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笑顔を創りたいWeb屋の日常

某事業会社勤務のWebディレクター。つまり「なかのひと」やってます。Web業界からひょんなことで専門学校の先生に。そしてまたWeb現場に戻ったWebディレクターのブログ。情報デザインやWebの勉強をしています。

人を褒めるのに必要なのはテクニックじゃないと思うのだ。

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ねー、そんなのテクニック必要に決まってんじゃんねーって思ったそこの人。

僕もそう思います。

最近、偏りすぎたタイトルに対して本文一行目で自己否定するというメソッドを多用しております。意味はないです。なんとなくおさまりが良いだけでございます。

 

 

そんなわけで、うぇぶぎょうかいのむめいディレクターのおじかんです。

 

 

先輩にゃんこ

これは先輩にゃんこ(って足成で見つけた)

 



 

僕は、学校の先生という職業をかじった流れもあり、「自分の一言が他人に強く影響する」みたいなことに敏感だったり、逆に「たかが自分一人で他人の価値観や生き方を変えられるわけがない」とも思ってたりするのですが、ものすごくその部分を敏感に、精緻に抜き取る(定義する?)とすると「自分ひとりで相手の何かが変わるなんてのは狙ってできることではないが、しかし何かの一言が影響を与える可能性があるのもまた事実」だと思ってます。それはもちろん、自分自身が誰かが何気なく発した一言に影響を受けまくっているというのもそうだし、僕から誰かに言葉を発することで目に見えて影響が出たという体験からくるのもそうです。

 

で、ですね。

「褒める」とか「叱る」とか、いろいろ「人を伸ばすコミュニケーション」みたいな手法があり、そして、最近より増えているの「叱るより褒めろ」みたいな流れがあると思います(あるのか?)。僕は、これがどうにも納得がいかないのですよねぇ。「叱るばかりの指導はうまく行かない」とか「人間は褒められたほうが伸びる」とか。で、どこを褒めるとか、褒めるときにどういうべきかとか、小手先感が否めないというか。いやまあ、それはそれで間違いではないんでしょうけど・・・。

 

 

褒めると伸びる?

よく言われることです。

僕ももちろんそうですが、確かに褒められるのはうれしいです。

うれしければ、伸びるのかもしれません。いや、うれしい体験が人の成長に強く影響するのはその通りだと思います。ただし、それは「うれしい体験がその後にすぐに変化しないこと」が大前提だと思うのですよね。

 

たとえば褒められたとしても、その評価がそのあとにすぐに覆ったら、むしろ褒められた事が逆効果になるんです。だって、それ適当に言ってるってことだから。自分の能力や成果を見て言っているのではなくて、気分とかなんとなくよく思われたいから言ってるだけだったりするわけですねぇ。そんな人信用できないよねw

 

褒めるのはその人が良くできているから褒めるのであって、気分でも何でもないし、良くできていないのなら褒めるべきではないと思うのですよね。テストの点数が良くないのに褒めるなんて、それいったいなんなんだって思いますよねぇ。その人は、相手のために褒めてるんじゃなくて、自分が悦に浸りたいだけなんですよね。「褒めてる俺ってかっこいいだろ」でしかないし、そうじゃなかったとしても「うまくコントロールしたいから褒めておけ」みたいなものを僕は感じます。

 

これの一番の弊害は、受け取る相手が基準が分からなくなることだとなんですよね。前は褒めてくれたのに、同じくらい頑張って成果も出たのに褒めてくれない。前は怒られなかったのに、今度は怒られる。これじゃあ、相手は何を物差しに自分が頑張ればよいのかわからない。

 

 

要するに、ブレない「基準」だと思うのですね

相手を褒めるのも叱るのも、明確な

「こういうことをやってほしい」という基準があって、

それを超えたら褒めてくれればいいし、

それを下回ったら叱ればいいと思うんですよね。

 

そうじゃないと、叱られる人は

 「あの時は叱られなかったのに今は叱られた・・・?」

 「あの時は褒めてくれたのに、同じぐらいのことできたのに今回は全然ほめてくれない・・・?」

となって、自分のものさしが狂うんですよね。そうしたら、何を指針に努力すればよいのかわからなくなります。

また、こちらのことも「この人は気分で怒る人だ」と思われて信用されなくなりますね。

 

ちなみに、気分屋な管理職がいる組織はだいたいこれに陥っていて、現場が全く考えなくなりますね。考えても、どうせ気分で評価されると思って無駄になりますからね。いままでいっぱいそういう組織見てきたなー。

 

 

褒めない人は基準が高い

だからこそ「ブレない基準を持つべき」ではあるのですが、だいたい優秀な人の基準は高いですねw

だから、ほめるタイミングがなくなりますね。

 

そうすると下は辛いですね。頑張っても頑張っても褒めてくれないから。褒められないだけならまだしも、叱られたり「こんな当たり前のこともできないの?」とか言われちゃう始末。そんなの、続かないですよねぇ。いや、実際、相手の経験年数や年齢などから「これは当たり前だろう」という基準がしっかりしているのならそれでも良いと思います。当たり前のことができてないわけだから(ってことは、相当レベルが低いっていう異常事態ですけどね)。

 

だから、つまり自分が勝手に決めた自分が求める基準なんかどうでもよくて、そんなものは自分だけ考えておくべきで、

 「この人が成長するには、いまはどれくらいの期待を渡すべきか」

 「その次の期待のサイズはどれくらいか」

っていう、完全に相手のスキルセットやマインドセット、キャリアパス起点で、基準を作るべきだと思います。

そうすれば、その基準が間違ってなければ自然とほめるタイミングも出てくるはずですし。基準が適切なら、相手ががんばればそこを超えてくることはあるはずだし、頑張り続けていれば成長して、いつかは超えてくるはずですから。

 

 

だから、「ほめる」「しかる」って、本来は完全に教育計画とセットなんですよね。

まあ、いきなりそこまでは無理ですけど。

 

 

何のためにコミュニケーションを取るのかという一番大事なことを忘れてはいけない

人を褒めたり、叱ったりするのには、本来目的があるはずです。

もちろん、それは先輩と後輩という「教育する側される側」だけに限った話じゃなくて、パートナー(外注)さんでもそうでしょうね。お礼の言い方ひとつ、サイズがあるはずだし、クレームも同じ。

 

自分が好かれるために部下を褒めるなんて愚の骨頂ですよ。

同様に、自分が腹が立ったから部下を叱るなんてのも愚の骨頂です。

 

部下に好かれたいなら、慕われたいなら、だからこそ仕事をちゃんとすべきだと思います。

上司や先輩など、教育する側の仕事は当然「教育すること」です。好かれることじゃないです。ちゃんと仕事をすることで、部下から評価されるようでないと、意味がない。

 

相手のことを考え、相手にきちんと物差しをもってもらって、相手が一生懸命頑張れるために、「評価を渡す」だけなんですよね。それを適切に行うことによって「あの人はちゃんと見てくれている」「あの人はよい時も悪い時もちゃんと評価してくれる」という信頼をもらえる。

 

 

人を褒めるのに一番大事なのは「ブレない、相手に合わせた正しい基準を持つこと」だと思います。

 

なかなか難しいんですけど、「いま、なぜ褒めるのか」「なぜ叱るのか」と常に考えるようにしておけば、幾分良いかなと思っています。