東京都水道局のデザイン発注ミスの報道を見ると、この国はまだデザインというものの意味を理解できている段階にはないんだなと感じます。
まあ、実際デザインしている側ですらそうなんだから、一般の人に理解しろという方が無理なのかもしれませんが。
これはクライアントと話していても、同業者と話していても感じることです。
Webにせよ、ポスターにせよ広告にせよ、何を提供しているのか。
それは間違っても、綺麗だのカッコイイだのという目線で判断されるような単純なビジュアルじゃないはずです。
ユーザにとってテーブルレイアウトなのかCSSレイアウトなのか、javascriptなのかFlashなのかということは本来どうでも良いことであって、「そこでどんな体験が出来るのか」ということが一番大事なはずなんです。東京都水道局の話にしたって、あの水をイメージさせる線があったらさわやかでいいとか、いらないとかそういう話ではないわけです。
水のラインがあった方が良いのか、なかった方が良いのか。
それは、一義的にイメージで語られるものではなく、
・ユーザとなる都民は何を求めているのか
・それに対してどう応えるべきなのか
・何を伝えたいのか
という観点から語られなければいけない。
都民に対して、どんなサービスを提供しなければいけないのかというサービスプランニングがあり、
それをビジュアルアイデンティティとしてどう表現して行くのか。
いつだって鍵は
「ユーザが何を求め」
「何を伝えるために」
「どうやって応える(表現する)のか」
を考えることだと思います。
単純なビジュアルを提供するわけじゃない。
ビジュアルが持つ機能を、サービスとしてユーザに提供する。
その全てをプランニング、クリエイトすることこそデザインだと思います。
どうしても、この国の文化というのは表面的なものに捉われがちだと思います。
ブランド志向にせよ、学歴やステータス、肩書き、マスコミ全て。