笑顔を創りたいWebディレクターの日常

某事業会社勤務のWebディレクター。つまり「なかのひと」やってます。Web業界からひょんなことで専門学校の先生に。そしてまたWeb現場に戻ったWebディレクターのブログ。

学校の授業に意義などない。

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自分のTLを離れてtwitterを放浪していたら、たまたま見つけたとある人(たぶん専門学校生)が、学校の授業のレベルが低すぎて話にならない、意義が見当たらないという発言をしていて。

現場に戻って改めて、自分の人材価値観が間違っていないと思っっているんですが、企業は、新卒に大それたスキルやセンスなど求めていない。そもそも日本中探してもそんな実践でエースをはれるようなスーパー学生は1%もいないし、そんな奴は今すぐGoogleへ行けw。企業が新卒学生に求めるのはスキルでもセンスでも、ましてや周囲のパフォーマンスをあげられる能力でもない。当たり前じゃん。まともに働いたこともないんだから。たかだかおままごとやアルバイト程度で培ったビジネスセンスなど入場割引券程度にしかならないし、そんな入場料すら持たないクソガキに大層なもんなど期待しないと思います。というか、結論から言ってしまえばクソじゃないガキが欲しいんでしょ

新卒なんて就業経験もない人のスキルなんか見てどうするという話で。現場からすれば大差無いのに。だからこそ企業は人間性にフォーカスをあてるし、あてざるを得ないのだろうと思います。企業が求めるのは

・意欲を持って取り組み

・きちんと計画を立て

・努力を惜しまず

・人の話をちゃんと聞ける

そんな、吸収・成長力のある人を求めているんでは?

極論すれば現在のスキルなんかどうでもいい。そのスキルをなぜ得ようと思い、どうやって得て、何にいかし、これからどうしたいのかということを問い計るためにスキルを見ている。全ては必要最低限のスキルと、人間性を見たいがため。挨拶ができる気持ちの良い素直な子なら多少のスキルなんて目をつぶるのさ

だから、ここからはこのブログを読んでいる僕と少しでも絡んだ、

現役学生も新卒社会人も社会人二年生も、しっかりと読んで欲しい。

学校の授業そのものに意義なんかないんだよ

個性、固体差があり、皆が皆同じ企業や職業につけないのに、それら能力差がある連中を一つに集めて一つの授業をしてるんだ。そんなもん、個々人に100%意義などあるわけがない。ある人にはタメになり、ある人には全くタメにならないこともあるし、それは授業ごとにそれぞれ存在する。でも学校というものはそれでいいし、そうじゃなきゃいけない。嫌なら個別指導学院(ないと思うが)にでもいけばいいし、なお言えばそんな教育を受けた学生は指導者が業界の超有名人でもない限り企業から避けられる。なぜなら、企業が最も求める「主体性」が何より育たないから。そりゃ指導者を選ぶだけで自分は何もしていないのだから。

学校の授業なんてもんは受講する学生のなるべく全員が理解できるようにつくられていて、初っ端から平均を狙ってつくっている。初めからその道のスペシャルな人材をつくろうとなんかしていない。そんなことしたらスペシャルな素質を持たない大半の学生が落ちこぼれる。限られた時間の中で、就職という到達目標に向けて”最低限これぐらい身につけておくべき”というラインでつくられているわけで、最高の技術を教えるためにつくられているわけじゃない。だから、自分の現有スキルと見合わないことがあるのは想定の範囲内という意味で当たり前で、「就職したら専門学校で習った技術なんて何も使えなかった」なんてのも当たり前。

じゃあ、一体学校は何のためにあるのかという話になるが、そんなもんは簡単。学校は世間に対する保証のためにある。仮に、作品も何もなく「私は独学でWeb制作の勉強をしました」というA君と、「私は専門学校でWeb制作の勉強をしました」というB君がいたら、企業は圧倒的にB君を評価する。なぜなら、B君には「専門学校でWebの基礎を学び、合格して卒業できる力がある」という最低保証があるから。もしかしたら、実力はA君の方が上なのかもしれない。しかし、そんなもの面接官には見えない。B君には背中に「認可された専門学校」がいる。これは全然違う。第3者が認めた、Webの基礎となる部分をその教育のプロが「認めた」(最低限の)実力を有する。そしてもっと現実的なことを言えば、たかだか高校を卒業した素人が選んだ"独学"というカリキュラムより、専門学校という"ブランド"が選んだカリキュラムを企業は評価するのです。素人の意見など聞いてないよってことですね。

そう、だから、専門学校は授業に意義があるんじゃない。

卒業することに意義がある

それ以上でもそれ以下でもない。

だから、授業に意義があるどうかなんて学生が意識するのはナンセンスな話ですよ。

そして、ここから先はもっと大事。

ここまで読んでくれた人ならわかると思うけど、学校は最低限の能力を保証してくれるだけで、自分の最高保証をしてくれるわけではない。サッカー選手になるために専門学校で教育を受けたとして、仮にそれがリフティング一万回以上、100メートル14秒以下、 10000メートル30分以下という卒業基準だったとしても、それはその人が並の選手より速いことを示すわけでも、たくさん走り回れることを証明してくれるるわけでもない。あくまでも最低保証であり、何も無い、どこも卒業していない誰かと違い、目の前で走らなくても100メートル14秒"以下"で走れることを保証してくれるだけで、実際に君が100メートル何秒で走れるかを明示してくれるわけではない

つまり、企業に入社するためにテーマパークのような入場料があるとしたら、大学や専門学校を卒業したなんてのは整理券を手に入れたにしか過ぎず、そしてこの国ではそれらを卒業していないと整理券すらもらえない企業がほとんどというだけ。そして、たかだかアルバイトや学校の成績など割引券程度にしかならない。

では、その整理券を手に入れてから、どうすれば希望の企業に入社できるのか。言わずもがな、そこからの上積みがどれだけあるのか次第でしょう。だから、授業に意義があるかどうかじゃない。授業をどうやって意義あるものにしたかどうかを問われているんですよ。与えられた授業を与えられるままに受けて"意義がない"と言ってしまうような主体性、自発性がない学生こそが、スキルの低い学生より何より嫌われる。授業のレベルが低いなら低いで、課題が簡単なら簡単でいい。そのまま受け取らず、時間が余るなら自分で学んだ技術を盛り込んでもっと凄いモノを創ればいいし、なお学びたいなら担当の先生に放課後や課題時間に意見を貰えばいい。それを嫌がる先生はいないし、もし仮に先生のスキルを超越しているというなら、インターネットに聞けばいい。世界中には高度なスキルを持った先輩は五万といるし、インターネットを活用している人達の中には教えるのを嫌わない人はたくさんいる。

当然、成績には反映されない。

しかし、そもそも学校側の基準で勝手につけられる成績なんぞのためにスキルを学ぶ奴なんて企業は求めてない。課題を越えてプログラムを組んでしまうプログラミング小僧を求めている

故に、個別指導学院(なんてもんがあるのかしらないけど)で適当にやったような学生はアウトなわけです。言われたことをまんまするような学生じゃダメだから。

個性とは、自由から生まれるんじゃない。

制約の中から生まれる。

ある一定の枠を与えられるから、それを飛び越えるのか変質させるのか、そこに個性が出る。

「授業」という一定の枠を与えられた自分が、そこから何を生み出すのかを問われているのであって、授業の良し悪しを評価することなど誰も求めていないのですよ。

一生懸命自分で考えて、自分で表現する、その意欲と計画性こそ、最も意識すべきこと。

学生も、社会人1年生も、2年生も、頑張ってくれることを切に願います。

僕も、頑張ります。