っていうほんと何も言ってないのと同じなんだけど、でも「要はバランス」でしかないんですよね。

そのバランスのとり方の一つがUX(D)であるし、コミュニケーションデザインと呼ぶこともあれば、経営と呼ぶことだってあるだろうし、んなもんは上り詰めりゃだいたい同じことを言っているということも含め、大事なことは変わらないよね、そしてそれはUX(D)という手法一つだけで語る時点でもうナンセンスだよね、と思うわけです。

で、ですね。

www.siskw.com

この方の記事を読んだのですけど、これはある意味でとても正しい反応で、僕はUX系の人と言いながら、この方の話はけっこう正しいと思うんですよね。

記事で言及されているのは「UX(D)を悪い使い方したあくどい人」の話で、それを善良なUXデザイナーの人が(UXというもの全体を守ろうとして)反論するからややこしくなるんだと思うんですよね。

「はい、そうです、あの人、悪い人です」

で終わりでいいじゃんっていう。
そういう意味では、前述のとおりHCDには法律周りの話も(定番セットとしては)入ってないですからね。

ただ、これをHCDプロセスとUX(D)"手法"の話にするか、「良いUXを設計する思想」という"概念"の話にするかによって変わるんだけども、いまは後者だとして、そのとき、↑の記事のここがちょっと誤解だよなと思うわけです。

ユーザー体験をデザインすると謳うのならば、しっかりと良い情報も悪い情報も全ての情報を届ける経路を作るのが「正しいユーザー体験デザイン」だと私は思うのですが、どうもあちらで語られるUXDは異なるようです。

いえ、(あくまで思想とか概念の話をするならば)良い情報も悪い情報も伝えるというのも手段にすぎず、「こちらが設計したUXの対象外となる人(この時点で”ユーザー”ではない)」には、悪い情報も届けるのではなく「そもそも出会わない設計」こそが一番重要なんですよね(その一つとして「入り口で出会っちゃったけど悪い情報も届けることで門前で去ってもらう」があるだけです)。

 

すべては、良いものをつくる手法の一つでしかなくて、良い価値を届けるということは、それが続かないのならばその時点で悪であるし、良いもの、良いサービスを届けるために必要なら法律のことも考えりゃあいいし、競合他社調査だって、ブランドプロミスの定義だって、短期だけでなく長期的な視点での設計だってすりゃあいいじゃアーリマセンカ、と。

 

大事なことはいつだって、「様々な手法を駆使して、最適なコストで、より良い価値提供ができる仕組みを考えること」でしかないですよね。

 

だから、僕はいつだってこう思います。

 

 

「UX(D)なんぞ、我々凡人のためにある手法。神様とか天才がいて、その人がエイヤ!でつくって、そっちのほうがコストが低くて企業もユーザーも社会もハッピーになるならそれだっていい」