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笑顔を創りたいWeb屋の日常

某事業会社勤務のWebディレクター。つまり「なかのひと」やってます。Web業界からひょんなことで専門学校の先生に。そしてまたWeb現場に戻ったWebディレクターのブログ。情報デザインやWebの勉強をしています。

人は教えたってなにも身につかない。

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すんげー空いちゃった。

本当は食べログの件について書いてたんだけど長くなって何が言いたいのかわかんなくなったしすげーくだらないので寝かせますw

で、今日は教育の話。

そういえば僕はWebディレクターなのに専門学校のセンセイをやっていた変な奴でございます。で、離職してしばらくは「あんまり生々しいこと書くのもあれかな」と思ってたんですが、もう10年近く経つので(って実際はそこまで経ってないけど)そろそろいいかなーと。



専門学校の教員をやった経験というのは、とても貴重な経験で、いまの僕の思考スタイルやスキルに強い影響を及ぼしています。もちろん、Webディレクターとして全体をみたら、普通にWebディレクションとして習ったことのほうが割合は大きいですけど、おそらく同世代の他のWebディレクターにはない経験なので、まあ、貴重なわけです。そこで覚えたことはいくつかありますが、今日はそのうちの一つ(他のことはまたそのうち書きます)。

授業なんかしたってなんも覚えねぇわ

僕が専門学校の教員になって一番驚いたのがこれです。

「先生」というからには、わかりやすい授業が大事だと思っていたし、割とプレゼンには自信のある方だったので、授業として教壇に立つこともそんなに不安視していませんでした。いや、実際「人にわかりやすく伝える」ということは不得手ではないと思います。

でも、専門学校の常勤講師がやるべきことはそういうことじゃないんですね。

教員になってすぐに先輩から言われた言葉、今でも覚えてます。

「我々、学科の責任者がすべきことはわかりやすい授業じゃない。それは外部で実際に活躍しているプロに非常勤講師として依頼すればいい。それら非常勤講師の登用も含めて、2年間という期間でどうやって学生を就職できるレベルに持っていくか、その全体をプロデュースするのが我々の仕事だよ」

平たくいえばカリキュラムをデザインすること、になるわけですが、しかし基本的にはその大半は授業をどう組み合わせていくかになりますね。でも、大事なのはそこ"だけ"じゃないんですね。

ふたたび先輩のお話。

「2年間という期間の中で、半年でどこまでもっていくか、そのためにどんな授業を組むかはもちろん大事だが、その中で最も重要なこと、そして難しい点を挙げるとすれば、それは"いかにイベントをうまく仕込むか"だ」

基本的に、人がものを覚える、授業を通して何かを学ぶというときには、「座学」「演習(練習)」「実践」というフローが必要です。で、「座学」と「演習(練習)」というのは教材や演習問題を作れば良いだけなので(それはそれで大変なんだけど)、がんばればどうにかなるのです。自前で用意できるから。

しかし「実践」というのが難しい。
これは外部環境に左右されるので。まあそりゃ学校外にアプローチする話なんだから当たり前だけど。インターンシップなどで実際に企業の人とやり取りして何かを納品する、というのはそのもっともわかりやすい例なんですけど、それも「それだけじゃダメだ」と言われてました。

「納品して終わりじゃなくて、ちゃんと相手に評価させるタイミングをつくりなさい。もっと言うと、クライアント企業の関係者をできるかぎりたくさん集めてもらってプレゼンの場をつくってもらいなさい。またはコンテスト形式にして表彰してもらう場をつくるのもいい」

プレッシャーのかかる場をつくれ

つまり、そういうことでした。

とくに年単位の専門学校は高校を卒業してそのまま進学する学生が多いので、つまり、どうしても受け身で来る子が多いです。まあ、そりゃそうですよね。大半の学生は自分で学費出してるわけでもないし。そのへんはいわゆる「スクール」の生徒さんとは姿勢が違います(悪い方で)。

授業で教えても、きっとこれを読んでる皆さんもそうであったように、「かったりーなー」っていうのが本音なのがスタンダードで、そうそうそのまま身につくものではないですね。

これを避ける一つの方法が「試験(テスト)」です。
きちんと、授業でやったことを覚えているか、身につけているかというのをペーパーテストや実技試験という形ではかるわけですが、これはやっぱりどこまでいっても「座学や演習の評価」でしかないわけです。実際に自分の行いが世間的に評価されるわけではない。

一方で、我々Web屋とかクリエイターと呼ばれる人たちは知識やスキルはあくまで手段にすぎず、つくったものが何かの問題解決として機能しているかどうかが大事で、最も重要なのはスキルや知識ではなく、それらを駆使して何かをつくることです。それは試験では身につかないです。なぜなら、そもそも問題が提供されていないから

本気で依頼する人がいて、使う人がいて、そしてその結果が大きな舞台でフィードバックされる。

そういうタイミングがあるからこそ、学生たちはプレゼン当日の光景にガクブル震えながら、これで大丈夫だろうか、こういうこと盛り込んだら喜ばれるんじゃないだろうか、怒られないだろうか、褒めてもらえるだろうか・・・なんてことを考えて、寝る間も惜しんで授業で学んだことを総動員した何かを生み出そうとします。

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学校の先生になって、こういう場をつくってあげることがいかに大事なことか、授業で伝えたことが、"まるで暗号のようにしか"伝わっていない現実と合わせて、痛切に感じました。

お仕事の教育だってなんらこれと変わらない

 丸投げOJTを批判する人がいる一方で、懇切丁寧に教えれば良いと思っているマネージャーもいて、どっちも教育という観点からみれば間違いなんですよね。一個一個教えたところで人はぜったいに覚えない

「実際にやらせてみる」というのは正解ではあるのですが、それが「実践させること」の方が主目的だと思っている管理職や経営者という人も結構いて、違うよなぁと思います。

大事なのは、「いかにプレッシャーがかかる場をつくってあげるか」であり、もっといえば「いかに適切な失敗を経験させるか」なんですよね。

 「権限の委譲が大事」とはよく言われてますが、これは教育面でもそのとおりで、失敗する権利を与えられるかどうかなんだと思います。マネージャーがやるべきは、「失敗させないこと」ではなく「失敗の最大値をコントロールすること」です。

いくつもセミナーにいっても、いつまでたっても自分のスキルにならない人もこれと同じで、実践しないからなんですが、正しくは「実践して誰かに評価されるというプレッシャーにさらされないから」なんですよね。実践したところで誰にも評価されない、失敗を追及されないなら、たぶん身につかないです。

座学も演習も大事です。
けれども、それらはすべて、最後に学んだことを総動員してプレッシャーのかかる場にアウトプットして初めて結実するんだと思います。サッカーでいえば座学も演習もパスやドリブルに過ぎなくて、それらすべての行為は、「ゴールを決める」というこの1点があってはじめて結実するという話で。

もちろん、場を提供するだけでもダメなんですけどね。プレッシャーがどんなにかかったところで、それを切り抜けるスキルや知識がなければそれはただの精神的負荷にしかならないわけで。何もできない人をピッチに立たせたところで、ボールをもらうのが怖くなるだけですから。

大きすぎても、小さすぎてもいけない。

その人のキャリア、フェーズに合わせて、適切な「失敗するかもしれないイベントや仕事」を渡せるかが、マネージャーとか上司と言われる人において一番大事な教育スキルではないかと思います。