笑顔を創りたいWeb屋の日常

某事業会社勤務のWebディレクター。つまり「なかのひと」やってます。Web業界からひょんなことで専門学校の先生に。そしてまたWeb現場に戻ったWebディレクターのブログ。情報デザインやWebの勉強をしています。

上下の交流を持つ。

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いま、僕の仲間や後輩などを集めて勉強会というか交流会でもしようと企画しています。

なんでこんなことやるかというと、技術や知識のブラッシュアップは当然ありますが、それより何よりモチベーションアップのためです。

Webディレクターとしてたくさんの人と会い、尊敬できる人や、逆に反面教師にしなければならない人と出会い、そして専門学校で教育というものに少しでも携わってみて思うことは、人間にとって、クリエイターにとって最も大事なことはモノづくりやそれを繰り返すこと、何かを考えること、生み出すことに果てないやる気を持つことだと思うんです。情熱と呼んでも良いですし、パッションでもいいかもしれません。

続けることというのは、並々ならぬモチベーションが必要ですし、続けられることは確かに何よりも素晴らしい才能だと思います。しかし同時に、どんな技術や知識より何より獲得しがたいものだとも思うんです。

日本人はとかくメンタルや精神論に走りがちな割には、一番一番大事な「やる気」にフォーカスを当てることが少ないと思います。やる気なんかあって当たり前で、無い奴は悪みたいな。大人になってそれならまだしも、子供の頃から部活や勉強、学校に来ることに対する「やる気」があって当たり前という価値観があるような気がするんです。当たり前という前提価値観があるから、ともかく課題や目標を与えるだけ、数字を設けるだけになるんじゃないかと思うんです。

でも、実際は人間にとって「やる気」を持ち続けるというのは凄く難しいことですし、成功体験に大きく左右されるのも間違いありません。しかし、「成功体験」に頼り切るというのはつまり「できる奴しかやる気が出ない」ということを認めてしまっているんじゃないかと、僕は思います。そりゃね、好きこそものの上手なれというだけあって、上手い人、能力の高い人がよりその道にモチベーションが向くのは至極当然なことです。しかし、そういう人達だけで社会ができるわけではなく、「それなりの能力の人」も「それなりの成功体験」でやる気を持てて、伸びていけるようでなければ、生産性というか、本人の成果というか、そういうものは上がらないんじゃないかと思います。

「あいつはやる気がない」と切り捨ててしまうのは簡単です。

しかし、そもそもその「やる気」をどう組み立てて、本人の中から生み出させるかということを考えることこそが教育なんじゃないかと思うわけです。だって、やる気がある子は勝手になんでもやりますから。とくにこの情報過多の社会、たくさんの情報に埋もれ、昔のように「見えないからこそ、その先が見たいから頑張る」ということは無理なわけです。現実味の無い、ハリボテの見本をショーケースから見せられているようなもの。それがマーボー豆腐だと認識できても、全然美味しそうじゃない。美味しそうじゃないのに、でも、「マーボー豆腐」というものを知ってしまうこの怖さ。

そうすると「自分の少し先にいる人」との交流が凄く大事な気がするんです。

ロールモデルといってしまえばまさしくそれなんですが、ちょっと硬すぎるし、崇高すぎる。そんな大層なものじゃなくていいんです。必ず、誰かの目標となれるような人である必要は無い。そうじゃなくて、中学生と大学生、高校生と社会人若手、中学生と中堅社会人でもいいかもしれません。特に、何かを教えるとか、教科書を持つとかいうことではなく、どこかで定期的にコミュニケーションの場を持つ。それも、ゲームとかではなくディベートなど、きちんと意見交換をする場所。自分のちょっと先にいる人、かなり先にいる人、ずーっと先にいる人の姿を見せること、そこで何をしているのか、何を考え、どんな生活を営み、どういう価値観があるのかということを、もっともっと密接にやることで、未来を描きやすくなり、その中で自分の立ち居地、将来を見出せるんじゃないかと思うんです。

僕なんかは割とガキの頃から意志が強くて、やりたいこともなりたいものもあったんですが、それの方が特殊でしょう。情報に溢れてる割には、この先どうなったらいいのかわからない、どういう道があるのかもいまいち見えてこない中で「やる気を出せ」というのはやっぱり違うと思うんですよね。親や先生が「ああいう道がある」「こういう高校がある」っつったって、そんなもんでは大人同士でも伝わらない。「親と先生以外の大人と触れ合う」というありきたりなことも大事ですが、それをただ唱えているだけではダメなわけで。そもそも”大人”である必要は無いですし。

「自分が何をしたら良いかわからない」とか、僕からしてみれば「何言ってるの?自分のことでしょ?」とは思うのですが、それは僕の方が特殊であって(ラッキーだったんであって)、なかなか見えてくるものではない。たくさんの「モデル(notロールモデル)」をハリボテな見本ではなく、生で、リアルでコミュニケーションを取ることで、たくさんの”役に立つ”情報が入り、だからこそ自分が見えてくると思うんです。あんな仕事があるのか、こんな仕事があるのか、あんな高校にいけるのか、こんな大学にいけるのか・・・などなど。そういうものが見えないとやる気も何も無い。

で、これは別に子供だけに向けたことではなく、呼ばれて参加する側、つまり大人であったり、大学生、高校生、社会人1年生も、自分の通ってきた道を歩いている人とふれあい、何かを伝えることは絶対に役に立つはずです。自分の考えを整理しなければいけないし、決まりきった質問をしてくるわけではない「年下」「若年者」に対して、その場で答えなきゃいけない。そうやって整理したりアウトプットしたりすることで見えてくるものもあるし、また、普段触れ合うことの無い世代とのコミュニケーションにより新しい発見があるかもしれません(いや、絶対あると思います。教員という職をやって世代の違う人間と濃いコミュニケーションをすることで確実に見えてきたものがありましたから)。

何が言いたいかというとですね、別に就職という明確な目標がある(ロールモデルをつくりやすい)専門学生や大学生と社会人という狭い枠で言いたいのではなくて(そもそもそこでは、それ以前の教育機関に比べれば上下の交流はあるし)、中学や高校でもも、もっともっとそういうことをやるべきなんじゃないのか?と思うんです。ちょっと行ってグループディスカッションぐらいなら面白そうだし、僕は母校やお世話になった先生に呼ばれればいくらでも行きますよ。楽しそうじゃないですか。でも、そんな話そうそう来ないし。

学校の先生って、塾の先生とは違うし、「担任」というスタイルがあるじゃないですか。

塾と競って受験力を競うのもある程度必要だとは思いますが、それって学校がするサービスとしては安直過ぎると思うし、そればっかりやってるから「やる気」が育たないと思うんです。せっかく生活全般を密着できるからこそ、そこに財産があると思うんです。その財産とは、先生としての歴史です。ほら、毎年毎年卒業して「教え子」ができるわけじゃないですか。そのネットワークたるや大変な価値のあるものですよ。それを利用しない手はないじゃん!それ、サービスに活かそうよ!と思うんですね。

うーん、中学とか高校には、本当はこういうことが一番大事だと思うんですけどね~。