便利なモノにつきまとう不快さ:D・A・ノーマン氏にきく「配慮のある技術デザイン」
CNETのインタビューです。
言ってることは以前とそんなに変わらないのですが、切り口が違うと斬新。
「それらのシステムが習熟しやすいことが重要なのであり、
それらが同じ操作原理を使っている限り問題はない」
新しい技術がどうのこうの、インターフェースデザインがどうのこうのという話ではない、ということですね。大事なことは、「ユーザが使いやすいか否か」という観点で計るべき。
興味深かったのがこの話。
「ある友人がいます。名前は挙げませんが、彼はある大きなソフトウェア企業で働いています。彼は、自分の知る限りでは毎年機能やボタンが増えて、どんどん複雑さが増してゆく法則があるとこぼしていました。それが強要されているからです。
(中略)
わたしが問題だと思っていることの一部に、レビュアーが普通の人ではない点があります。彼らは熱心なファンなのです。レビューを書こうという人は、多くの場合競合する製品すべてに詳しくて、読み手に向けて機能を強調しがちです。これらのレビューは非常に整理されて書かれており、あなたのような知的な人たちが書いています。しかし、そういう場合、どうしても書き手は最近見た他の製品と比較して「これにはあの機能がない」などと書くことになります。」
そういえば、以前知り合いから聞いた話で、某超大手メーカにて携帯電話の機能の話になった時、初老?の人の「機能が多すぎて使いづらいから、減らしたほうが・・・」という意見を、開発側の中堅だか若手が「何を言ってるんですか。機能は豊富に用意して、ユーザが選べるように、いかにその選択肢を増やすかが重要でしょう!」と罵ったという話を聞いて「バッカじゃねぇの」と思いましたが、これまでやってきたWEB戦略や最近勉強し始めた情報デザインを考えると、より一層明確にそう思います(笑)
豊富な機能、なんてユーザが求めて初めて意味を持つものですから。
ユーザ、もっと言えばペルソナが「必要ない」と思うものは、全て無駄な機能。
むしろ、そのぶん値段が高騰するなら、無駄を超えて存在が悪ですね。
WEB屋として、宝物にしている言葉の一つに次のようなものがあります。
WEBサイトで「重すぎる」とか「軽くていい」といいますが、
では、いったい何Mまでが「重く」て、何K以下なら「軽い」のか?
「ユーザが必要とするモノなら何Mでも軽い
ユーザが必要としていないモノなら1Kだって重い」