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笑顔を創りたいWeb屋の日常

某事業会社勤務のWebディレクター。つまり「なかのひと」やってます。Web業界からひょんなことで専門学校の先生に。そしてまたWeb現場に戻ったWebディレクターのブログ。情報デザインやWebの勉強をしています。

OJTってのは「俺は千尋の谷から現場へ突き落とす(キリッ」じゃない。

教育

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絶賛食いっぱぐれ街道まっしぐらのtoksatoです。

目の前にカルカンがあるわけでもないのに、まっしぐらでございます。

ぼく、猫じゃないんで、カルカンがあってもまっしぐらにはなりませんが。

ちなみに猫派か犬派かと問われれば「なんで選ばなきゃいけないの?」っていう人です。

どうでも良かったです。

 

いやいや、さすがに前のエントリそのまま残しておくってのはよろしくないかなと。

事実上無職のくせに意外に時間がないんですが、書くものは書く!

 

というわけでOJTと言う名のあれなわけですが(何)

このへんの記事を読んでいて思ったんですけどね。

 

勘違いしてない? “OJT”の意味

OJTというの本人任せ・運任せ

 

読んでいて面白いなー、いいなーと思いつつも、なんだか奥歯に物が挟まったような感じが。

だので(謎)自分で思うことを書いてみようかなと。



いや、ぼくほら、一応専門学校の先生もかじってますから。

一応、教え子卒業させてWeb業界就職してますから。

そして、ここでの体験がWebディレクターとかマネジメントとかにおいて、本当に役に立っているんですよね。

だから、また現場に戻った時、違和感を感じまくってたり。

 

たいがいのOJTって、マネージャーとか上司が「うちはOJTで学ばせてるんで(キリッ 現場で学べるんで(キリッ」って言いたいだけのものになってるよなーと思います。しょうがないこともあるとは思うんですけどね。でもそれって、「OJTという名の丸投げ」じゃないかなーと。

ちなみに似たような言葉で「信頼という名の丸投げ」という言葉があります。僕が自分でつくりました。イケイケな営業さんに多い行為です。

他にも「明日の自分へ丸投げ」という言葉もあります。これも僕が自分でつくりました。もうめんどくさくなって飲み行きたいときに使う言葉です。これは気をつけないと明日の自分が怒り出すことになりますが明日の自分は今日の僕にはアプローチできないので良いのです。明日の僕が困ればいいのです。きっひっひ(謎)。

 

 

丸投げOJTの矛盾

ここ、いっちばん思うんですけどね。

「仕事は見て覚えろ!」「現場で覚えろ!」っていうもはや教育でもマネジメントでもなんでもない精神論って、ちょっと考えればおかしなことだよなぁと思います。見てるだけで覚えられるほど簡単なお仕事なんですかねぇ、と。ベルトコンベアーのライン作業やってるわけじゃあるまいし、10年選手、20年選手がいる現場なら間違い無くノウハウがありますよねぇ。ノウハウっていうとライフハックみたいだな。手法、コツ、やり方、でしょうか。

「現場で見て覚えろ!」ってのは、裏を返せば「私の仕事は見よう見まねでじゅうぶんに対応できます」って言ってるようなもんじゃないの?と思います。そんなことない!難しい仕事だぞ!っていうんなら、じゃあちゃんと教えないとできないよねっていう。

 

丸投げOJTの問題

これ、危険だと思うんですよね。

実際、丸投げOJTのところは、そうなってましたけど。

あの、哲学が伝わらないんですよね。そらそうですよ。だって教えてないんだもん。師匠と弟子みたいに毎日毎日一緒に仕事して、一挙手一投足ぜんぶを指導するならともかく、仕事だけ丸投げしてだいたい良いか悪いかの結果しか伝えなかったりするわけですよね。「こんなんじゃだめだろ!」って。まあ、それならまだいいんですけど、組織によってはそれすらほったらかしで問題が起きてから罵声を浴びせたり、問題すらスルーするところもあったり。これだと、どこが問題だったのか、なぜ問題だったのかを全く理解しないまま物事が進んじゃうんですよね。それのどれだけ恐ろしいことか。

 

たとえば新卒や20代前半の若手の場合、相手は自分のどこを見ているかわかんないんですよ。子供が大人のどこを見ているかわからないように。 うっかり虫を踏んで殺してしまったのを見て、そういうことが大事なんだと思うかもしれない。「そんなこと常識で考えればわかるだろ」って言うんですけど、人間の常識ほどあやしいものはないんですよね。というか、そういう発言をする時点でその人はマネージャーとか教育者には向いてないと思います。自分と相手は全く違う脳みそで生きているということが本質的にわかってないから。

 

こういうのを放っておくとクライアントから「御社の担当者、人によって言うことが違うんですけど・・・」ってことになるんですよね。ぜんぶ我流になって、ぜんぶ"勝手に"見て盗むから。一つのもの、行動をみて、全く同じように感じて、全く同じところを注目する人間なんていないわけで、僕らはみんな違う脳みそをもった人間ですから。だから、意識のすり合わせをしなければいけないし、それは先輩や上司の方から発信していかなければいけないと思います。まあ・・・そりゃ新人にはその会社の哲学なんてあるわけないんだからw

 

 

"伝える=身につく"じゃない

これはですね、ほんとに、学校の先生になった時に嫌というほど実感しました。

いやいやいや、それ教材までつくって教えたのに!って思うことの連続。

あーそうじゃないんだと。言葉や絵で説明してその内容が伝わることは結局仕組みをその場で理解しただけで、それが実践できるわけではないし、ある意味では本当には理解してないんだなと。そして、人間はこちらが発したこと全部を受け取ってるわけじゃないんだなーと。まあ、仕事ならその率(受け取ってる量)は学生よりは多いでしょうけど、それほど大差があるわけじゃないと思います。いやー学生は聞いてないですねw もう5割聞いてれば良い方だと思います。

 

ものすごーく簡単な例に落とし込みますが、たとえば水に食塩を大量に入れたら辛いですね。飲めたもんじゃないです。でも、「お塩を水にいっぱい入れてはいけないよ。塩辛くなって身体にも悪いから」と伝えれば理解できるのかというと、知識としては見についても、実践レベルでは身についてないんですよね。実践レベルで身につくとは、応用が利くということだと僕は思います。「お塩を水にいっぱい入れてはいけないよ。塩辛くなって身体にも悪いから」としか教わってない子の多くは、お吸い物に塩を入れすぎてはいけないことにはきっと気づかないと思います。塩がどういうものか、大量に摂取するとどうなるかを知らないから。

 

これを・・・

 →塩について学んだり実験で水に大量の食塩を入れさせたり、塩をなめさせたりするのが研修

 →「とりあえずその塩使ってお吸い物作ってみろ」→「ほらな、塩辛いだろ」がOJT

じゃないかなぁと思います。(料亭などの場合ね)

 

要するに、(すべてがすべてとは言わないまでも)体験をさせないと覚えないと思うし、それは丸投げじゃなくて「その体験で何を学んで欲しいのか」という目的とセットで初めて意味を成すと思うんですよね。

 

 

 

失敗と成功の体験をつくる

理想論ではありますが、僕はこれこそ「教育」じゃないかなーと思います。

とくに大事なのは"失敗"体験の作り方と、振り返らせることかなと。

失敗ばかりだとやっぱり辛いし、続かないので成功も必要なんですけど、成功って分析しづらいんですよね。要因がわかりづらい。どの要素が成功につながっていて、どの要素が実はぜんぜん成功につながってないのかが、結果が良いとわからない。

 

いまフジテレビで深夜に「ヌメロン」ってやってるの知ってますか?

基本ルール

1.それぞれのプレイヤーが0~9までの数字が書かれたカードのうち3つを使って3ケタの番号を作成する。ただし、「112」「121」といった同じ数字を2つ以上使用した番号は作れない。

 

2.先攻のプレイヤーは相手が作成したと思われる番号をコールする。相手はコールされた番号と自分の番号を見比べ、コールされた番号がどの程度合っているかを発表する。数字と位置が合っていた場合は「EAT」、数字は合っているが位置は合っていない場合は「BITE」となる。例として相手の番号が「765」、コールされた番号が「746」であった場合「1EAT-1BITE」となる。

 

3.これを先攻・後攻が繰り返して行い、先に相手の番号を完全に当てきったプレイヤーの勝利となる。

 

―Wikipediaより―

 

お互いに3桁の数字を決めて、交互に相手の3桁の数字を発して相手の数字を当てるという知的ゲームです。面白いです。予想を受けた方は、相手の発したその数字が、自分が設定した3桁の数字とどれくらい当たっているかを答えなければいけません(EAT=数字も桁も合っている BITE=数字だけ合っていて桁は違う)。

このゲームにおいて「0EAT-0BITE」(=数字が一つも合ってない)という結果が結構な力を発揮するんですよ。

 

たとえば、「578」とコールして「0EAT-0BITE」だと、一見、ゲームとしてはひとつも当たってない、カスリもしてないわけですから、勝利からは遠ざかっているように見えるんですけど、裏を返せば相手は「5」「7」「8」は一切どこにも使ってないということがわかるんですよね。これが「0EAT-1BITE」だと「一個は合ってるが場所(桁)は違う」となるので、「5」「7」「8」のどれが当たっている(相手が使っている)かわからないんですよ。「0EAT-0BITE」だと、0~9のうち3つも候補が減るのに、「0EAT-1BITE」だと一個も候補が減らない。

0EAT-0BITE」だと、例えばあえて「5」を使って「542」とコールして、相手のレスが「0EAT-1BITE」だと、すでに「5」は使ってないことがわかっているんだから、「4」か「2」が使われていることがわかるんですよね。

 

これ「失敗の経験」だなぁと思って。

全部失敗して「あ、これ違う」とわかるから、それ以外に目を向けていけるんですよね。「このやり方は失敗だ」とわかるから「こっちが成功かもしれない」ってわかるように。

 

教育って、これをどうプロセスにして設計していくかじゃないかなーと思います。

 

 

体験のプロセスをどう設計するか

OJTっていうのは、仕事のなかで失敗や成功を体験させて、さまざまなものを身に着けてもらう教育手法じゃないかなと思うんです。だから、丸投げで良いわけがないんですよね。その仕事で、どんな失敗をさせて、何を学んでもらうのかという目的があり、そのプロセス、ステップを設計しないと本来のOJTとは言えないんじゃないかなと。結局、それって学校でいうところのカリキュラムになるわけですけど。

 

マニュアルがあればなんでもできるわけじゃなくて、マニュアルでできるのはマニュアルに書いてあることだけです。レシピができるのはそのとおりつくらせることだけであって、応用はできないです。レシピやマニュアルの一つの行為について、その意図や理由を言葉で説明することはできますが、たいがいのことは忘れますねw 

 

何かを調べさせて、そのデータをリストや表にまとめさせるという、割りとアシスタントや新人がやる仕事でも、やっぱり失敗体験、プロセスって必要で、「いやいやきみ、ここは見出し行ではないの?なんでデータが入ってるセルと同じ色なの?見辛いじゃん」っていうのは、本人が一生懸命つくってきたあとに言うから効果があるのであって、つくるまえに「見出しだからここはグレーのセル色な?」って言ってもだいたい忘れます。どうして見出しの色を変えなきゃいけないのかを本当の意味でわからないから。本当は、算数でも社会科でも、表なんていっぱい見てきているはずで、どの表を見たって普通見出し行というのは色が違うはずなんだけど、そこに注目して見てない、そして自分でつくってないから気づいてないんでしょうね(僕もそうでしたけどw)。

 

一回作らせて、アウトプットさせて「おうおう、これ3枚あるけどさ、よっしゃ、ほいほいほい。はい、順序バラバラになっちゃった。どれが一枚目?」って聞くから、「あうう(´・ω・`)」とわかるわけですよね。「ノンブルいれようね!」となるわけですよね。

 

これはアウトプットだけじゃなくて、仕事の進め方そのものにも言えて、まーまー、だいたい新卒の子というのは時間を守らないw 「○時まで」って言って時間が過ぎても「あとちょっとです」とか言い出す。いや、ベテランの人がそれならいいんですよね。本当に忙しいんだろうし。でも、はじめはそれじゃなぁと。ハナッから時間に間に合わせる気がないというのは、お仕事の分解ができてない証拠なんですよね。プロセスを自分でつくれていないという極大な問題が潜んでいる。

たとえばどういうことかというと、次のときには時間を守ってきますよね。真面目な人なら。でも、だいたいズタボロな資料ですねw それは、途中経過を報告してなかったり、大枠の方向性を定めるためにラフの状態で出さなかったりするからですよね。ってことは、いつそれを出してどうやってゴールまで持っていくかを設計しなければいけないわけですよね。それができてないってことなんですけど、それとていきなり「いいかー、こうやってこうやってこうやれー」っていきなり言ったんじゃ、やっぱりわからない。なんでそんなに細かく区切るの?とすら思ってることが多い。「あうう(´・ω・`)途中で見せればよかった」って思うから、わかるわけですよね。で、だいたいその次は、こっちのスケジュール度外視でいきなり「見てください!」って持ってくるんですけどねw いや、ぼく、これから打ち合わせですよ、みたいなwww

 

一個一個ぜんぶを失敗させられはしないんですよね。時間がかかるから。学校じゃないんだし。でも、その逆に言葉だけで、見よう見まねだけで身につかないのも当たり前だし、勝手に解釈して勝手にに見つけられても組織としては損失のほうが大きくなっちゃったりするんですよね。

 

理想ばかりは語っていられないし、リソースは限られているのは間違いないわけで、どこかで折り合いを付けなければいけないんだけど、人間ってのはそう簡単に物を覚えるわけでも理解するわけでも、意識を共有できるわけでもないってことは、意識しておいて損はないと思います。

 

そして、できる限り失敗と成功の体験をコントロールしてプロセス化することが、新人教育には大事じゃないかなと思います。

 

もちろん、そればっかりやってて経営破綻してたら意味ないんですけどね。