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笑顔を創りたいWeb屋の日常

某事業会社勤務のWebディレクター。つまり「なかのひと」やってます。Web業界からひょんなことで専門学校の先生に。そしてまたWeb現場に戻ったWebディレクターのブログ。情報デザインやWebの勉強をしています。

ロンパーミライハナッシング。

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はー、あいてしまった。

とうとうあいてしまった。

ちがう、とうとう広告出ちゃった。ここのところずっと出てなかったのにー。

 

というわけで書くのです。月に1回しか書いてないので、いくらでも書けるのですw

 

・・・で、タイトルですが、つまり論破することに未来はないよってことです。

気持ちとしては理解できるんですけどね。僕も論破したい人いっぱいいるし。まあ、するだけ無駄だよなと思うわけですけど。っていうか、論破してるだけでもう、アンタ能力ないよね?認めようね?ぐらいに思います。

 

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そんなわけで、うぇぶぎょうかいのむめいディレクターのおじかんです。

 



 

はっきり言いますが、議論において論破するなんてもってのほかだと思います。っていうか、何のために論破するんですか?それ、おいしいんですか?ぐらいの話です。100害あって一利なしの、まんまの話です。

 

話している時点で、何かを理解してほしい、理解してもらわないと何事かが進まない状況にあるはずなんですよね。そうじゃないなら、話す必要がないし。

 

論破することによって、確かに、正しい結論にちゃんと到達できるということはあるかもしれないし、むしろ、最短距離としてはそうするべきだとも思います。でも結局、「理解、把握してそのあとも動いてもらわなければいけない」ということならば、正しい論理を伝えたところで(そもそもその時点で「正しい論理」ではないと僕は思うんですけどね)、相手が嫌になればその時点で動いてくれなくなるわけですよね。

 

どんなにその時に正しい結論にたどり着いたとしても、連続して相手がそこにたどりつけなければ、結局、話をする意味がないんですよね。自分が考えた自分が思う正しい結論に辿りつくだけなら、そもそも自分でやればいいんだから

 

 

なぜ議論、コミュニケーションをとるのかを今一度考えるべき

すべてを合理的に、目的、目標ありきで考えろとは言いません。そんなのはコミュニケーションとしても人生としてもつまらないし。でもね、やっぱり目的ってあると思うのです。少なくとも相手を不幸にするために話をするはずはないし、自分がたどり着きたい結論なしにコミュニケーションをとることもないと思うんです。伝えたいことはきっとある。でも、その伝えたいことは、伝えるだけじゃダメで、伝えて、理解してくれて、共感したいから言うんですよね。

 

論破したら相手はどうなる?

その場が二人だけでも、3人以上でも、論破されたら気持ちよくはないです。絶対に。気持ちよくない体験を、不快な体験を与える人はどうしたって避けていきますよね。

これが人間の標準的な判断だと思います。

 

では。

 

仮にこちらの言ってることが全部正しくても、上記の判断基準なら、正しいかどうかはそれほど影響しないはずです。それより「この人と一緒にいたら快感か不快か」ほぼ、これがすべてになるはずです。論理的に、本質的に正しいかどうかじゃないです。だって、そんなの関係ないもん。自分が正しいっぽいと思えるなら、あとは不快か不快じゃないかしか残らない。

 

論破されたら、そりゃもう本能的に避けるでしょう。そして、それが当たり前な行動だと思います。相当ストイックな人でない限り、毎日を"正しく生きる"必要はないわけで、だったらそれを放棄して安らかに生きることを選ぶがのもはや自然というものです。

 

論破したら、むしろ議論もあれもこれも、すべてが止まるんです。

結局、自分の思いを伝えたいという「自己満足」に陥る。一人ではできないから誰かに説明するわけで、だったらその人が一緒に動いてくれなければ意味がない。一人でドリブルしてゴールまで運べるならそれでもいいかもしれない。でも、そうじゃない。誰かが僕にパスをくれて、誰かが僕のパスに走ってくれて、誰かがシュートを決めてくれるから成功するわけで。「そうじゃないだろ!俺の言うことを聞け!」じゃ、結局まわりの仲間は自分で判断して自分で行動をしてくれない。自分が相当な天才でない限り、これではうまく行くはずもない。

 

もしかしたら、それは遠回りなのかもしれません。直近のゴールを考えたら論破したほうが良いのかもしれない。でも、長い目で見たらそれでは続かなくなる。仲間の、チームメイトの、話す相手のペースに合わせてコミュニケーションをとらない限り、好転はしない。

 

それがあまりに遠回りの時は、きっとそのメンバーでは無理なのだと思います。小学生のチームでACミランに勝てるはずがないのと同じように。

 

だからこそ、裏を返せば仲間をきちんと選ぶべきだし、選んでほしい仲間に選んでもらえるような自分で居続けることが大事だったりすると思うんですけどね。